はてなキーワード: Times new romanとは
Amazonで9割引で買ったらしい。
微塵も疑わなかったのかと聞けば、9割引の誘惑に勝てず衝動買いしたのだという。
送らてきた物を開封すると、縫い目はガタガタでほつれだらけ、裁断が真っ直ぐでなく外形がふにゃふにゃ、Times New Romanを感じさせるロゴ...見るだけで笑いがこみ上げるような物だった。
正直に言えば、こんな物に数万円も支払った父が恥ずかしかった。きっと私を喜ばせようとしたのであろう。こんなに安く買えたんだよ!と意気揚々と語る父の声を電話口で聞きながら、情けなさ、悔しさ、しかし少なくとも私を思って送ってはくれたことへの申し訳なさ、色々な感情がごちゃ混ぜになり、涙こそ出なかったもののただただ悲しかった。まーいいじゃん、偽物でも見た目一緒なんだし、使ってよ!と快活に笑う父に、ありがとう、大事に使うねと言って電話を切った。
過去にも、父が中国旅行に行ったときスーパーコピーを買って私にお土産として渡してきたことがある。当時反抗期真っ只中だった私は、こんなの要らないと激怒したのを覚えている。父は、本物か偽物かわからない物ってそれは本物と何が違うの、賢い買い物したってむしろ自慢できるのに、と心底不思議そうに言っていた。
父は決して貧乏ではない、というより現金だけで10億以上を保有するまごうことなき富裕層である。
しかし借金取りに追われ金に困窮した苦しみを味わった若かりし頃の苦労が災いしたのか、それだけではない気もするが、とにかく超弩級のケチであった。
ハイブランドの店に入ったことはほぼなく、物の品質も、相場も、何もかもわからない。
父と買い物に行くと、あまりの価値観の乖離に、驚きを通り越して悲しくなる。そんなにもお金を持っているのに、本物のブランド品を買うことより費用対効果で9割引のパチモンを買うことを選ぶ父。お金が山のようにあっても、高い買い物を何一つ体験できない、しようとしない父。一体どれだけの苦労をしたのか。
本物のブランド品を買ってきてくれなかったことに怒っているのではない(正直に言えば、単純に私にはハイブランドが似合わないので、あまり欲しくない)。こんなに分かりやすい詐欺師に騙されたという、恥ずかしい気持ちはあるが、それだけでは片づけられない、何とも言えない悲しさがある。
捨てることも売ることもできず、部屋の片隅で異臭を放つフニャフニャな数万円の日用品収納ケースと化している。いつかこれも良い思い出として気持ちの整理がつくようになる日が来るのだろうか。