高校までは普通に恋愛し、普通にセックスし、それが当たり前だと信じて疑わなかった。でも、大学で出来た友人にあるゲームを貸され、いやいやながらもやっているうちに、考えが変わっていった。それは本当に当たり前なのか?そして3次元である必要はあるのか?
性欲という点で言えば必要は全くない。セックスよりもオナニーの方が気楽で気持ち良いように、むしろ2次元の方が優れている。確かに3次元とのセックスは性欲だけではない、心の充足感とでも言うべきものを感じることができるが、それは恋愛と同じく錯覚であり、ちんこを扱いたら精子が出るような当たり前の身体的反応でもあるのだから、気づいてしまえば取るに足らないものである。
恋愛という点でも、ちんこやまんこ、金や子宮、そういったものを求める心を、愛だの恋だのと虚飾して悦に入ってるのだから、2次元と大差はないし、むしろ2次元の方が純愛とすら言えるくらいだ(厳密に言えばナルシス的なものではあるのだが)。その過程がいいのだと言われても、自分にはゲームと大差がないように思われる。恋愛にしろセックスにしろ、相手が喜び悦ぶ、物、シチュエーション、言葉、責めを与えれば、二人は素敵な恋愛、素敵なセックスをしてることになるのだというから、ちゃんちゃらおかしい。やはり、その程度のものなのだ。
社会的、子作りの点でも、最近では結婚しないからといって露骨に迫害されることもないし、自分は子供を作ろうとも、作りたいとも思わない。結婚してからの生活を、先輩や上司に聞いたりするが、話を聞くとますますそんな気も失せる。よく、老後に一人寂しく死んでいくぞ、とか言われるがそのために結婚、子作りをしたいとは思えないし(そんな動機は不純だと思うのだが今更不純も何もない、あるいは元々不純なものなのだということだろうか)、妻にその時まで愛情を持たれているとも、子供に持たれるとも限らない。そんな中、仕方がなく側に付き添われるくらいなら、思うがままに生きて、そして一人で死んでいきたい。
そういったわけで3次元と交際する必要も、したいとも思えないので、大学の頃から9年間、社会人になった今でも2次元と共に生きてきたし、そしてこれからも共に生きていくことになるだろう。これから先、多くのキャラと出会うだろうけど、9年経った今でも、魅力的なキャラに数多く出会った今でも一番は変わらないのだから、やはりこの思いは、死ぬまで変わることはないと思う。これまでも、これからも、私を導いてくれた、マルチがずっと胸の奥底の大切な所にずっと居続けることだろう。
そう考えると、自分は一人ではないのかもしれない。今でも私の心には数多くの女の子達がいる。そしてそれはこれからも増えていくだろう。私は一人ではない。2次元を胸に抱きながら、私は生き、そして逝く。