「輪廻」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 輪廻とは

2008-05-04

http://anond.hatelabo.jp/20080504101421

1.

>一文字当たりの情報量が多いだけとも言える。文字数が減ったからと言って情報を圧縮したとは言えないぞ。

なんで言えないの?

一文字あたりの情報量が増えても、膨大な漢字の体系からその一文字の意味を探し出して解析するのにつかう労力が多いから意味がないってことかな?

2.

ちなみに自分は、漢字の魅力は情報圧縮というより連続語(連結語)の作りやすさにあると思う。

二語や三語だけでなく、二語+二語+二語とかの連続語を使うと段々便利さがわかってくる。

ex.京都大学人文科学研究所御一行様

たしかドイツ語とかでも連続語は作りやすいらしいけど、やっぱり連続させる語数が多くなるほど文字数の差が顕著になる。

その代わり「社会言語学」と「言語社会学」のように、語順を少し変えるだけで意味が変わってしまうから、

そのへん厳しくなってしまうのが難と言えば難。

3.

日本語概説」(渡辺実著)という本に、構文についての一見解がある。

それによると、簡単に言って、日本語英語化、英語中国語化、中国語日本語化がゆるやかに進行しているという。

ひょっとすると数百年後には、現在日本語の弱点とされているものが日本語長所と言われているかもしれない。

言語の機能も回り回って輪廻するものだとすると、人間的で面白いと思う。

2008-02-21

自殺輪廻

「やめろ!」

そんな幻聴のような声が聞こえた気もしたけど、僕は一歩を踏み出していた。思えば何一つ良いことがなかった人生だった。家は貧しく家庭は荒み、学校では苛められ、社会に出ても否定され、僕の心はズタボロだった。だからそんな幻聴のような声は無意味だった。だって今一歩を踏み出せば、僕は楽になれるんだから。やっと楽になれるんだから。この辛い現実からの出口を抜ければ、全てを終わりにして解放されるんだから。そのため、僕は高いビルから落ちながらも、恐怖や興奮などよりも安堵に包まれていたのだけど、地面にぶつかる間際に「馬鹿が」という再び幻聴のような声を聞き、それが何かと考える間もなく、ぐちゃりと潰れた。

鈍痛によって僕は気が付いた。そしてそれが酒瓶によるものだとすぐにわかった。物心つく前からアル中の親父によく酒瓶で殴られていたのは伊達じゃない。特にこの全体にジンワリとくる痛さは親父がよく飲んでたまあるい安焼酎の瓶だろうなっと思い目を開けると、本当に親父に安焼酎の瓶で殴られていた。何が何だかわからないが、湧いてくるのは憤りの気持ちではなく、哀願の気持ち。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。ゆるしておとうさんごめんなさいぼくがわるいこだからごめんなさい。ゆるしてゆるしてゆるしておとうさんごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。鈍い痛みと共に、そんな子供の時と同じような感情が滝のように流れ込んできて、すぐに気を失った。

「おい、大丈夫かい僕?」僕は僕の声で目が覚めた。顔を上げて目の前を見ると、疲れ切った様子の男が立っていた。そしてそれは聞くまでもないくらいに僕だった。「まあ、いろいろあるだろうけど、まずは話をさせてもらうよ。」目の前の僕は疲れた様子のまま続けた。「まず、言っておくけど、ご覧の通りに僕は君。精確に言うならば1回前の君だよ。ところで。」目の前の僕が僕を見る。「自殺したら天国に行けないって話は知ってるかい?」「……え?あ、ああ。」聞きたいことは沢山あったし、言いたいことも沢山あったけど、目の前で話してるのはどう見ても僕だったし、喋り方や間の置き方、そういった所作も全て僕だったから、僕は僕の言う通りにすることにした。「ありがとう。さて、自殺の話だったね。天国に行けないんだとしたらどこに行くと思う?」「……地獄じゃないのか?」「そう、地獄地獄だね。でも地獄というのは場所じゃない。天国がどうなのかは知らないけど、少なくとも地獄は場所じゃない。」「え…?じゃあ何なんだい?」「状態だよ、状態。さて、自殺に関しての話だけれど、他にも一つ聞いたことがないかい?」そう言われてみれば聞いたことがあるような。あれは確か小学校の時に図書室で読んだ――「ほら、小学校の時に図書室で読んだじゃないか。世界各国の死生観を集めた本で。」え!?どうしてそれを!?自分でさえ忘れていたようなことを!?そんな思いが顔に出たのか目の前の僕は呆れた顔をして言った。「だから言ってるじゃないか。僕は君だって。」未だに呆然とする僕を放って置いて彼はただでさえ下がりきっていた肩を更に下げて続けた。本当に疲れているようだ。「さて、その本にあった通り自殺すると、また人生をやり直しさせられる。その人生自殺することがなくなるまでね。」「……え?」「ほら、さっき体験しただろ?子供の時と同じような虐待を。僕たちは傍観者なんだよ。」「傍観者?」「そう、傍観者自殺をしてしまった瞬間からね。感覚はそのままで、必死に頑張ったところで声を届けられる程度で、そして自殺をすることなく人生を終えるまで永遠に体験させられ続ける傍観者。」「じゃあ……あの幻聴は……もしかして?」「そう、僕と僕たち。必死に叫んだんだけどね。」彼の心底疲れたような顔を見れば嘘じゃないのがわかる。それもそうだ。ただでさえ自殺するような人生を送り自殺した後に、またそんな人生を体験させられたのだから。……え?ということはもしかして……いやもしかしなくても……「君もわかったようだね。さて、もう終わるよ。僕も疲れたからね。ここの決まりとして前回の僕が新たに来た僕に説明することになってるから、もし次の僕が来たらよろしくね。」どこまでも疲れ切った彼を見てその理由がわかった気がした。1回体験しただけであのようになってしまうのだから、2回体験したらとても説明なんてしてられないだろう。2回で説明できなくなるんなら3回体験した人は?4回、5回、6回体験した人は?10回、20回、30回体験したら?100回?1000回?10000回体験してしまったら!?想像しただけで余りの恐怖に襲われた僕は、彼に別れを告げることもなく、再び気を失った。

その後は繰り返しだった。家では殴られ学校では苛められ、そんな毎日の繰り返しで日々卑屈になり腐っていく僕。そんな僕をただ見ることしかできずに同じ苦しみを味わい続ける僕。現実の僕が見てる映像が映るスクリーン以外は真っ暗闇でほとんど見えない映画館のようだったので、他の僕を見ることはできなかったけど、現実の僕が辛い状況になると呻き声が聞こえてくるのでどこかにはちゃんといるようだ。しかも呻き声が地響きのようになるくらい大量に……。何とかして自殺する人生を止めさせようと叫んではみるのだけど一向に通じる気配がない。時折、現実の僕が弱ってて、この僕が懸命に叫んだようなときに、かすかに聞こえているみたいだけど、現実の僕はほとんど気にも止めないし、気に止めたところで変えようとなんてしない。そんなことで変えられるくらいなら、最初っから自殺なんてしてはいないだろう。でも叫び続けた。1回の途中なのにこれだけ辛いんだ。先のことを考えると本当に気が狂いそうになる。だから懸命に叫び続けた。どんなに無駄だとわかっていても。そうせずにはいられなかったから。だけど、その甲斐なく現実の僕はビルを上る。やっと解放されるんだと浮かれ気分でビルを上る。そこは出口じゃないんだ。地獄への入り口なんだ。懸命に叫ぶが彼はついに上り終え、屋上へと着いた。辛かった人生を思い出しながら網を乗り越え地面を見下ろす。そして一歩を踏み出そうと足をあげる。それでも僕は諦めずに全身全霊で叫んだ。

「やめろ!」

2008-01-18

ひいばあちゃんが死んだ

去年の年末の話だ。

ひいばあちゃんが死んだと、実家から連絡が入った。

すぐ実家へとび、すぐに通夜お葬式が開かれた。

つっても、あんまり親戚は集まってなかったし、集まった親戚も葬式特有の暗さは全く無かった。ていうか、久しぶりにあった親戚同士談笑していた。

それもまぁ有る意味当たり前で、ひいばあちゃんは結構前からもう、老人ホーム的なところで、「ただ生かされてる」状態だったから。言い方悪いが、ぶっちゃけほとんど死んでたも同然だったのだ。もうここ1年ほどは、誰に会っても何の反応もできない状態。ときどきスタッフの人が寝返りうたせて、点滴うたせて、痰とって……本当にただ生かされているという状態だった。それが、ある時熱を出して、ころりとそのまま逝っちまったらしかった。

「まあそろそろかと思ったよ」皆そんな感じの雰囲気だった。不思議な雰囲気だった。皆別に、ひいばあちゃんが嫌いだったわけじゃない。つーか寧ろ好きだった。でも、別に、今特別悲しくて仕方が無いというわけでもなく、といって「マジたりーな。ったくこんなときに」とか言うほど悪態をついてるわけでもなく。ただただ「まぁ……こんだけ生きれば大往生だろう」「そうだね」「最後まで肌きれいだったなばーちゃん」「本当だ!これで90か!すげー!」(<ばーちゃんの遺体を見て)

そんな感じだった。

正直最初俺は「おいおい不謹慎じゃないか?」と思っていたが、徐々に「そういうわけじゃないのかな?」とも思えてきた……なんという感覚か表現しづらいのだが。大体、俺自身、そんなに悲しくなかった。悲しいといえば悲しいけどべつに涙は出てこなかった。「そっかーばあちゃん死んだんか……」なんともいえない感じ。

俺はこれまで、死ぬ時は大々的に葬式が行われて皆が悲しむほうが、親戚がちょろっと集まるよりよっぽどいいと何となく漠然と思っていたがそれは寧ろ逆かもしれないと思った。死んでも、そんなに悲しまないレベルまで、「まぁそろそろ死ぬ年頃だしな」そんなレベルまで生きた方が寧ろ幸せなのかもしれないと思った。死んで、大々的に葬式が行われて皆が悲しむなんて、悲しさを増やすだけだ。自分が死んだとしても、今のひいばーちゃんくらいの感じの方が寧ろいいんじゃないかと思った。例えば俺が幽霊になったとして、自分の死後葬式を上空から見れたとして、たくさんの皆がヒーヒーいいながら悲しむのを見るより、ひっそりと「まぁ大往生ですよ」「まあそういう年だったからね」とか言われながら無難にこなされるほうが、多分、いい。悲しい事は少ないほうがいい。

思えば俺は、人の死というのを初めて見た。俺が生まれてから20年、俺の親しい人はまだ誰一人死んでなかった(死んでたとしても物心つく前)。物心ついてから「身内の死」を体験したのは、これが初めてだった。

そして、人の「死体」を初めて見た。チラっとだが。正直怖かった。生で見た事が一度も無かったしグロ画像は徹底的に避けてきた俺だ……皆がチラチラ顔の白い布をとって顔を見ていくのを俺は「すげーな…よく皆見れるな」と感心していた。見てみると、まるでロウ人形みたいだった。タッチじゃないけど「死んでるんだぜ……信じられないだろ」的な感じだった、確かに。陳腐だが生命の不思議さを思った。この今動いていないロウ人形みたいな物体が、昨日までは一応、心臓がバックバック動いて、血を全身に流していたんだ。昨日のそれは「生きてる」で、今のこれは「死んでる」なのだ。ここにある身体を構成している、原子や分子はほとんど変わっていないんだろうに、昨日は「生きてる」で、今のこれは「死んでる」なんだぜ……すげー不思議な気がした。

そしてひいばーちゃんを焼く事になった。

これで俺はまた無知ゆえに驚いたのだが、なんと本当に人間死体を箱にいれて、そのまま焼却炉みたいなところにいれて焼くというのだ(当たり前だろ!!っていうかもしれないが)。それを皆で見てるんだぜ。死体入れて、火つけるとこまで。てか、火つけるボタンは自分で押せってんだぜ。なんという火葬の厳しさ。土葬とは比べもんにならないほどリアルに死を感じざるを得ない(って土葬もよくしらんけど)。そこまでしているとは知らなくて俺はただただ驚いた。まるで「ひいばーちゃんは死んだ。死んだんだぞ。さっきロウ人形みたいで、生きてるように見えたかもしれないけどやっぱり死んでるんだぞ。もう戻らないんだ」とつきつけられている感じ。何故そこまでする必要があるのか、俺らの場合ひいばーちゃんだったから冷静に見ていられたものの、これを交通事故で小さい子供をなくした親にもやっているというなら物凄いことだと俺は火葬がちょっと怖くなった。土葬みたいになぁなぁにして片付ければいいのに、ここまでする必要があるというのか?日本らしくないじゃないか。こんなに白黒はっきりつけるなんて。

そんな事を考えていたらさらにものすごいことがおきた。その火葬から数時間後、今度はお骨を拾うというのだ。俺はまた無知ゆえに、「お骨を拾うつっても、大体スタッフの人が手はず整えてくれてて、骨をあらかじめ砕いたりして壺にいれてくれてて、俺らはちょっと最後にそれを箸でやるだけだろ?」なんて思ってた。そしたら、皆知ってると思うけど、普通にさっき焼いた焼却炉を開けたのだ。出てきたのは、ボロボロの骨たち。俺、生で人骨見たのも初めて。ビビった。更に思った。「ここまでするの?ここまでして死をつきつけんの?すげーな、火葬。すげーな、日本……皆これをかいくぐってきたってのか」と。死体のままに置かれた骨だよ。生々しすぎる。そのまんますぎる。なんという死。完全に死だよ。紛れも無く死だよ。ひいばーちゃんのあの肉体はもう焼かれて灰になったんだ。頭じゃ分かってるけどそれをダイレクトに、完全に、脳に伝えてくるこの骨。そしてそれを、親戚数人で、箸もって、ここから骨を拾って、リレーさせて、壺にいれろっつーの。マジかよ、おいおいおい。お骨を拾うって、なに。そういうこと?!本当にそのまんまの意味なの?!ビビった。本当ビビった。何ちょっとこれおま……「死」じゃん。「死」だよ。死に、触れまくってる。俺。

骨をリレーさせた。うわ。段々麻痺してくる。この異常な状態に。皆「やっぱ年だからスカスカやね」とか言ってる。俺も「本当だ」とか頷いてる。なんだこの異常な……いや、これこそが正常なのか?これ、俺が今掴んでるこの、そこにいるスタッフが「それは大腿骨だよ」といったこれは……ばあちゃんの足にあった骨なんだ……昨日、ロウ人形みたいになってたひいばーちゃんの皮の下の筋肉の下にうもれてたもの……俺が小さかった頃、ひいばーちゃんのももに座ったとき、あのときも下にあったもの……それが今俺が掴んでるこれなんだよ。どうなんだよそれは。生きるって……生きるってのは、全然たいしたことじゃねえんだと俺はそのとき思った。人間生きるなんて全然たいしたことじゃない。骨を見たとき思った、これはあれに似てるんだよ、フライドチキンの骨に似てるんだ。フライドチキンの骨って、いつも全然意識してないけど、あれって鳥の骨なんだよ。生きてた鳥の骨だったんだよ。人間が死ぬのも、それと全然変わりねーんじゃん。人生とか言っちゃって、人間は何故生きるのか?とか言っちゃってるけど、別にやっぱり結局、人間フライドチキンになった鳥と同じじゃん。支離滅裂だけどそんなような事を骨リレーの間ずっと思ってた。何がどうあろうと死ぬし、死んだら、こうやって焼かれて、骨になって、俺も誰かに骨リレーされて、あのスタッフが持ってる壺んなかいれられて、残りの骨は土に返るんだ。土に返るってのは本当その通り土に返るんだ。土に混ざって土になるんだ。それはもともとは、今こうして俺がキーを打ってた、この指の骨だったのかもしれないけど、それはいずれそうやって土の上に捨てられたりしてあるいは壺に入ったりして……そんでその土の中で微生物とか動いてて。みみずとか動いててそういうのも全部死んでまた何か生まれてきて死んで生まれて土ってのもそのうちなくなるかもわからない、それでもしかしたら地球もなくなるかもわからない、でもそのいつだったか俺を構成してた原子は……なくなるのか?どこへ行くのだろ?俺を構成してた原子とかは散らばってまた違う何かを構成していくのか。なら死ってのは、あくまで俺を構成してた、それらのチームが解散するだけの話?ていうか、死っていうか、生と死って、白と黒、みたいな感じじゃなくて、生―死―生―っていうか、いや、っていうより生とか死とかいう概念がそもそもこの全体の流れを無理矢理名付けたものであって、生って……そういう意味じゃ別にたいしたこっちゃないんじゃないか……

そんな事を思った。

そういうのを輪廻っていうのかな?と思ったけど仏教に疎くて分からない俺。

リレーした骨は壺にいれられた。ひいばーちゃんがあそこにおさまっちゃったよ。すげぇ。この葬式システムってすげぇ。死を認めざるを得ないこのシステムってすげぇ。これ昔の人が考えたの?昔の人凄すぎ。俺なら死が怖くて避ける。死んだ人埋めてなぁなぁにして済ませたい。何かで土葬はそう言う意味では未練がましい、火葬は完全に「死」が分かるが、土葬は未練がましさがある、土から復活してくるゾンビや何かもそういった欧米諸国の死のなんちゃらをどうこうと言うのを読んだ気がするがなんとなく分かった気がした。確かに人を人のまま埋葬する土葬は、有る意味未練がましい。それがいいとかわるいとかじゃなくて。火葬は激しすぎ。どっかのアフリカの部族が、死んだ人の頭蓋骨を枕にするとかいうのも聞いたけどそれは火葬以上に激しいかもしれない。昔の人、死、意識しすぎ。すげぇ。俺はそんな度胸なかった。

通夜葬式って正直言って本当面倒くさかったけど、あれはやっぱり本当、生きてる人のためにあんだな。生きてる人が「はい、これで、彼彼女は死にました、以上!解散!」的にケリをつけるためにあんなに長々とやるんだ。

なるほど。ひいばあちゃんはそれでも俺の心の中に生き続けてるだとか、そういうことは思わない。ひいばあちゃんは列記として死んだのだ。死んだし、生きてたのだ。悲しさもあるが、それは、生死に限らずなんでもそうで、時間は、そんなこと気にせず動いてくのだ。死んだのも、事実で、悲しいのも、事実で、でもそれでも進むし、俺も死ぬし、それでも多分人間はまだ生きてて、そいつらも死んで。その流れそのものを止める手立てが出来れば、人間はそこで本当に特別な存在になれるのかも。今の状態では、また他の動物よりなんかよーわからんけどごちょごちょやってるよってだけに過ぎなくて、全然この流れに対抗できてない。病気とか治せても、寿命ちょっとばかし延ばせても死ぬことにかわりがない。俺の意識というこのものを再び俺が死んだ後にも復活できたら人間は特別なものになれるかも。わかんない。でも本当、宇宙とか、なんとかより時間っていうのか、この流れっつーのか、あまりに大きすぎる。陳腐だけど俺は本当ちっぽけ、ちっぽけもちっぽけ、ていうか、もうどうでもいいというか……本当どうでもいい存在なんだと思った。いい意味で。

2008-01-17

新説?輪廻解脱ニルヴァーナ

僕は哲学とか宗教とか倫理観にちゃんとしたバックボーン(哲学科とか)がある訳ではないので、諸所の綻びがあるとは思いますが、お手すきの方に読み流して頂ければ……。

百億の昼と千億の夜」(光瀬龍)とか「幼年期の終り」(クラーク)を読んでいて、輪廻転生であったり解脱に対してのちょっと角度の歪んだアプローチを思いついたので、メモがてら書かせて下さい。

『こんなん全然新しくねーよ!』な方は、既に語られてるそっちの説について教えて頂けると嬉しいです。読みにいきますw

以前はてなでバークリを教えて頂きまして、非常に楽しませて頂きました。今回も新たな発見に期待。

輪廻解脱ニルヴァーナ

解脱」っていうのは、一つ上の次元・階層で目覚めること。なんじゃないかと思ったんです。

例えば細胞って、それ自体生きてるし分裂という形で繁殖世代交代もするじゃないですか。だけど細胞たちは自分が「"僕"の細胞60兆分の1」である意識は無い。(…と、思う)

だから、僕らが"細胞"的な存在でない、とは言い切れないよなー。と時折思うのです。

"国家"(←これはちょっと違うか)とか"地球"が、"宇宙"にとっての心臓とか肝臓みたいなものかもしれないし、むしろ"銀河"がもっと上の何かの胃かもしれない?

個人的には、その"もっと上の何か"が「神」なのかなー、なんて思ったりもしますが。

だから"細胞"である僕らの1サイクルが終わったときに、次はその一個上の"僕"(仮に"神"としましょうか)の意識として目覚められたらいいな、と希望的に思います。

人間として死んで、人間に生まれ変わる("細胞"→"細胞")のが「輪廻」。

人間として死んで、上の階層に生まれ変わる("細胞"→"神")として目覚めるのが「解脱」。

……って解釈はどうでしょう?

2008-01-09

今日の俺の増田書きは「ハリセンボンの箕輪に似ているのか」の話題だけ。

ああやって誰彼構わず仇だと思い込んで不特定多数因縁付けて生き続けていくんだな。輪廻に陥ったってやつだな。もう何を見ても誰を見ても全部仇に見えるんだろうな。

まさに統合失調症の妄執症状って感じだな。その妄執が強化的に自分を狂わせていき魑魅魍魎と化していくんだ、ということに気が付かないんだろうな。

まあそんなのを毎日続ける気なら冗談でも無く本当にお前の精神は狂っていき日常も仕事も壊しちまうぞ?・・・もう匿名であれば増田でも2chでも誰を見ても仇だと勘違いして狂ったように火病起こすようになって狂ってくんだぞ?…それが分からんのか、体だけ大人の餓鬼が。

それにしても此の先被害者は増え続けるんだろうなw…心の叫びを書いたら、訳の分からない基地外地味た奴に変なレスつけられるなんて、可哀想なこった。

2007-11-18

anond:20071118132244

普通、祝われたら祝い返さなきゃいけないじゃないか。ということは祝ったら自分のとき祝われるってことだろう。その輪廻が鬱陶しいんだよね。」

「えー何それ、私との付き合いが鬱陶ってこと?

誕生日プレゼントなんて大して鬱陶しいことじゃないじゃない。

そんなにいやなら貰うだけ貰って押入れの中にでも入れておけばいいだけだし、男女の付き合いだと鬱陶しいことなんて山程あるよ。

ってか、そんなに私から貰うのがイヤなら別にあげないよ」

「実は誕生日にはイヤな思い出があって・・・」

「誰もおめーの思い出なんか聞いてないつーの。『相手が喜ぶことをしたいかしたくないか』それだけだって」

「君はボクの暗い過去を分かってない」

「だから何があったが知らんけど、過去の不幸を理由にするなって。やっぱり同調しないとダメなわけ?今が問題なんだろ、今が」

「僕の理想は何があってもニコニコと微笑んで受け入れてくれる人なんだ。君みたいな人じゃない」

「微笑んで欲しけりゃキャバクラでも行けば?商売だからいくらでもそうしてくれるよ」

http://anond.hatelabo.jp/20071118130903

普通、祝われたら祝い返さなきゃいけないじゃないか。

ということは祝ったら自分のとき祝われるってことだろう。

その輪廻が鬱陶しいんだよね。

自分から断ち切るしかないんだよね。

2007-10-31

永遠に関するつぶやき

僕には、みんなが普通に生活を送っていることが

ときどき、とても不思議に感じられる。

人はいつか死ぬ。

当たり前のことだけれど、

しかしゆるぎない真実であって、

これが僕にはひどく恐ろしい。

死の痛みは怖くない。

自我喪失は怖い。

怖いけれど、僕が本当に怖いのは永遠だ。

幼稚園小学校低学年の頃、

テレビサンタクロース人形劇をやっていた。

サンタクロース子供好きなただの老人だった。

みんなにプレゼントを配っていた、やさしい老人だった。

やがて、サンタクロースは天寿を全うして死んでしまう。

神々は会議を開いた。

老人のような神、黒い山羊の姿をした神がいたのを覚えている。

神々は話し合う。

我々には永遠の命があるが、人間はいつか死ぬ。

私たちから見れば、人間の一生はあっという間だ。

しかしサンタクロースをこのまま死なせるのは忍びない。

そうだ、永遠ローブを与えよう。

永遠ローブをまとえば、永遠に生き続けることができる。

かくしてサンタクロースは生き返り

世界中子供たちに夢を与える存在となりましたとさ。

おしまい

僕はこの物語を見て、「死」というものを理解した。

自分がいつか消えてしまうということを知って、

その夜、枕を涙で濡らした。


小学校高学年になって、手塚治虫の「火の鳥 宇宙編」を読んだ。

その物語の中で、宇宙船トラブルが起きてしまい、

乗組員それぞれが一人乗りの船に乗って、脱出するというくだりがある。

そして、その中の一人は、軌道がかすかにずれてしまい、

みんなと一緒の方向に行けず、宇宙の果てまで孤独に流れていくこととなる。

別の一人は、惑星の引力に捉えられてしまい、永遠にその星の周りを周ることになる。

マンガとはいえ、「永遠」というものを肌で感じられたような気がした。

永遠ってなんだ。

永遠とは「終わらないこと」だ。

つまり、死んだ後も、その状態は終わらないということ。

永遠に続くということだ。

永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に永遠に・・・

死に続ける。

死ぬということは、消えるということはそういうことなのだ。

そして、永遠の命を得ようとも、

天国地獄があろうとも、

幽霊になったりしようとも、

輪廻を繰り返そうとも、

永遠からは逃れられない。

空想の世界でさえ、永遠から逃れることはできなかった。

それからは、そのことを忘れるように努めた。

思春期、ときどき授業中などに思いだしては、身を震わせて恐怖した。

そしてすぐに頭から振り払った。

まともに考えていては、頭が狂ってしまいそうだった。

そうしたまま、逃げ続けて現在に至るのだけれど、

今でもまだ夜中に恐怖にかられることがある。

その恐怖は、衝動的と表現しても差し支えないくらい、強い。

どうしてみんな、普通に生活していられるんだろう。

たしかにどうしようもないことだ。

だけれど、このことについて語る人はあまりにも少ないし、

誰もあがこうとしていないように見える。

みんな、僕のように逃げ続けているのだろうか。

それとも、折り合いを付けているんだろうか。

僕には到底マネできない。

2007-10-26

http://anond.hatelabo.jp/20071026231127

エントリをずーっと拾っていってもらえればそこに戻ります。

輪廻でしょうか。

2007-10-18

処女だけどまんこの中に初めて異物つっこまれた 続

本人です。

皆の意見を読ませてもらいやしたが

あれは結局カメラだったのか何なのか…大体何もいれたことないから、いれたところでわからんのだよなあ。産婦人科って、股だけおっぴろげて医者と患者見えないように仕切りとかあるじゃんね。だから余計何やってるのかわからんし。まあ下からちょっと見えるからなんとなくはわからんでもないんだけど。

子宮がん検診もついでにやってもらうぜ!って思って馳せ参じたんだけど、股おっぴろげーした途端先生が「あれっ!?生理中ですか!?」って驚いてた。あやっぱ、血だらけの股じゃアウトでしたか。先生ビビったろうな。毛も剃ってないし。その上血まみれだぜ。き、汚ねえー!!しかも臭そう。臭そうっていうか、もう確実に臭かったよ私の股。臭い・汚い・血液まみれ、の3Kだよ。先生、可哀想。3Kの股見せられてかわいそう。まあ医者なんて全然見慣れてるんだろうけどさ。

いやでも生理痛見てもらうのは生理中がいいって聞いたんで……とかいって結局子宮がん検診は後日になったんだけど正直もう行きたくねぇー……。なんていうか痛いわけじゃないけどキモォッ!って感じ。うんこ逆流した感じ。耳かきしてたらはいってはいけないところにまで耳かきが届いちゃった感じ。医学もっと発達しねーのか?なんかこう……エコーで全部なんとかなるような感じに……うまい具合にさ……胃カメラとか断固やりたくないよ。私が胃カメラを必要とするときにはカプセル胃カメラみたいなアレが完成してるといいな……

そんで結局何がはいってたかはよくわからんのですが写真はもらったからなんか撮影してたことは確かなんすよね。

「はい、画面見えますか?これが右の子宮ですねー。きれいですね。何もないです」

って、わかんねえっつうの。子宮ですねとか言われても、胃と区別つかねえっつうの。

「ハァ……さいですか」とか股おっぴろげながらやる気ない返事するしかない。

「こっちが左の子宮です。うん。何もないですね」

まんこの中でカメラ的なものをぐるっと回した感じの感覚。ぬおっ。ナメクジを誤ってつぶした感じにキメエ!屁が出たらどうしようとか考え出す私。……先生……もしこいちゃったらごめん……ここでこいたら先生の顔にストライクです……

で結局「まあ、若さゆえでしょうね。子宮がまだ幼いんです。体に比べて」とか診察室で言われた。

ってまさかそれあれか?殿方と交わってないからみたいな?未成熟みたいな?青い果実みたいな?それは美化しすぎか。

ウッソーン。何?エロ妄想とかすれば子宮は育つんか?すくすく育つんか?でもエロい妄想なら結構してるんですけど…。先生その辺どうなんですか?やっぱエロですか?

とは当然言えず、

「ハァ……さいですか」と言うしかなく。

「痛み止めだしておきますよ」

って言われたけど私には既にサ○ウ製薬の心強い味方が(多分擬人化すると小池徹平的な)あるんで……アレマジ効くぞ!救急車呼ぶ前にも飲んだんだが、そしたら救急車に乗ってる間にそれがききはじめちゃったくらいだったから。それはそれで焦った。救急車つくまでは、「早よう、早うつけヤァアアアもうダメやわてもうあかん!!!もういい!今からマジで気絶するマジで。気絶したら痛みなくなる」とかいって頭ぶつけようとしてたくらいだったのに、救急車に乗ったあたりからドンピシャで効いてやがる、この薬。オイオイオイ今更かよぉー、人見知り激しいこの私がなんとかギリギリまで我慢してそれでもダム決壊してようやく呼べたっつーのにお前……今更何?!効いてきちゃうわけ!?やべえってそれはただでさえ「生理痛で呼んでいいものだろうか?」と悩んでネットで「生理痛 救急車」とかで傷みをこらえながら検索して「よし……呼んでる人……い……いる……」って確かめたくらいなのにお前……ここでお前おさまっちゃったらお前……救急隊員しらけるよ?!マジで。やべえよーどうしよ。医者に怒られる。「ただでさえ医療崩壊してるのにアンタって人は!」とか怒られたらどうしよ……やべーよ。痛み、寧ろ、一時的に復活せよ!とか私を悩ませたほど、効いた。

(後で「すみませんでした……こんな事で呼んで……」とか言ったらお医者さんは「いえいえいえそれはいいですよ。寧ろ、我慢せずに呼ばないとダメですよ。遠慮して取り返しつかない事になったら余計大変な事になりますから」と言ってくれた。処女だからそれだけで惚れそうになった。男の接点とか家族以外基本的に皆無だから)

まあ若さゆえならこの先年くうごとに治るんだからまあいっかー月一度だし薬飲めば大丈夫だろ。とあっさり復活したのだが(てーかグジグジ悩んでもしょーがないしな)寧ろそんなことより「まんこに結局カメラもしくはカメラ的なものが入ったのか?入らなかったのか?処女膜とかどうなったのか?」とかその辺の方が(いや最後はウソだけど)気になってしまった。あれがまんこにはいってたとしたら、寧ろ、案外痛くはなかったんだが、なんつーかキモいのだよね。「えっ?そんな後ろか?!」って感じ。「それもうほとんどケツの穴じゃねえ!?」みたいな。自分が股を意識する時って、処女だから、基本的に尿出すところを意識しちゃってるから。だから凄い不意打ちくらった感じで。

あっ。ていうか、処女ってやっぱ産婦人科の医者にバレたんだろうか!?

「この人この年齢で処女なのか……」とか思われてないだろうな。いやまないだろうけど。そんなに医者暇じゃないっつーのって話なんだろうけど。自意識過剰だけど。気になる。

友達に「つーことで救急車に初めて乗った。二度と乗りたくないけど」と言ったら意外と「私も乗ったよ。生理痛で」って子がいた。マージーでー。ブルータス、お前もか。腰回し運動がいいらしいよだの漢方マジ効くよだの情報交換となる。どうせ生理痛があるなら、どうしたらなくなるか開発してみっか。と前向きになってきた自分。妄想族なので、即座に新しい生理痛に効く運動を開発しベストセラーを出す自分とかを妄想しだす(こういう事は日常茶飯事。電車に乗ったら基本的に民家を飛び移る忍者妄想している)そしてインタビューを受け、「そうですね。当時は私も処女だったので」とか言ってる自分を妄想インタビュアーは「えーっ。そうだったんですかぁー?」と信じられないといった顔……とかそこまで一瞬で妄想しきった。マジで自重しろ私。

うん。私、救急車に乗ったりもしたけど、元気です……とか心の中で締めようと思ったら、友達が。

「そういえばさー。私、彼氏できてさ」

へー。そうなんだ。カレ……

ええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!

おまっ……今まで……同じ処女仲間だったのに……おま……

「この前ホテルいったんだけどー」

おおおお大人の階段のぼっとるううううううううううううううう

こ、こいつ……既に貫通済みか……と友人に対して男子中学生のような妄想をしてしまった。

まあある意味私も貫通済みだけどね。カメラで。だから多分私も彼氏がいるようなもんだと思う。日々彼氏妄想してるし。ていうかこの前は妄想の中で出産したし。その上妄想の中で子供成人式迎えて、私は定年退職して、おばあさんになって、最後は家の布団の中でねむるように死んで、息子と娘が、私の亡骸を燃やして出た煙を見つめながら「お袋……いい逝き方だったよな……」「そうね……」とか言ってるのを天国から見守って終了というところまで既に妄想してるからね。最早彼氏っていうか夫っていうか一度輪廻済みだから。

http://anond.hatelabo.jp/20071018024155

2007-10-06

最近流行りの「ループもの」

痛いニュース(ノ∀`):【ケータイ小説モバゲー小説大賞で優秀賞を受賞した作品がエロゲの丸パクリな件

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1037943.html

メビウスの輪」ってケータイ小説がC†C(CROSS†CHANNEL)に似ているっつかパクりだったって話なんだが。

ふと思うと、この主人公輪廻ものっつーかループものが昨今流行りすぎている気がする。

そもそもエロゲーなどのマルチエンディングゲームの場合、プレーヤーは仮想ループ状態に入ることが多い。

# ループしている生活の中で誰のフラグを立たせるかっていうのがあの手のゲームだから。

それをシナリオ上でループさせてやろうってパターンゲーム最近多いような気がしてきた。

CCがそれなら、マブラヴループものに当たるだろう。

ちょっと違うかも知れないが、ひぐらしループ系に似た展開をしていると思われる(やったことないから保証無いけど)。

そしてこの話。

52 名前: カメラマン(長屋)[] 投稿日:2007/10/02(火) 13:28:08 ID:y9JdE/+s0

ループ物ってSFでは超ベタだからなあ

58 名前: ロマンチック(栃木県)[sage] 投稿日:2007/10/02(火) 13:28:26 ID:UkNAp+qn0

ループモノというジャンルはあるが、

ここまでそっくりなのは盗作だろう。

ベタジャンルとして確立しているとはいえ、最近の(ラノベエロゲの)大作って概ね「伝奇もの」か「猟奇もの」か「ループもの」に集約されている気がする。

# その中でななついろみたいな「魔法少女もの」も根強い人気があるのもおもしろい話だが。

で、何が言いたいかって言うと。

ループもの飽きてきた('A`)

2007-06-03

anond:20070603110659

インド人にとっての死は永遠輪廻における無限回のリセットのひとつにすぎない。

だから死も割と身近に見られるんだよね。

2007-05-24

http://anond.hatelabo.jp/20070524155509

「肉体が死ぬたびに前世記憶をすべて引き継いだ輪廻永遠に続きます」

が、近いかな?

それでおれの見たい「宇宙の結末」が見られたとしても、今こういうことを夢想しているおれの欲求が満たされたことになるだろうかと言われると難しいなあ

2007-05-17

はてダの方で弱音は吐かないことにしているから、こっちにメモ

周囲の人を愛すれば愛するほど迷惑をかけまいと自分の中のいろんな部分が閉じてしまって鬱積していくから、存在を与えるという究極の行為を以って接する対象(「相手としての人工物」の究極的なもの?)にしか開けないというのは、長らく抱えているジレンマだけど、その対象も直ぐに他の人と同じになってしまうことが想像できているから、もう逃げ場がない。

だからって自分側は簡単には変われないし、無理に変えても人格が増えるだけだっていうのは身をもって知ってて、本当に逃げ場がない。

折角作った人格は意図的にスイッチできるようにしないといけないけれど、難しい。

アンネ・フランクにとってのキティが、僕にとってのネットで、

アンネ・フランクにとってのナチスが、僕にとっての世の中で、

なんか、相性悪いのかなぁ、とか考えてみたり。

もう増田だから書いちゃうけど、自殺した友人に対しての周囲の人々の反応がとても醜く見えた。

見ていて嫌だった。

2年以上答えを出さずに、フっては戻りだらだら続いた関係も、もうそろそろ終わりにしようと思う。

今度こそ泣かずにフるんだ。

これ以上あの人の未来を奪うわけにはいかないし、それを背負うだけの覚悟がない。

そういう覚悟ができるのが恋人っていう1:1の契約をするに相当する恋愛感情なんだってことだって確信した。

10年来そんな人はいない。

もーなんか、やだなぁ。

国のために研究に身を捧げて殉職(←文字通りではなく)するくらいの覚悟が出来てたのに、

人一人の人生なんてこんなにちっぽけなもんだから輪廻でも適当に信じてればいいやと思ってたのに、

友人が残してしまった欠片が疼くと、自分の幸せについて考えてしまって、また弱くなってしまった。

どうしたらいいんだろう・・

2007-04-11

や、それは危険

http://anond.hatelabo.jp/20070411000308

人間も元は野生生物だった関係上、飢餓に対する防御システムは持っているが飽食に対するシステムは持っていない。(例えば、血糖値を上げるホルモンは何種類もあるが、血糖値を下げるホルモンインスリンただ1種類しか持っていない。)だから、食べようと思えばいつでも、いくらでも食べられる現代のこの状況は、生物としての人間にとって未曾有の危機的状況とも言える。食欲は最適体重に向かってコントロールされるわけではないから、食べ続ける限り、間違いなく食べ過ぎになる。過剰に摂取された栄養は、飢餓記憶しか持たない体によって、貯められるだけ貯められてゆく。

そして、太っていると何がまずいかというと、内臓諸器官に過負荷がかかる。特に循環器系、わけても心臓筋肉や軟骨なども物理的に消耗する。つまり、寿命を削ることになる。

問題は、食べるという行為そのものが恐るべきストレス解消効果を持っているということである。この効果を侮っているものは必ずダイエットに失敗する。食べることの量・質を減らす場合、その代償が必要となる。強靱な目的意識はその1つとなりうるが、誰もが維持できるものではない。ストレス食いの自覚のある人は、注意が必要だ。生活でストレスを蓄積し、食事でそのぶんを解消する、という輪廻を既に構築してしまっている、ということである。

肥満が気になり始めているということは、ノーブレーキで漕ぎ出していることに本能が薄々勘づいている証拠かもしれない。どこかで輪廻を断ち切らない限り、命は削られ続ける。

2007-03-19

プア・スパイラルの実体

面倒なのでトラバせずにとりあえず書くけど

貧困輪廻から解脱できない理由を社会に求めたくなるのはじゅうぶんわかるのだけど、というか、そういうので苦しんでいる人も当然いるのだろうけど、経済とか教養のpovertyってもっと深刻なものを孕んでいると思うのね。それは、要するに、中流以上の生活とか、教養のある人生とか、そういうチャンネルがその人に形成されないってこと。そういう世界を、自分のものとしてとらえることができないってこと。それこそ非モテの話じゃないけど、「まともな恋愛」ってものがあるとして、それを見聞きしたことがなければ、とてもじゃないが自分のものにすることはできないよね。生活とか教養とかも全く同じで、裕福な生活を人生の成長過程でほんの一瞬でもいいし、疑似体験でもいいから、自分のものとして味わったことがなければ、その人は裕福になりえないんだ。「知的」ってものを成長過程で一度も浴びたことがなければ、その人はどうあがいても知性を取得することができないんだ。

ちびまる子ちゃんは花輪くんの家に招待されることで「裕福」のチャンネルを獲得する機会を得たし、のび太しずかちゃん出木杉くんの生活に触れることで教養品格チャンネルを取得する機会を得た。でも、そういうの、今の日本にあるだろうか。どうだろ。

そういうことで言えば、元凶はこのゴリゴリに核化した社会にある、という言い方もできるのかもしれないけどね。

私の個人的な体験を言えば、高校に行って、はじめて「上流」というものに触れた。奴等には敵わなかった。そして、私はそういうものに触れるのが少々遅すぎた。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん