2008-02-21

自殺輪廻

「やめろ!」

そんな幻聴のような声が聞こえた気もしたけど、僕は一歩を踏み出していた。思えば何一つ良いことがなかった人生だった。家は貧しく家庭は荒み、学校では苛められ、社会に出ても否定され、僕の心はズタボロだった。だからそんな幻聴のような声は無意味だった。だって今一歩を踏み出せば、僕は楽になれるんだから。やっと楽になれるんだから。この辛い現実からの出口を抜ければ、全てを終わりにして解放されるんだから。そのため、僕は高いビルから落ちながらも、恐怖や興奮などよりも安堵に包まれていたのだけど、地面にぶつかる間際に「馬鹿が」という再び幻聴のような声を聞き、それが何かと考える間もなく、ぐちゃりと潰れた。

鈍痛によって僕は気が付いた。そしてそれが酒瓶によるものだとすぐにわかった。物心つく前からアル中の親父によく酒瓶で殴られていたのは伊達じゃない。特にこの全体にジンワリとくる痛さは親父がよく飲んでたまあるい安焼酎の瓶だろうなっと思い目を開けると、本当に親父に安焼酎の瓶で殴られていた。何が何だかわからないが、湧いてくるのは憤りの気持ちではなく、哀願の気持ち。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。ゆるしておとうさんごめんなさいぼくがわるいこだからごめんなさい。ゆるしてゆるしてゆるしておとうさんごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。鈍い痛みと共に、そんな子供の時と同じような感情が滝のように流れ込んできて、すぐに気を失った。

「おい、大丈夫かい僕?」僕は僕の声で目が覚めた。顔を上げて目の前を見ると、疲れ切った様子の男が立っていた。そしてそれは聞くまでもないくらいに僕だった。「まあ、いろいろあるだろうけど、まずは話をさせてもらうよ。」目の前の僕は疲れた様子のまま続けた。「まず、言っておくけど、ご覧の通りに僕は君。精確に言うならば1回前の君だよ。ところで。」目の前の僕が僕を見る。「自殺したら天国に行けないって話は知ってるかい?」「……え?あ、ああ。」聞きたいことは沢山あったし、言いたいことも沢山あったけど、目の前で話してるのはどう見ても僕だったし、喋り方や間の置き方、そういった所作も全て僕だったから、僕は僕の言う通りにすることにした。「ありがとう。さて、自殺の話だったね。天国に行けないんだとしたらどこに行くと思う?」「……地獄じゃないのか?」「そう、地獄地獄だね。でも地獄というのは場所じゃない。天国がどうなのかは知らないけど、少なくとも地獄は場所じゃない。」「え…?じゃあ何なんだい?」「状態だよ、状態。さて、自殺に関しての話だけれど、他にも一つ聞いたことがないかい?」そう言われてみれば聞いたことがあるような。あれは確か小学校の時に図書室で読んだ――「ほら、小学校の時に図書室で読んだじゃないか。世界各国の死生観を集めた本で。」え!?どうしてそれを!?自分でさえ忘れていたようなことを!?そんな思いが顔に出たのか目の前の僕は呆れた顔をして言った。「だから言ってるじゃないか。僕は君だって。」未だに呆然とする僕を放って置いて彼はただでさえ下がりきっていた肩を更に下げて続けた。本当に疲れているようだ。「さて、その本にあった通り自殺すると、また人生をやり直しさせられる。その人生自殺することがなくなるまでね。」「……え?」「ほら、さっき体験しただろ?子供の時と同じような虐待を。僕たちは傍観者なんだよ。」「傍観者?」「そう、傍観者自殺をしてしまった瞬間からね。感覚はそのままで、必死に頑張ったところで声を届けられる程度で、そして自殺をすることなく人生を終えるまで永遠に体験させられ続ける傍観者。」「じゃあ……あの幻聴は……もしかして?」「そう、僕と僕たち。必死に叫んだんだけどね。」彼の心底疲れたような顔を見れば嘘じゃないのがわかる。それもそうだ。ただでさえ自殺するような人生を送り自殺した後に、またそんな人生を体験させられたのだから。……え?ということはもしかして……いやもしかしなくても……「君もわかったようだね。さて、もう終わるよ。僕も疲れたからね。ここの決まりとして前回の僕が新たに来た僕に説明することになってるから、もし次の僕が来たらよろしくね。」どこまでも疲れ切った彼を見てその理由がわかった気がした。1回体験しただけであのようになってしまうのだから、2回体験したらとても説明なんてしてられないだろう。2回で説明できなくなるんなら3回体験した人は?4回、5回、6回体験した人は?10回、20回、30回体験したら?100回?1000回?10000回体験してしまったら!?想像しただけで余りの恐怖に襲われた僕は、彼に別れを告げることもなく、再び気を失った。

その後は繰り返しだった。家では殴られ学校では苛められ、そんな毎日の繰り返しで日々卑屈になり腐っていく僕。そんな僕をただ見ることしかできずに同じ苦しみを味わい続ける僕。現実の僕が見てる映像が映るスクリーン以外は真っ暗闇でほとんど見えない映画館のようだったので、他の僕を見ることはできなかったけど、現実の僕が辛い状況になると呻き声が聞こえてくるのでどこかにはちゃんといるようだ。しかも呻き声が地響きのようになるくらい大量に……。何とかして自殺する人生を止めさせようと叫んではみるのだけど一向に通じる気配がない。時折、現実の僕が弱ってて、この僕が懸命に叫んだようなときに、かすかに聞こえているみたいだけど、現実の僕はほとんど気にも止めないし、気に止めたところで変えようとなんてしない。そんなことで変えられるくらいなら、最初っから自殺なんてしてはいないだろう。でも叫び続けた。1回の途中なのにこれだけ辛いんだ。先のことを考えると本当に気が狂いそうになる。だから懸命に叫び続けた。どんなに無駄だとわかっていても。そうせずにはいられなかったから。だけど、その甲斐なく現実の僕はビルを上る。やっと解放されるんだと浮かれ気分でビルを上る。そこは出口じゃないんだ。地獄への入り口なんだ。懸命に叫ぶが彼はついに上り終え、屋上へと着いた。辛かった人生を思い出しながら網を乗り越え地面を見下ろす。そして一歩を踏み出そうと足をあげる。それでも僕は諦めずに全身全霊で叫んだ。

「やめろ!」

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