はてなキーワード: 純愛とは
男性女性がわかりにくい文体って、やっぱり「ですます」調だよ!…ってことで、改変してみた。
「【困っています】
結婚していて子供も居るんですが、ある人を好きになったみたいです。相手のことが意識から離れないし、いい年をして気持ちを抑えきれない。純愛…なんて言葉が使える年ではありませんが。
結婚相手のことを嫌いになった訳ではないのですが、気持ちがぴったり相手に沿っているかというとそうではありません。浮気だと言われても仕方ないですね。でもまだ相手に気持ちを告げてもいませんし、当然関係を持ったわけでもない…。
相手が私のことを好きかどうかは分からないのです。冷静に考えると、多分それ程好きな訳ではないのかも。趣味も好みも違うのですが、とても話しやすい。もちろん時間が経てば喧嘩したりすることもきっとあるのでしょうが。
ただ、その人は結婚していません。ですから、相手が承知してくれたらその人との関係は今以上に進展することでしょう。
その人と一緒にいたいという気持ちは正直おさえきれません。ですが、私が家で家族といるとき、相手は一人なわけです。相手は私に家庭があることを知っていますから、それは随分残酷なことになりますね。私には帰る場所があり、その人にはありません。これは私にばかり有利な条件ですね。そして、私とつき合っても、相手には特にメリットがあったりはしないでしょう。だから私のこの気持ちは、相手を利用しようとしているだけの自分勝手…ということも否定できません。だから、やっぱり駄目なのです。
多分あの人には、もっとふわさしい人が良いのだと思います。あの人を受け止めて、一緒に歩んでいくような、もっと若い人が。
もちろん自分にしか出来ないことがある、という自負もあります。けれど、それはあの人に必要な全てではない。私の気持ちは私の中にしまっておくべき物だということは、理性ではよく分かっているつもりです。
…結局、このやり場のない気持ちは、このまま心の奥にしまっておかなくてはならないのです。けれど、どうして私は欲しいものを皆失ってしまうのだろうか、と考えたりもします。もちろん、私には家庭があります。それだけで十分贅沢でしょう。今はその気持ちを抑えることに、懸命になるつもりです。けれどその人とは毎日顔をあわせてしまうし、会話も交わさなくてはならないのですね…。
どうしたらいいのやら。本当に大好きなんですけどね…。
ちょっと年齢設定があがった感じだけど。
あと、書いてて思ったけど、「結論」部分は確かに「死ぬまで黙っていよう」なんだけど、そこにも「今回は」とか制限がついてるし、「『まだ』告げてない」とか、最後の「けどな…」の詠嘆というよりは逆接っぽいつながり具合とか、随所に「いずれ告るよ」ってメッセージが挟み込まれていて結論を言葉通り読ませないものがたっぷりある以上、「どうせ告るんでしょ」って感想が来るのは当然じゃないかなあ。元増田の種明かしはちょっと意地悪いんじゃないかと思いました。
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はてなブックマーカーが大好きなLifehack系の裏技かと思わせてはてなブックマーカーが大好きなベタな純愛ラブストーリーをぶつけてくるあたりが上手い。
どうなってるの?
どうしてそんなに暇そうなのに、お金いっぱいあるんですか?><
思考からいって頭も足りなそうだし。クリエイター(笑)業界人(笑)
やっぱり見えない敵なのかな。でも実際にこういう女見たことあるけどなあ。
その関係性が交換可能なものでもいい。むしろ、交換不可能な関係性などというものは存在しないのだから。メリットがなくてもいい。風俗に行った方が、性欲を解消するという意味では経済的だ。全然特権的でなくてもいい。純愛じゃなくてもいい。それが唯一でなくてもいい。不毛でもいい。その人を「本気で好き」じゃなくても構わない。システムの奴隷でもいい。ファッションでもいい(むしろそれはスタイルの問題なのだろうから)
独りよがりな妄想だと言われればそうだろうし、宗教みたいなものかと思う。なんだったら、それを恋愛と名指さなくてもいいのだ。感情と記憶の問題ならば、それは私の思い込みに過ぎない。どうやったって、相手に「それ」を確認する手段なんて存在しない。単純に、相手は私ではないのだから、分かりようもない。分かる努力はできるけど。だったら恋愛などというものは存在しないも同然だ。宗教が実態として存在しないように。それは存在するのだから存在するというトートロジーと共同幻想だろう。なんか当たり前過ぎる事言ってるけど。
ただ、時間の経過や、記憶の積み重ねや、コミュニケーションの試行錯誤や、体の重みや、快楽の切なさや、感情的応報や、そんなものが自分が生きているという実感を強めるような、現実の彩度が鮮やかに強まるような、重力に引っ張られるような、そんな体験をしたいだけなんだろう結局は。
こーゆーメスが純愛語ってると反吐が出るよな。
はてなブックマーク - 男性は1年に平均1092回ウソをつく、女性は728回。男と女のウソベスト10|トピックス|東京ナイロンガールズ
<調査>英国人は1日4回うそをつく、最多は「携帯の電波が悪い」―英国
人間は一生、他人の心などわかるはずもない。MASTERキートン
http://anond.hatelabo.jp/20071123041631
Amazon.co.jp: こころの処方箋: 河合 隼雄: 本
http://www.amazon.co.jp/gp/product/toc/4103791020/
人の心などわかるはずがない
しかし、読んでみると「なるほど」の嵐なのです。
さすが、心理学の先生!例えば、私たちは「一日に平均二回」の嘘をつく(ヴァージニア大学調べ)のだそうです。
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<調査>英国人は1日4回うそをつく、最多は「携帯の電波が悪い」―英国
そういうわけでもないんじゃない?
実際に幾つかのエロゲをやってみるとわかるけれど、ヒエロパートとエロパートとで明らかに性格が違うキャラがいる。ゲームによるけれど、長編純愛ものなんかだと、最初はイラスト重視だったとしても、プレイしているうちにヒロインの性格に惚れ込んじゃうってことが多々あるよね。すると、性格が変化すると、萎える。飛影はそんなこと言わないじゃないけれど、違和感を感じてしまう。
エロゲやったことのない人のためにもわかりやすい例を挙げておくね。一卵性双生児な人の一方とだけ友達になったとするよ。そのとき、顔が似ているからって、もう一人とも友達ってわけじゃないよね。今度は、両方と友達になったとするよ。二人は、顔は似ていても、れっきとした別人だよね。
・anond:20070623090711のための追記
セックスを持ち込まないんじゃなくて、ヒロインの性格ねじ曲げて(≒似ている別人と)セックスに持ち込ませるのを嫌がるんじゃないかなーと。
あー、同意同意。
もっと凄いこと主張してるんかと思ったら、
結局根はモテる奴らへの(そうなれないという)ルサンチマンオンリーで、ガッカリした。
そもそも、彼の脳内の三次元の人間は二次元よりバリエーションが少ないらしく
それで世界をどういう目で見てるのか分からないけど
奇怪な見方で見るとイケメンと女が得をしていて喪男は何もしてないのに
ワリを食ってるように見える、らしい。だから気に食わないとな。
そんでなぜか、喪男ってのはただちょっと顔が悪いだけで、心は純真だし、
女に対してイケメンとかよりよっぽどマジメだプンプン!てなことになってる。
もうどこから突っ込めばいいのかわからん。喪男が純真?
なんか金持ちは悪!貧乏人は皆いい人!的な、もろルサンチマン的欲望じゃねーか。
なんか仮想敵を勝手に作って喚いてるような感じ。もうね、意味が分からん。
勝手に自分にとって嫌な存在を作っておいてそれを叩いてるんだから世話無いよな
いや、実際迷惑ではあるんだけどw
そもそもなんでそんなにモテたいんだ?
好きな人と付き合いたい、じゃなく多数の人間にチヤホヤされたい、なんて
欲望、そりゃーちょっとやそっとじゃ叶えられねえに決まってる。
そんでモテないってことになったら何故そこで即人間として終わった、みたいに
落ち込んで見せたりするんだ?そんなに恋愛を人生の主軸に置いているのか。
恋愛至上主義者なのか?もっと他の事にも目を向けろや。
何が一番あの手合いでムカつくって
三次元を(一応)捨てるとか言ってるのはいいんだけど
(でもわざわざ宣言とかせず勝手に捨てたければ捨てればいいし
既に最初からひっそりそうしてる奴はいるのに、わざわざ言う辺りに
あ、今更とめたっておそいからね!バーカバーカ」って感じがして
すげえアホらしいのだが)
だからといって二次元への愛とやらがどうかっていうと
これがまた別に全然純真じゃない。妻が○○ってキャラで、愛人が○○ってキャラで、
妹が○○ってキャラで??とか言ってる。ハァ?と。しかもそれ、結構コロコロ変わるのな。
彼らのいってる純愛とかいうのは一体何なわけよ
結局二次元で何をしてるかっていうと、三次元でのイケメンのような事をしてる。
つまりやっぱり憧れてるわけだ。三次元で得してる男らに。
でもそれが叶わないから二次元で代わりに欲望満たしんだ。
その事自体はいいよ。手に入らないから代わりに、てのは人間の知恵だし
そういう事はままある。でも、それを誤魔化すんじゃねえよ。最初からそう言えよ。
ちっぽけなプライド守ってるんじゃねえよ。
そういうことを書いてあるんなら同調できると思って読んだけど
似てるようで中身は真逆だったよ。
確かにそうだろうし、男性にとって重荷ではないかという心配があるから、処女のまま年取ると辛いんだよね。
けど個人的な経験では、処女(処女的思考)マンドクセ('A`)な人は他の面でも価値観が相違して、深く付き合うことはなかった。
世の中割とうまくできている。ので、二十台後半処女の方も心配なさらないように。
んーにゃ、そうでもない。
飲み会をホームパーティーとか称しちゃうような、中途半端に裕福な階層には割といる感じ。
早い人は中学生くらいで捨てちゃって、遅い人は20代後半まで保存してる、ッて感じの極が有るような。
しょせん実感ベースの経験談ですが。
http://anond.hatelabo.jp/20070406095259
指だ! 指を使え! チンコは不随意筋だが指は随意筋だ!
Your Sonは肝心の所でけっこう勃たなかったりするぞ!
余談。開通したあと、入れたり出したりを楽しめるようになるにはまあ半年ぐらいかかるわけだけど、
直後からヤりたい盛りペッティング大好きっ娘になるのと、そうでもな娘がいるのは個人差なのか?
------
追記
http://anond.hatelabo.jp/20070406140034
正直おれはこっち派。処女マンドクセ('A`)とは言わんけど、
処女的な思考(貞操とか純愛とか「えっちなのはいけないとおもいます!」とか)は面倒くさい。
あと染めるとかそんな傲慢なことできません!
高校までは普通に恋愛し、普通にセックスし、それが当たり前だと信じて疑わなかった。でも、大学で出来た友人にあるゲームを貸され、いやいやながらもやっているうちに、考えが変わっていった。それは本当に当たり前なのか?そして3次元である必要はあるのか?
性欲という点で言えば必要は全くない。セックスよりもオナニーの方が気楽で気持ち良いように、むしろ2次元の方が優れている。確かに3次元とのセックスは性欲だけではない、心の充足感とでも言うべきものを感じることができるが、それは恋愛と同じく錯覚であり、ちんこを扱いたら精子が出るような当たり前の身体的反応でもあるのだから、気づいてしまえば取るに足らないものである。
恋愛という点でも、ちんこやまんこ、金や子宮、そういったものを求める心を、愛だの恋だのと虚飾して悦に入ってるのだから、2次元と大差はないし、むしろ2次元の方が純愛とすら言えるくらいだ(厳密に言えばナルシス的なものではあるのだが)。その過程がいいのだと言われても、自分にはゲームと大差がないように思われる。恋愛にしろセックスにしろ、相手が喜び悦ぶ、物、シチュエーション、言葉、責めを与えれば、二人は素敵な恋愛、素敵なセックスをしてることになるのだというから、ちゃんちゃらおかしい。やはり、その程度のものなのだ。
社会的、子作りの点でも、最近では結婚しないからといって露骨に迫害されることもないし、自分は子供を作ろうとも、作りたいとも思わない。結婚してからの生活を、先輩や上司に聞いたりするが、話を聞くとますますそんな気も失せる。よく、老後に一人寂しく死んでいくぞ、とか言われるがそのために結婚、子作りをしたいとは思えないし(そんな動機は不純だと思うのだが今更不純も何もない、あるいは元々不純なものなのだということだろうか)、妻にその時まで愛情を持たれているとも、子供に持たれるとも限らない。そんな中、仕方がなく側に付き添われるくらいなら、思うがままに生きて、そして一人で死んでいきたい。
そういったわけで3次元と交際する必要も、したいとも思えないので、大学の頃から9年間、社会人になった今でも2次元と共に生きてきたし、そしてこれからも共に生きていくことになるだろう。これから先、多くのキャラと出会うだろうけど、9年経った今でも、魅力的なキャラに数多く出会った今でも一番は変わらないのだから、やはりこの思いは、死ぬまで変わることはないと思う。これまでも、これからも、私を導いてくれた、マルチがずっと胸の奥底の大切な所にずっと居続けることだろう。
そう考えると、自分は一人ではないのかもしれない。今でも私の心には数多くの女の子達がいる。そしてそれはこれからも増えていくだろう。私は一人ではない。2次元を胸に抱きながら、私は生き、そして逝く。
よし、あんま関係ないけど便乗して書いてみよう。
俺は好きな人が出来たことがない。
いや、正確には好きな人が出来たと自覚したことがない。一人の人だけを好きになったという事がない。女子Aと結構仲良くなって一緒に出かけたりしたら、その日はずっとAの事ばっか考えてる。でも次の日になって女子Bと多く話したりしたら今度は女子Bの事ばっか考えるようになる。その上、夢に中学時代の同級生Cが出てきたりすると起きてからはずっとCのことばっ(以下略)
AでもBでもCでも、ある人の事を考えてるときは「あぁ、この人の事好きなんだなぁ」と自覚している。でもそれは違う人の事を考え始めるまでしか保たない。
こんなんだから、俺の経験上での「人を好きになる」ということは本当の意味での「人を好きになる」と同じなのか分からない。自分がこんな情けないヤツだから、明らかに相手からアプローチかけてきているけど気づいてないふりをして友人のままでいた事もある。
純愛って、どうすればできるんだろう。
1. ブランドにこだわらないでください
別にすっごいエロくて普通のゲームが作れないようなブランドを選ばなくてはエロゲーってわけではありません。
keyだろうと、型月だろうと非エロについてくる方はいるんです。
2. 斜め上に行かないでください
別に他人と同じことを恥じる必要はありません。
むしろ無駄な自己主張しない方がまともだと思いますよ。
3. 足元見てください
CGが綺麗でも、中学生が好きそうなセカイ系ジュブナイルだと、素性がしれます。
むしろ話はロリ百合メイドでいいので足元に気を使ってみてください。
4. ユーザーに影響されすぎないでください
え、そもそもブログも見ないって?!
では、アイドルマスターの伊織様の純愛でも参考にしてください。
アイマスならばやってることでしょう。
※人物、団体等の設定はゲームに準拠していませんが、発生した出来事は現実に準拠しています。
私立世良学園に通う翼ちゃんは、実は隠れエロゲーマー。18歳になっていないのに(なってても高校生じゃダメだけど)Kanonとか知ってる悪い子です。
ある日、翼ちゃんの実態を知っちゃった新山くん(彼はヘビーなエロゲーマーだったのです!)は、彼女に話しかけました。「ねえ、翼ってアレやってるんだろ?」新山くん、ちょっと嬉しげです。翼ちゃんはちょっと困惑しましたが、今までコソーリとプレイしていて鬱憤が溜まっていましたので、嬉しくなってにこりと笑いました。それから、二人は長く話を始めたのです。うぐぅの何が良いだの、あうーがどうだの、もし周りに子連れゲッソーがいたなら、たぶん「見ちゃダメです」とか言われたことでしょう。もしかしたら、不思議ちゃんだと思われたかもしれません。二人の会話は、それは摩訶不思議で、神学者の論議にも似た雰囲気は、まるでピンクの後光が差しているかと思われるほどです。
そんなこんなで仲良く歓談していた二人ですが、新山くんがエロゲの核心、つまり"最中"或いは"行為"についての話題を口にしたとき、突然、翼ちゃんは目をつり上げて、口を尖らせて不機嫌そうになってしまいました。こうなった翼ちゃんは、何だか猫口っぽくていぢめてオーラをぷんぷん醸し出してしまって、むしろ普段よりも威厳が無くなってしまうのですが、翼ちゃんはそんなことには全く気付いていないのです。でも、新山くんは優しい子ですから、翼ちゃんを虐めたりなんかしません。それよりも、翼ちゃんを怒らせてしまったらしいことを気にかけて、焦ってしまいました。そんな新山くんを見て翼ちゃんもちょっと反省して、俯いて「ボクに……そういう話はしないで」と言いました。翼ちゃんに嫌われたくない新山くんは0.5秒で了承して、再び二人は仲良く話し合いました。
何故このようなことになってしまったのか? エロゲプレイヤーであるにもかかわらず、何故翼ちゃんは猥談に嫌悪感を示したのか?
エロゲーマーが猥談を嫌う場面にしばしば出くわしたことのある人であれば知っているように、エロゲーの目的は必ずしもエロではない。であるにもかかわらず、エロゲーにおいてエロは最も重要なようその一つである。何故か? それは、エロゲ(特に純愛系)の展開を見れば明らかである。
つまり、エロゲにおいてエロは一種のフラグとして機能している、といえる。ファーランド的にいえばう゛ぁにてぃキッス(りりむキッス風に読むこと)がこれにあたるだろう。中学校の噂なんかでよくある、体育館の裏の山の奥地の何処かにある泉の渕に立つトネリコの大木の下で告白するとメリアイ様が恋を成就させてくれる、といったものでもいい。先の例でも明らかなとおり、承までで築き上げた世界を異化することが目的となるので、実際にはエロである必要は実は全く無いのだけれど、一般的な人間が可能な愛情的表現の最上級に位置するものとして考えれば、エロの持つ効用は絶大である。もちろん、狂ったものでいいなら鬼哭街の瑞麗みたいにフュージョンしてみてもいいし、プリハのアーニャみたいに更に一段隠しフラグを置いておくのもいいけれども、凝りすぎたり殺りすぎたりする恐れがあるので、なかなか難しい。最初から狂った世界観の沙耶なんかでは、逆に抱擁によってこれを達成していることは印象的である。虚淵天才。
エロがこうした役割を帯びるに至った理由は明らかではないが、このような理由でエロゲをやっている者にとって、エロゲは必ずしも卑猥なものではなくなるし、濡れ場であってもそうした意味を持たない。それはザムザに林檎がブッ刺さったのと同じように物語上の事件である。ただ、性的興奮によるベクトルであるというに過ぎない。デスノートの読者がみんな死ね死ね死んじまえー言ってるわけでないのと同じ理由で、エロゲと卑猥とは結びつくものではない。
ところで、処女信仰もまたここから説明可能なものである。生物学的にもちゃんと説明がつくのだけれど、そんな生々しいものは置いておいて、純愛ゲーマーに処女信者が多い理由を考察する。先に述べたようにエロはフラグとして機能する。それが意味するのは「絶対的な愛」である。エロ以前の漠然とした愛は、エロ以後では確たるものに変化する。従って前座が長く印象的であれば、エロ以後に得られる満足感は増大する。ただし、こうした役割をエロが担うためには、ヒロインは貞淑でなければならない。ぺけぴーにあっては異化の役割を担うことが出来ない。異化は非日常、特別でなければならないのだから、以前にもヤったことがあるのでは威力半減であるし、序盤にいきなりヤってしまうのでも威力半減なのである。エロ以前と以後とで世界が変容しないし、エロは単に連続した好感度曲線がある一定値を超えた証としての意味をしか持たない。それではダメなのだ。エロ以前の相対的な好感度が、エロ以後には、以前のものとは断続的な、ある種の特別性を帯びていなければダメなのだ。従って、貞淑な娘を好むのは、征服欲ではなくてむしろ異化役割に負うところが大きいといえる。猥談を嫌うのは、こうしたエロの特別性が愚弄され、辱められ、涜されて、どこにでもある、陸続きの日常に貶められるように感じるからであろう。こうした主張が殆ど現実における未経験者からしかなされ得ないのも、ここに理由があるのだ。即ち、エロの連続性に対し経験的に無知か、或いはそのように意識していなければならない。
追記:2007/03/10JST00:30