はてなキーワード: 軽蔑とは
働くのが怖い。確かにそうだ。
人と接するのが怖い。確かにそうだ。でも、自分はこれまでは出来るだけ人と接してきた。でも、結局は人と接しても疲れるだけだ。
一人暮らしをしてみて、一人でいるのが当たり前になると、人と接するのはどんどん疲れることになる。寂しいときはネットで繋がって適当な時間まぎらわせばいい。
何も自由を犠牲にしてまでリアルなつながりを求める意味はないんだ。好きなときに好きな時間だけ繋がることが出来る。リアルの不自由なつきあいではムリだろう。
その延長に、働きたくないということがある。
まず自分が一番に感じるのは、特定の組織に属する恐怖。これは、その会社がいつつぶれるか分からないから怖いという超低次元の話ではない。
特定の組織に属するということは、特定の視点を持たざるを得なくなるということだ。それが怖い。
自分は常に遠い視点から物事を見ていたい。もちろん人間には難しいことではあるが、組織に属さないということでも、他の人よりはかなり視野を広く出来る。
これは何も会社に入っているかいないかというだけの話ではなく、学校や、特定のウェブサイトにだけ通っているとかそういうことでもまた違ってくる。
2ちゃんねるに入り浸ると、2ちゃんねるの価値観に染まってくる。2ちゃんねるの価値観なんてないと思うかもしれないが、大勢を占める意見というのは存在する。確実に。それが社会の持つ性質だ。完全にバラけることなどない。人が集まり社会を作れば必ずそうなる。だからこそ、2ちゃんねる=ネットになってはいけない。
新聞をいくつもとるというのは、現代的に言えばネットでたくさんのサイトから情報収集をするということと同義だろう。近頃はネット言論などということを言い出す勢力までいて、確かに日本では2ちゃんねる系の右派(右翼もどき?)がWikipediaを不当に改竄したり色々問題が起きてはいるが、ネットは広いのでそういう人ばかりではない。
というか、ネットが出来たことで、リアルを絶対視する理由はなくなったと言ってもいいだろう。リアルを過剰に絶対視し、ネットを軽蔑する人間の多くはネットがない半生を過ごした老人達(40歳程度の人間も含む)であり、社会の抱えるカオスという面を無視してネットの闇などと平気な顔で語る老害たちだ。
話を戻すと、働きたくないのには、まず組織に属したくないというものがある。
そして次に多くの働かない人々が言うような、組織内に存在する陰湿な部分への嫌気だ。
組織に属し組織の教育を受け、組織のために尽くす。昔なら美しいイメージで語られていたのだろうが、自由な世界を望む自分から見たら吐き気をもよおすようなイメージだ。
学校などは教師という絶対権力者の頭が古すぎるために、子供がまるで何十年か前の人間のような物言いをする。ネットに触れた人間はそれら教師達の言葉がもはやこの世界では古すぎるということを理解出来るのだが、今度は自由な世界を望むはずの大人が「ネット規制をしろ」などとほざき始める。
自分はまわりが田んぼだらけの田舎に生まれたが、洗脳教育に染まらずにここまでこれたのはネットの力が大きかった。当時ネット環境が家にある家庭は(田舎だから)ほとんどなく、自分はまわりの子供よりも2段階ほど大人になるのが速かったのかもしれない。という大それた話より、自由な世界を垣間見ることが出来たのが大きかった。学校が全てではない、学校で教えられることが全てではないとはっきりと確信出来た。
働かない自由、それは現代で言えば組織に属さない自由ということになる。
このような視点を持って働くことを拒否している人間は少ないだろうが、遠くから世界を眺めることで見えてくるものに自分はおもしろさを感じる。
しかしそれで金儲けをしようとは思わない。それのどこが悪いのだろうか。
結局彼ら(働く人々)は投げやりな態度でこう言うのだ。「金に困ってないならいいんじゃないの」と。結局彼らはその程度の理由で働いているのだろう。別に同情するつもりはないが、何と自分に嘘をつくのが好きな人たちなのだろうと不思議な気持ちだ。
働かない自由、それが次世代のキーワードになるだろう。
不倫相手はそこでコロッと落ちてないでもうひと段階突き放すようにすればよかったのにな。
恋愛気分を味あわせてくれる都合のいいちょろい女として、結婚して家庭を持って安全圏に居るあなたに貴重な結婚適齢期搾取されるだけ。
もう妻も子供も捨てさせる所までとち狂わせられないだろう、浮気好きな大外れ男を勝ち取っても慰謝料養育費で金もなく、浮気の高揚感を求めてふらふらする夫相手に不幸になるだけだけど。
気がついたら何度か堕胎しながら子供もなく40独身孤独死決定になる前に目が覚めるのを祈ってるわ。
奥さんと子供から軽蔑されたり憎まれる将来が来ても、老後に捨てられても、それだけの事をしたんだからその覚悟を持って生きなさいね。
家の父がまさに今その状況で、まだ収入あるから残っていられるけど、家庭はぎすぎすしていつ追い出されるか不安で余計に不倫に走ってより追い出されるのが近くなるって悪循環。
母がストレスで胃潰瘍繰り返してガンになっても浮気してた馬鹿っぷりを見ると、父を軽蔑してしまうし愛されていないのも同情できない。
勝てない、辛い、と思ったら即逃げてしまうようになってしまったのは、
遡れば中1の部活からだったような気がする。
俺が中学生の頃は、バリバリのスラムダンク世代ともいえる時期で、
当時の俺はその例にもれず、その地区でそこそこ強豪といわれてたバスケ部の門をたたいた。
運動は得意でない、でも何とかなると思った。
何ともならなかった。絶望の毎日だった。
そもそもボールを持った時頭が真っ白になり、何もできない。
そのうちなめられて俺にボールがきたら何人も群がられなにもできず被スティール。
そもそもちょっと早いパスになるととれなくなる。指が痛い。
そのうちなめられてボールがこない。くるのはそもそも捕らせる気のない、おふざけの剛速球。
このあたりでレギュラー候補の同級生には軽蔑され、それ以外にはストレスのはけ口にされる生活に。
だんだん嫌になって、同じく何にも出来ない子と部活をさぼるようになった。
そんな生活を半年続け2年に進学する時、俺は両親の転勤の都合で別の中学へ引っ越すことになった。
2年生、今度こそはと入ったハンドボール部。
サボることなく、卒業まで続けることができた。
いや、なんどもサボろうとしたけど仲良くなったキャプテンがそれを許さなかった。
でも、何もできなかったことに変わりはない。
顧問にセンスがないと一言いわれてへこみ、それをバネに努力することもせず、結局スタメンに選ばれるどころか
候補に挙がることすら1度もなかった。
高校はそんな努力をすること自体が苦痛で、でも部活に入るのが決まりだからって卓球部で幽霊部員。
残るものと言えば、同じ時間をなんとなく過ごしてきた部員とのなんとなくの繋がり。
大学でもサークルで学祭の店のリーダーをやるも、計画性の無さと人間関係のトラブルを全て他人におしつけ、さぼり、
連絡に来る携帯のバイブに怯え何がしたかったのかわからないまま終わってしまった。
もう少し、自分に暴力的な、暴走してでもいいからなにかエンジンみたいなものがあれば。
たとえば初めてバスケットボールを顔面に近距離で剛速球で投げられた時、
ただ泣くだけでなく全力でボール投げ返すことができていれば。
なにか変わったのだろうか。
おめーにだけは負けたくない、そう心から思って何かにとりくめる人間は強いと思う。
そりゃ動機は負の感情かもしれない、何かトラブルを起こすかもしれない。
けどそういった人間の爆発力には何か、とても憧れてやまないものが入ってる気がする。
なんでこんな事を書いたかっていうと、社会人1年目の今、同期と差が開いてきた気がして、
しかもそれが俺自身がさぼっている、+客にびびっちゃってるのが原因で、
その原因がわかっていながらもう嫌になっちゃって、また今日もサボるという悪循環を
繰り返してしまったから。
自分なりに何とかしようと、本を読んだり戦略練ったりはするものの、実行に起こせない。
アウトプットできないなら本とか読んでも全く無意味じゃないと、
わかっててもできない。
染みついた負け癖逃げ癖不利になったら放棄する癖が
どうしてもどうしてもどうしてもどうしてもとれない。
一回ドロップアウトしてしまったらもう戻れないのかな。
家に帰ってきた今は、こんなにやる気なのに、
寝て目が覚めたらまたいつもの日常になってしまいそうなのが怖い。
夏風邪引いてる50歳の上司に、「マスクつけてください。夏風邪は長引くし危ないので。」
といったら、お前って性格悪いな、前から思ってたよ、そんなようなことを言われた。
(普段怒らないタイプなので、よほど怒ってたんだと思う。)
怒らせてしまったな~って思った。
あまりにもストレートに言ってしまったのは、相手に対して申し訳なかったと思う。
でも相手を傷つける意図は微塵にも出したつもりはないし、軽蔑しているわけでもない。
相手の反応に対してマジで頭にきたし、それとは反対に本当に自分の性格が悪いのか?と悩んだ。
はてなのみなさんは、風邪引いててマスクつけない人のことをどう思いますか?
やっぱり俺が気にしすぎでしょうか?
何のことを言っているのかさっぱり判らないのでなんとも言いようがないが(「到底承服しかねる条件」がどういうものか?本当に承服しかねるのか?すらわからないうちに、これをどうこういうのは単純にお馬鹿さんでしかありえない)、とりあえず在日韓国人の参政権うんぬんではないのだろうなあ。
「国籍はそう簡単には変更できない」以前に彼らは日本国籍を有していないし、韓国は彼らの状況以上の「到底承服しかねる条件」を満たさない限り外人に参政権を与えちゃくれんのだから。
しかし、「簡単に他国に帰化できるなら」というのはなんだろう。帰化しないといけない問題が絡むのなら違うだろうが、帰化なんてそんなに必須の問題だろうか。在日韓国人ひとつとってみたって、事実上取り立てての問題なしに生活している人間はいるわけだし、帰化がそんなに必須のこととも思えない。
「『日本から出る』ことにはかなりのリスクを伴う」というのも意味がわからない。単純にリスクの有無にしてしまうのなら「タイトルの台詞を口にする人々」にも対象のことを認めたらリスクが発生する、と言われたら同条件になってしまうだろう。
こんな何を言ってるんだかわからないものをほいほいブックマークするお馬鹿さんの中でも極め付きなのはこいつ。
petem *まったくだ こういうやつは問答無用で軽蔑に値する。テクニックと呼ぶのもおこがましい。 2010/07/18
優良企業にいて何の必然性もなく「休日を年間300日よこせ」という人間に「いやならほかの会社に行け」という人間も、id:petemの理屈では「問答無用で軽蔑に値する」ことになってしまう。アホか、としか言いようはない。
自分のオタク仲間のうち、アニメとかのヒロインが処女でなきゃダメみたいなことをいう連中が、正直なところ、気にくわない。
連中は処女じゃなきゃいやだといったり、ちょっと遊んでたりする女をビッチ呼ばわりしたりするが、意外と紳士的だったりする(変態紳士という意味でなくてジェントルというほうで)。女子供に優しくするのは当然という感じで、DVや児童虐待の話題をふると義憤を燃やすし、普段の行動を観察すると、妊婦さんのためにお店の扉を開けてやっているところを見たことがある(たまたまかもしれないが)。
でも、俺は連中がなんだか気にくわない。なぜかといえば、連中はけっこうな確率がで自分の女を殴るからだ。連中がなぜ自分の彼女を殴るのか俺にはよくわからない。よくわからんといえるのは話を聞けば、いろいろなことが重なってまあムカつく状況にあったのだろうとは想像できるからなのだが、殴るところまでいく点については俺にはわからない。俺は人間ができてないので不満の固まりみたいなところがあるんだけど、我慢しきれないときは、逃げることにしている。周囲に八つ当たりして人間関係むちゃくちゃにするよりひとりぼっちで自己嫌悪に陥っているほうが少しだけマシだ(マジで少しだけな)。
正直なところ、連中が自分の女を殴るのはどうしてなんだろう。彼女の帰りが遅いとか、飲み会の席に男がいたとか、そういうのは他愛ない出来事だとおもう。たぶんそういうのはきっかけに過ぎなくて、日常の生活でなにか不満があり、溜まっているんじゃないかと俺は推測している。まあそういうのはわかる。でも、だからといって殴るのは飛躍し過ぎているとおもう。疲れたり、いやなことがあったりしたときに、八つ当たりしてしまうのは、まあ仕方がない。でも限度があってせいぜい口論する程度だろ? 特に家族とか友人とか彼女とか、長い時間一緒にいる相手だと、不満を吐き出すことはあっても、自然に加減してしまうはずだ。できなきゃ家族は離散、友人からは軽蔑を受けるもんだし。
「殴るのはやり過ぎじゃないか」と連中にいってみるが、なかなか聞く耳を持ってくれない。連中は、殴るのは仕方のないことだとか、教育的指導みたいなことを言ってくる。自分の相方の悪いところを改善するための努力しているのだみたいなことを言いたいらしい。しかし2人の関係の外にいる俺からはそうは見えない。
いま書きながら「ヒロインは処女じゃなきゃだめだ」とかいう人々が俺に対して「偏見ばかりぬかすな」と怒っているところを想像した。これを読んでいるあなたがどんな人なのか知らないが、俺にたいして「お前、偏見語りすぎ」とかいうのは、とても正しい意見だ。
でも、俺の周りにいる連中で、処女厨的な言動をとる連中のうち、数えてみると、6割がそういう動きをしている。これは変な数字じゃないか。俺1人の視点からの観測にしても高過ぎじゃないか。
もしこれが変じゃないとしたら、世の男どもはかなりの割合で自分の相方を殴っていることになる。それとも俺の見方がそもそも変で、世の男というものは自分の女を殴るものなのか。
なんにしろ俺が自分の周りにいる連中の言動のせいで処女厨に悪い偏見を持っている。
別に主人公以外の男とやっていてもいいだろう。それくらいでビッチっていうのはどうかしている。
考えてもみろ、自分の母親は自分の父親以外とも付き合った経験あるだろう、いちいちいわんだけで。
他の男とやった女をビッチ呼ばわりすることは自分の母親をビッチ呼ばわりすることになる。それは変じゃないか。
不自然に積極的に人間関係をつくろうとすると、必ず失敗する。それはその人と関係を持ったら、自分が高まるんじゃないかという醜いいやらしさがあるから。
人間は本来動物(獣)なので、本能的にそういう人間の優劣を敏感に察知する。前記のようなアプローチは、相手に必ず感づかれ、拒否されるか、とことん軽蔑されながら関係を持つことになり、どっちみち破綻する。弟子入りなどの場合、主従関係が公にはっきりしているから成功することもある。
反対に肉体的、社会的実力が上のものが下のもの(自信のあるものがないもの)を利用しようとするする場合、ほとんど成功する。これは利用されるもの(弱者)が、自分より上の者に目をかけられたことで社会的立場が上がると勘違いするから。
http://www.amazon.co.jp/dp/4396613679/
私の世代で友達に恵まれない者は、かつてランチメイト症候群となり、あるいは便所飯をせざるを得ない生活に涙を呑んでいた。友達がいないことそれ自体が問題となるのではない。一人で食事をすることそれ自体が苦しいのではない。「あいつは友達がいない人間である」と周囲の人間に思われることが、明確に地位を低下させ、人間としての尊厳を著しく損なわせるのだった。人間性やコミュニケーション能力が高らかに賞賛され、みんなと仲良くできること、みんな一緒の集団行動に足並みを揃えられること、とくに友達を多く所有できる人間ほど値打ちがあるというイデオロギーが支配的であった。裏を返せば、そうした評価軸で採点の低い人間は、江戸時代で言えば穢多・非人である。新たに打ち立てられた被差別社会で暗く生きることを余儀なくされた。いつの世も、人々は被差別者を求めているのだ。
ところが、最近の若者は、良く言えば気骨のある人種が揃っていると聞く。友達がいないことで自らが学内で受けた軽蔑の眼差しに対して、昼休みの食堂で憂さ晴らしに明け暮れているらしい。私たちの世代は、便所で食事を済ませる便所飯が主流だった。 ところが、彼らは食堂でウンコを撒き散らしては、群れている集団に泡を食わせているという。ここに私たちは逆転の解決法をみとめるべきだろう。
実は私の会社の食堂でも、そうした新入社員をちらほらと見かけるようになった。すでに学生時代に、つるんでいる連中の食器の上に妨害されずに大便を盛り付ける術を身につけているのだろうか。その一連の所作はこなれていて目を見張るものがある。全国の大学・民間企業・官公庁では、悪臭が立ち込めることが常態と化してからは、食堂の利用数が軒並み激減しているという。鼻をつまみながらカレーライスをほおばり、かつての屈辱の涙が感涙に変わったことに気づくと、人知れず食堂の隅で私は拍手を送るのである。
最近、少しでいいから、ひとりになりたいって思います。
四六時中いっしょだし、トイレまでついてくるし、ごはんもゆっくり食べられないし、
店でもゆっくり買い物できないし、危ない目に遭わないか見てないといけないし、
気に入らないことがあったらグズグズになっちゃうし、
なんだかイライラして、冷たくあたったりしてしまうこともあります。
実家も義実家も適度に遠く、月に1度あるかないかの交流なので、
両親は健在ですが、子供をあずけることはできません。
特に1歳の下の子は、人見知りしてすぐに泣くので預けられません。
仕事もそんなに忙しい方ではありません。
それでも、下の子は、私が見当たらないと泣くことが多いです。
時々、子供を預けて出かけたりしている話を聞くと、
うらやましくなります。
ひとりの時間があれば、イライラしなくなるのか、と言われると、どうなのかはわかりません。
人の話を聞いて、そんな機会が自分にはないので、うらやましく感じているだけかもしれません。
子供を預けてまで、やりたいこともないんです。
映画が見たいとか、ショッピングしたいとか、習い事をしたいとか、具体的には何もありません。
やりたいことなんか何も無いけれど、ひとりになりたいって変ですか?
今日、爆発してしまって、ダンナに「ひとりになりたい」って言ったら、
「子供、かわいくないの?」って軽蔑されてしまった気がします。
分かってもらえないとは思ったのですが、やっぱり分かってもらえなかったみたいです。
そんなに言うなら、あずかってやるから、どっか行ってこい、といわれたけれど、
行って来ていいものですかね。
なんだか、罪悪感の固まりです。
そう、ここにこんなこと書いているのは、
お前は悪くないって言われたいだけなんですよね。
横ですが
女性専用車両に乗る事を「選択」しています。
その薄情、人の被害より己の利害を重視して痴漢被害者を見捨てるに違いないことを
なじっていました
私がこの文章をそこから引き取って完成させるならば
「だから私は女性専用車両を増やす嘆願を出して活動している」
「だから私は意地でも女性専用車両には入らぬ
社会が薄情ならば私一人でも痴漢の現場に立ち会い、きっと被害者の味方になってやろう」
とします
これは文脈の話です
世間を散々になじり大見得を切ってから
「私も私の事情があるので被害者を助けるために身を切るというわけにもいかない」
「今なじったところだけど、自身の進退としては世間の一部に溶け込み己の利害に安閑としていたい」
で締めるのは、意表を突かれる文章だと感じました
「私が」で始めていることからも自覚されていると思いますが
文脈でもなんでもありませんよね?
その理屈を押し付けるという事は「女性専用車両の利用者は専用車両以外での痴漢を認めている」という論と同じで馬鹿げています。
従わせるつもりはないとの事ですが(当たり前ですよね。従えるはずもない)
何の意図があって、そんな奇妙な発言をしているんでしょう?
が
元増田さんも、知人の方の経験も聞いた上でこのエントリを書かれているのですから
まさしくこういう考え方の人間がいるのだ、という事に
まだまだ自覚が足りないのではないかと思ったりもします。
いちいち軽蔑していたらきりがありません。
「痴漢ごときで」と言う言葉はまさしく「自己(あるいは周囲とで)解決すべし」という考えからなっているのですが、
この横増田さんは「私はそうする」といっているのです。
「できない」と思った元増田さんが、そうした人々に共感できないのは元より分かっているはず。
大層な志がある方もいるとは思いますが実行される事はないでしょう。
そうした建前に振り回されず、被害を受けない努力を心がける事。それも大切です。
数字でものを考える癖があり、
と
はおかしくねーか?
あとまぁ、合ってる人もいるんだろうけど
・バカな奴、知識の劣る奴は軽蔑の対象であり、
と
・合理的で、無駄が嫌いで、
も本当は矛盾するね。
はてなに集う奴らって、こんなのばっかだな。
・若くて、
・パソコンに詳しく、
・科学を信奉し、
・インターネット上にある知識には無闇に詳しいが、逆にネットに載っていない知識は欠損していて、
・リーダー気質でも兵隊気質でも(ライン)なく、職人気質(スタッフ)で、
・数字でものを考える癖があり、
・合理的で、無駄が嫌いで、
・かといって人間味は浅く、話していると考え方がシンプルで深みがなく、
・バカな奴、知識の劣る奴は軽蔑の対象であり、
・シニカルで冷笑癖があり、
・身なりやファッションなどには興味がなく、
・思いやりがなくて、
・「身近な他者への貢献」に対する情熱はなく、
・自分勝手で独善的で自分が一番物事をよく理解していると思い込んでいる、
・しかし、事実は異なっているから周囲の人間への影響力が低い、
そんな人間が多いよ。
「身近な他者」には冷たいが、「社会」をよくしたい、「社会」を変革したいという気持ちはあって、この文章もそのために書かれたのだろう。
でも、彼等の考える「社会」は抽象的なものであって、身近な隣人の集合体である具体的な社会ではない。
“情”が欠損している人が多いのは、毎日、指先通りに動くパソコン画面ばかりと、接しているからだろうか。
はあ?なんでそんなにひねくれる?
別にdisってないけど?
御説ごもっともだと思うんだけど、
正論過ぎてついていけなかっただけだよ。
ほんとに軽蔑してなんかいないのに。
フォローしたことは黙っているつもりだったけど、
笑ってもらおうと思って種明かししたら、逆に怒らせちゃったんだね。ごめん。
これ以上なんか言っても、気に障るだけだろうから消えるね。
相手の言動を指摘などするさいには怒鳴ったりすることもありだ。ということだよね。
例のように、犯罪臭が或る場合にはそういう感情攻撃もありなのかも。(それでも目前で起きてる場合かな)
ただ、たとえそうであっても怒鳴って人間の考えとか行動が良い方向に変わるとはあまり思わない。
だから、やっぱり極力感情攻撃は避けた方が良いとは思うのだけれど。
まぁこの点については、自分の主観的なところもかなりある人間観によるところなので、この辺にしておきます。
ある時には怒っても怒られても結構当然っていう感覚は精神的にタフだなーと、尊敬すると同時に、軽蔑の念も感じる。
怒鳴る側の人が、どういう感覚で怒鳴っているのか、話をしていてすこし参考になった。どうもでした。
補足事項について
発言するのもしないのも内容もすべて自由だという返答ですが、
まぁ、指摘したいと思った場合にはもっと効果的な指摘をしてみたらという話でした。
(そういう思考法を身につけたらいかがという)