はてなキーワード: 押しとは
>文科省の方々は現場の教師より頭良いんだから、懲戒と有形力行使のガイドラインを示すくらいできるでしょう。
>現場のバカに判断させるより、PTで業務を標準化すればいいじゃないですか。
「文科省の方々は現場の教師より頭良いんだから」ってのには多くの教師が賛同しないだろうな。
だってこいつら現場を知らないんだもの。
教育再生会議だって有識者の中で学校教育に実際に関わっているのは数人、しかも高校の教員とかワタミの社長とか「日本のごく特殊な」私立高校で数年間教員しただけの義家とか。
医療についてもそうだけど、教育に関しては「現場を知らない」人間が何でも決めて丸投げにしているのが問題。
皆「まつざかうし」と読むようになって、ちょっと違和感がある。
わざわざ正式名で言うようになったのって、きっと昨今の一般常識クイズ番組ブームのせいだよな。
「押しも押されもせぬ」とか言うようになったりもしてるな。
肉汁も今までみんな「にくじる」って読んでたのに、急に「にくじゅう」って読み出した印象がある。
なんだろうこの違和感は。
成人してからもう3年経ちますが今まで彼氏いたことないです。告白されたこともありません。
で、職場で人の話を手動かしながら聞いてた。話題に上がってるのは、私も知ってる人の話。結構気を使う人で
面倒見のいい優しい同僚のこと。彼女欲しいなーっていって笑いとれちゃうみたいなそんな人。
「あいつ今女選り取りみどりらしいぜーwモテ期キターって感じらしいw」
「前アレだったよな、友達の女と勢いで寝ちゃったんだっけ?それはさすがに反省してたけどw」
…なんか耳を疑った。へ?それ、何、ほんとにわたしと同年代の人の話?って。
たまたまその子の生活が荒れてるんだよ、とか私の所属コミュニティが荒れてるだけじゃあ、とか思わなくもないけど、もしかして結構、そういう話を日常にすることって、一般的なの?職場の同い年の女の子に「○○を押し倒したい」とかって言ってた子がいたこと思い出した。皆別に見た目ヤンキーとかそういうわけじゃないんだ。別段普通に歳とってきてる感じ。
同じ歳のやつが同棲始めたりもしてる中で、処女の私は天然記念物なんじゃねーの、と思う時がある。或いは人間的な欠陥品。この歳で彼氏いたことないって、よっぽどなんだろうなって。
好きな人ができて告白したこともありますが、振られた。その人以来特別好きだなあと感じる人はできず、
しかし、とりあえず手当たり次第に告白してオッケー貰えた人と付き合ってみたり、っていう行動をとるのは(貞操観念的に)どうなのかねと思ってしまったりでこのザマです。
とりあえず道ゆく誰かに処女を貰ってもらうべきなのか、はたまたそんな焦ることはなく
来るかどうかも解らない運命の相手を待つべきなのか、あーあ。
そんなの結果論だろう。そいつはそういうことが出来るし、向いているのさ。
ずるずると友達付き合いを続けているうちに「男の女」の雰囲気が薄れて「ただの友達」状態になってしまう。
こういうタイプなら狙わない方がいい。
そりゃ告白せずに「わたしたち付き合ってるんだよね?」と女の子に言わせることを最終目標にすることにして、告白や押し倒しのときだけじゃなくてそれ以外の行動も全てそのDQN並みにすれば不可能ではないと思うが、そんなのは目的と手段を取り違えている。
横だけど。
子供は私立の小学校または中学校に入れる、ってのが当たり前の前提なんだな。
最近の親はみんなそんな感じなのか?
俺はそんなんどうでもいいとしか思わんなー。まだ二十代中頃だけど。
告白しようと考えている時点で駄目だ、と言われた。
いわく、「わたしたち付き合ってるんだよね?」と女の子に言わせるくらいじゃないと駄目だ、とのこと。
しかしずるずると友達付き合いを続けているうちに「男の女」の雰囲気が薄れて「ただの友達」状態になってしまう。
そのパターンを繰り返して女友達はいるけど年齢=彼女いない歴。
どうやって「告白せずに」男と女としての付き合いを始めればいいのだろうか?
押し倒せと言われたけど、告白せずに押し倒すのって、それってアリなの? 告白してから行為に及びたいと思うのは中二病なのだろうか。
そのひとは恋愛経験値は高いのだけれど、いわゆるDQNやスイーツの側に属する人間なので、どこまで信用していいのかわからない。
えらいひとおしえてください。
思想はおそらく真逆だが、押しつけがましく主張を続けるタクシードライバーにあたったことがある。それ以来、個人タクシーを避けるようになった。優良ドライバーのみなさんごめんなさい。
http://anond.hatelabo.jp/20081120235822 を元に検討
これはあくまで私見なんだけれども、
って認識になってるんだと思う。
よくも悪くも「なぁなぁ」の馴れ合いでマターリと暮らしている人にとって
無用な争いの元になるものは不要であり、邪魔なものとして意識から回避されているのだと思う。
政治的な主義・主張を大々的に語るのも同様の理屈で嫌われていると考えられないだろうか?
政治的主張を押し出す(押し付ける)人をキモいと評価してはいないだろうか。
現状に不平不満や不安がある者ほどしがみついている感はないか?
実際問題、いろんな問題があると言われるが、
無用な変動は求めていない。
この平穏な状況を脅かす危険因子として
タブー視され、回避されるのが
安定した生活を送る者にとって不要となった
一般常識・礼儀とブログマナー - ☆女の徒然草☆ - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshimysan/20429154.html
前もこいつ見たような気がするぞ?
現在92ブクマもついておりちょっとした騒動になっているが、この騒動の焦点になっているのは、以下のソーシャルブックマークに関して言っている箇所。
また、ブックマークに関してですが、本来のブックマークとは本にはさむ、しおりのことを言います。
ここで本来のと書いたのは、Wikiなどの内容から引用して反論する方が居られることを想像して
そのように書いているのです。
しおりである以上、その機能は個人の趣味嗜好によってなされるものとなります。
そして、ブックマーク禁止を表示しているサイトやウェブページ、ブログについては
公開ブックマークを行うべきではないと考えております。
図書館で利用者が勝手にしおりを挟んでいるようすを想像してください。
施設によっては利用者が数万人、あるいは数十万、数百万人もの人が利用して、
それぞれの利用者が勝手にしおり(ブックマーク)をすると、どのようなことになるでしょうか。
きっと図書館はしおり(ブックマーク)であふれかえり、しおり(ブックマーク)に書かれた内容が
その図書館においてある利用物となってしまいます。
これでは本来の図書館としての役割を果たすことは困難でしょう。
また、何もかもが自由であるとして人の家にまでしおり(ブックマーク)を貼り付ける行為は
ブログは、企業などの団体が書いているもの以外、すべて個人の家と同じです。
門戸は開放されていますが、それはほかの方との交流を容易にするコミュニティーの手法であるだけで
要は彼女の言い分はこういうことだ。
ブログという開放されたスペースでやっているが、それは他の人とコミュニケーションするためであり、
乱暴な人がブックマークコメという手段で言いたい放題するのを許可するためではない、と。
ブログのコメにある反論に対しても、意味不明な例えと自身のインターネットに関する浅薄な知識とのらりくらりとした答弁を武器に
なかなか頑張っている。
私の雑感だが、
四つめについては他の増田に聞きたいけど、はてブにはブクマされないような設定ってあったよね?
たしかMETAタグを埋め込むとかだったはず。
当方32の男性でよく合コンをする。相手の年齢は27から34くらいの仕事もちで総合職が多い。
会計のとき、相手はワリカンにこだわる人たちが多いんだけど、そんなもんなのかな。
いちおう男だから押し切って7:3くらいにするんだけどね。。。
ちなみに東京
俺の実話。
彼女と初めて海に行こうという話になって、水着を買いに行ったんだ。俺の海パンは無難に買い終えて、彼女の水着を一緒に選んでたんだが、店員の勧めるままにその年の人気モデルみたいなやつを試着してみることになった。数分後、試着室から出てきた彼女を見て俺はド肝を抜かれた。
その水着の形状というのが、完全なビキニではなかった気がするんだが、お腹の部分が空いていてヘソが見えるようなタイプだった。その空いた部分から、俺の彼女の腹の肉がボッコリ盛り上がって出ていて、なんとも長州小力みたいなイメージになってしまっていた。ひとことで言って醜かった。店員もサッと顔色が変わりコレハマズイみたいな表情のまま、「ちょっと合いませんかねー(汗)」とか言って彼女を試着室に押し戻すかのようにカーテンを閉め、お腹の部分が空いてない水着を替えに持ってきた。
そういうのの中から無難に水着は買い終わり、帰路についたのだが、俺は最初の水着で見た光景が頭から離れなかった。セックスしてた時はあまり気にならなかったが、俺の彼女ってデブだったんだ…。というか着ヤセするからか普段着でもほとんどデブには見えない感じなんだが、今年の流行モデルの水着を着ただけでアレかよ!いったい普通に流行モデルの水着を着こなしてる女子らはどんだけすごいイイ体なんだ!もしかして女子にとって水着を着て恥ずかしくない体型って物凄い努力が必要なのか!? ぐるぐると思考は巡りながらも、自分の彼女が普通の水着も満足に着れないボディだということが予想以上にショックだった(雑誌にナイスバディのグラビア等が溢れている弊害だろうか。おっぱいとかはまだ「こんなデカくて形もいいのなんて一握りの選ばれた者だけに許された夢物語だろ」とか思えたが水着を着てお腹が出ないのも夢物語だというのは盲点だった。いや夢物語でなく普通の子は出ないのか?…今でもどちらが普通なのかワカラン…)。
その後の彼女とのセックスではお腹が気になって勃たなくなった。人間として嫌いになったわけじゃないが、女としての魅力を感じられなくなってしまって結局別れた(直接の原因はこの件じゃないが、事態を修復する気力があまりわかなかったのはこの件が大きかったのも確か)。これって酷いことだろうか? 女としての魅力を感じないまま付き合い続ける方が悪いと思うので反省はしていない。
その後、念願かなって水着が似合う女子と付き合い始めることができたとか書くとすごい勢いで叩かれそうだし、これが祟って二度と女性とは付き合えていないとか書くとザマアと持て囃されそうなんで、その後どうなったかは書かない。ただ、その先に関することでひとつだけ言えることは、どこかで他の増田も書いていた気がするが、ひとときでも美しい姿の時を共に過ごした思い出さえ持てればその後の年齢による劣化などは気にならないものだという事。あのとき君は確かに輝いていた…みたいな温かく見守る感のまま老いていける。そういう歌詞を書く奴ってなに気取ってんだと思ってたが、ワリとオッサンやジイサンが実感に基づいて書いてたんだなと思った。
今じゃ俺もオッサン。ワリと昔の話。
今週号のモンジュは出色の出来だった。特に神谷さんの伏射シーンは是非見ておくべきである。
そこでハタと気がついた。ワイルダネスを見ても、レヴィを見てもそうだ。印刷が実に綺麗だ。よく考えると表紙も厚い。
ここで、良くあるオタクの部屋を思いだそう。自分の部屋の隅とか、あいつの部屋の押し入れの中だ。おまえんちの隅だよ。何が積んである?
そう、アフタヌーンだ。
アフタヌーンを読みそれを捨てずに積むのは、いわば習性と言っていい。
なぜ積むのか?これは問いが逆だ。アフタヌーンを読みそれを積む者が、我々なのだ。
脳科学が十分に進んでいないがために、残念ながらその理由に解説を付けることは出来ない。十分に進歩した科学技術は魔法と区別が付かないが、十分に進歩しなければ、未知の領域は又魔法と区別を付けることが出来ない。アフタヌーンにはそういう魔力があるのだ。アフタヌーンは普通の漫画雑誌では無いのだ。((これは「今月はもやしもん休み?あ、イブニングだっけ」となることからも明らか((これは別の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう。))だ。))
サンデーGXは、雑誌の単行本化を目指している。もっと言えば、積まれることを目指している。単行本よりも大きく、印刷は美しく、紙は厚く、積んで崩れないように四角く固い。
彼らは自覚的に、魔力を身につけようとしている。魅力をその身に纏おうとしている。
そのうちきっと、最終回を大幅に書き換えた単行本が発売((「案外 涙は出んもんだな」))されて、雑誌を残すことの重要性に皆が気づくなるようし向けるんだろう。
そうなったときにはおそらく、漫画雑誌は大きな転換期を迎えるに違いない。サンデーGXは、遙かな頂を目指して一歩づつ登ることで、天国の扉を開けようとしている。
インフレターゲットは導入すべきでない
多くの国の中央銀行が導入しているインフレターゲットを日本も導入するべきだという声が一部にはある。
中央銀行制度は宗教のようなものだ。ほとんどの国の中央銀行が熱烈に報じているいくつかの信条があり、
彼らはそれを確信を持って唱え、その論理の進め方にはまるで判で押したような画一化が見られる。
しかもこれらの信条には往々にして、それを裏付ける科学的証拠がほとんどないのである。そのため、
彼らのご託宣はえてして間違っており、彼らの政策は予想された結果や望ましい結果をもたらさないことが多い。
一九八〇年代にミルトン・フリードマンの感化を受けて、世界中の中央銀行がマネタリズム、すなわち中央銀行のなすべきことは マネーサプライ(通貨供給量)をコントロールすることだけだ、という信条を採用した。通貨供給量を厳しくコントロールすれば、低く安定したインフレ率に導くことができ、それによって安定した高成長を実現できる、という考えである。
改めて言うが、マネタリズムを裏づける理論は存在せず、限られた実証分析結果があるだけだった。
実際、マネタリズムは機能しなかったし、いくつかの点では完全な失敗だった。今日では、
事実上すべての中央銀行がこの信条を捨て去っている。(この破棄された信条の名残りとして、
アメリカが、そして世界が、一九八〇年代に経験した経済的苦難の多くは、マネタリズムに対する
盲目的な信仰にその原因があった。中央銀行が通貨供給量のコントロールに関心を集中したことは
未曾有の高金利を招き、短期で借り入れて長期で貸し付けていた金融機関―――とりわけ
何百万人ものアメリカ人に住宅ローンを提供していた貯蓄貸付組合(S&L)―――は、一夜にして
事実上、破綻した。レーガン大統領の規制緩和―――そのおかげでこれらの金融機関は高リスク、
高リターンのローンに乗り出すことができた―――と、いくつかの会計上のトリックによって
崩壊は先送りされたが、それは必ず訪れる報いの日が来た時、納税者が負担するコストが
さらに大きくなるということだった。この救済事件のあと融資基準は当然引き締められたが、
今度はそれが、一九九一-九三年の景気後退の一因となった。
アメリカにはこの嵐を比較的楽に切り抜けるだけの資源があった。(もっとも一九八〇年代
初めの景気後退は、巨額の財政出動にもかかわらず大恐慌以来の厳しいものになったのではあるが。)
だが、マネタリズムが発展途上国に及ぼした影響は悲惨だった。金利の上昇は、
ラテンアメリカ諸国が一九七〇年代の石油価格ショックを切り抜けるために借り入れていた債務が、
突如として背負いきれないほどの額に膨らんだということだった。ラテンアメリカ諸国は相次いで
デフォルト(債務不履行)を起こし、この地域は一〇年にわたる停滞―――いわゆる「失われた一〇年」―――に陥ったのである。
中央銀行はいつも単純なルールを求めており、今日の単純なルールは「インフレターゲット
(目標インフレ率)」である。目標インフレ率を設定して、インフレ率がその目標より低ければ金利を下げ、
高ければ金利を上げろ、というわけだ。インフレ率の変化を生んだショックが
どこから来たのかも、失業率や為替レートがどうなるかも気にする必要はない。その論旨はこうだ。
インフレ抑制に専念することが「信頼性」を生み、その信頼性こそが、経済がショックに対して
より効果的に反応することを可能にする。石油価格が上昇するときは、インフレ率は(一九七〇年代のようには)
上昇しない。中央銀行が素早く行動してそれを抑え込むことを
市場参加者が知っているからだ。インフレ率が将来上昇しないことがわかっているということは、
世界の大部分でインフレ率がこれほど低く抑えられてきたことには、もちろん別の理由がある。
グローバリゼーション全般、そしてとりわけ中国である。海外からの低価格の財が
供給されることで、国内の物価が抑制されてきたわけだ。貿易財は多くの非貿易材の優れた
代替財となる。グローバリゼーションは製造業分野(および他の貿易財分野)の賃金に下降圧力をかけ、
それが経済全体の賃金に下降圧力をかけてきた。市場に十分な競争がある限り、これは
とりもなおさず物価はどの国でも安定を保つということだ。
インフレターゲット論は、少なくとも短期的にはマネタリズムより害の少ない宗教である。
それは一九八〇年代初めのアメリカの異常な高金利のような極端な振る舞いには、概して繋がらない。
しかし、長期的には、ヨーロッパが実証してきたように、景気の悪化を招くことがある。
高レベルの失業にもっと関心が払われていたら、ヨーロッパの金利はもっと低く
抑えられていたはずだ。
高金利は投資を抑制してきただけでなく、為替レートの上昇ももたらし、
それがヨーロッパの景気を低迷させてきたのである。
日本の場合には、インフレターゲット論はデフレ対策として唱えられてきた。
デフレが問題なのは、一つには名目金利がゼロであっても(デフレを考慮すると)実質金利はプラスになる
からだ。デフレが続く限り政府は金利を低く抑え続けるとわかっていれば、市場参加者は、
長期実質金利がやがて低下することを確信して、消費や投資にもっとカネを使う気になるだろうと、
インフレターゲット論者は主張する。日本の場合のインフレターゲット論の問題点は、それが
短期的に間違った変数に着目することにあり、インフレターゲット政策への
コミットメントが信用できるものだとすれば、そのために金融当局は間違った戦略を長期にわたって
推進することになる。
金融政策は実質金利(インフレターゲット論者はこれに着目する)よりも、むしろ
信用のアベイラビリティ(可用性)を通じて景気に影響を及ぼすのである。金融当局が景気をどの程度刺激しているかは、今現在の実質金利(あるいは長期実質金利)よりも信用供給の拡大に注目
した方が正しく測定できる。金融当局が信用のアベイラビリティに影響を及ぼす方法は
いくつもあり、これらの方法が金融政策の中心に据えられるべきである。
さらに、金融当局が長期実質金利に影響を及ぼすことを望んだとしても、それを達成するには
インフレターゲットの導入よりも効果的な方法がある(インフレターゲットの効果は、
せいぜいよくて不確実といったところだ)。一例を挙げると、短期国債と長期国債の相対的な
供給量を変えることによって、これらの資産の相対的な価格に影響を及ぼし、それによって
長期実質金利に影響を及ぼすことができる。
4年くらいつきあったけどお互いに初めてだったのと、相手もいろいろと型に当てはめようとしてこちらが不満を爆発させての繰り返しだった。こっちもいろいろと押しつけたんだろうと思うけど。もう顔は忘れたかもしれない。記憶としては残っているけど、3年経ったし。
そういうものじゃない?学生時代にすごく仲良かった子のことも顔はおぼろげになってしまうけど、思い出はちゃんと残ってて時々思い出し笑いをしたり、懐かしい場所に来れば思い出す。っていう。
離れても覚えてはいる。だけど新しい人間関係が嘘や打算かって言われたらそんなことないよ。自分はだけど。最近やっと別の人とつきあい始めたけど、前と比べて劣ることはないし、そもそも比べることすらない。だって彼と元彼は違う人間だから。違う人間として尊重するなら比べたりなんかしちゃいけないと思ってる。
もうずっと前から非モテを脱出したいとは思ってるんだけどね、、
まー思うだけであっという間におっさん間近。
http://noraneko.s70.xrea.com/mt/archives/2008/0402001913.php
http://d.hatena.ne.jp/asami81/20080910/p1
http://blog.alceste.net/archives/29
http://anond.hatelabo.jp/20080724172044
http://d.hatena.ne.jp/osito/20070109/p1
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20080908/p1
http://d.hatena.ne.jp/Alceste/20081113/1226534665
http://d.hatena.ne.jp/kokorosha/20080909/p1
http://anond.hatelabo.jp/20080520044844
んで何か脱出のヒントがないかとこの辺を読んでみた。
で、俺なりに非モテをまとめてみた
・モテるために何かしなければと思っている
(有りのままの自分を受け入れて云々の話はモテ非モテ以前の話なので除外)
・モテるために何をして良いかわからない、教えてくれる人がいない
(モテの人の話は信用できない、さらに業者なんてもってのほか)
なんか背中を後一押しされると上手く転がるはずなのに
ずっと踏ん張っちゃってるような人が多いんじゃないかという印象。
その後一押しをしてくれる、おせっかいを焼いてくれる存在として
んで、
・恋人を作ることを目標にしない(友達作りから、レベル0を1にするわけだし・・)
・本人がモテたいと思っている方向、こうなりたい目標の設定に協力する(特定の方向へ導くわけじゃない)
・自発的に動けそうになったらあれこれおせっかいをやく
・外見と内面は分けて考えない
こんな感じか。
活動としては
http://d.hatena.ne.jp/love_chocolate/20081103/p3
こういうのがいいんじゃないか。
この記事見たときは女神って俺の近くにいないだけで本当にいるんだな、って思ったw
ブクマしてる中で行きたかったけど勇気がなくて言い出せなかったって人たくさんいそうだし。
まー俺個人の世話をやいてくれる人がいればこんなこといちいち考えなくていいんだけどな。。
※再投稿されたようなので、リンク修正した(11/18/23:05)
正直、「アニメオタク」害悪論を今更説き始める人もどうかと思うよ・・・。
言葉の使い方が乱暴すぎやしないかな?
しかし、アニメオタクは萌え絵以外の絵柄のアニメを「絵が変」と言って嘲笑し、批判する。ここがアニメオタクの一番の問題点であり、私が害悪と言い切る理由だ。
アニメオタクの人を見ていても、この表現があんまりピンとこないんだよね。括弧つけた『アニメオタク(笑)』というような意味でならそれなりに理解可能ではあるものの、はっきりした定義も示さずに「アニメオタク」なんて言葉を使うのにはあまり賛同できない。てかさ、中度??重度のアニメオタクであれば、元増田が言うような問題意識って、ある程度共有しているんじゃないかな。
それと、「動かす」という目的に沿ったデザインを評価し、その目的と対立しがちな「萌え絵」を批判するというスタンスは理解可能なんだけど、「だから、(元増田の定義する)アニメオタクはアニメにとって有害な存在である」みたいな話にするのって、どうなの。問題提起としては分かるよ。「動かしているアニメ」を嘲笑するようなアニヲタはアニメをより狭苦しいものに押し込めてる、ということなら。でもさあ、増田の言い方だと、なんか萌え絵の存在そのものに否定的な香りが感じられてげんなりしちゃうな。いいじゃない、別に。萌え絵でアニメやったって。っていうか萌え絵を動かすことが技術的に難しいからこそ、それを動かそうとすることがアニメーションの限界への挑戦だ、という風に受け取ることも出来るんじゃないの。そこで萌え絵批判しなくてもいいじゃん、別に。
元増田の文章からは、萌え絵原理主義的なアニメオタクとは別ベクトルの排他性を感じてしまう。意識的なのか無意識的なのかは分からないけど、そういう姿勢が「アニメの進歩」に繋がるものなのかどうかはもう一度考えてみた方がいいんじゃないかしら・・・。自分がアニメを真に愛しているという自負があるんならさ、偏狭なアニオタの排他性だけじゃなく、自分自身の排他性にも目を向けてほしいなあ。
※追記
なんか書き終わって投稿したらもう元増田削除されててがっくりきたわ。
アニメ愛してるっていうならさ、もう少しぐらいは粘り強く話をして欲しかったわ。
ほんとがっくり。
はいひとつお知らせー
精子っていうのは性質として狭い方狭い方へ動くという特性があります。卵管の奥にある卵子と結合しなきゃいけないからな。精子がどうやってそこが狭いと判断しているのかは知りませんが、つまり、ゴムに穴を開けたらゴムの穴=狭い方という認識をして一斉にゴムに刺された穴に向かって押し寄せます。そこから向こうは女性の世界。しかも本来だったら膣の出口辺りの酸性の分泌物で殺されてる筈の精子も一気に子宮孔に行けます。シード権みたいなもんです。
私のオタク友達もこないだ地元に帰省した時にヤンキーの彼女になってて複雑だった。
ヤンキーに惚れたというより、恋愛自体に興味が無かった所を強引に押し切られたみたいだけど、向こうは断れないのを知ってて強引にアプローチしたんだろうね。。
あとは敢えてDQNとくっつく事で保守的な親に反抗したかったのかもしれない。
3年弱程付き合ってる彼が、バツイチで、学生の頃に3年程付き合っていた彼女(彼と別の相手を天秤にかけて別の相手を選んでその後結婚した)の事を今でもよく話題に出してて、先週末はデートがキャンセルになってて、私も首都圏在住なので、読んでて少しどきどきしました。
かまをかけても曖昧な返事しかしなさそうなところもよく似ていて。
もし彼の元カノがこういう風にアプローチをかけてきていて、彼がこういう風に応じているってことが分かったら、私なら彼を彼女に押しつけて別れちゃうな。
奪いたいっていう覚悟があるのなら、彼女にバレるような行動をとって欲しい。
芋だと押しつぶされた時なんか恥ずかしいww
ビックバイパーにはせめてスプレッドやリップル撃って欲しい・・・
緑色のゼリーとかで迎えにこられたら・・・・もう最悪ww
常識的に考えて欲しいだけなんです!
もう一機のビックバイパーと要塞で迎えにこられた時のあり得ない恥ずかしさとか分かる?
あのね?たとえば他な人らも続編作るとするでしょ?
それぞれ前作のいいところを継承するわけじゃない?
みんな普通にさんたるるやOGRやTAMAYOや99で来るわけでしょ?
俺の場合は、会社の休憩時間とか時間ないときに「あとでよむ」気分でポンポン押して
家に帰ってから、じっくりと読んで、心に残ればブログとかに感想を書くことがおおい。
でも、コメントのある記事との差はないつもりだ。そのときの気分で書く文章が出るかどうかの違い。
ただ書けないときはいろんな思惑があって書けなかったりするのでそれつっこまれてもな…
書くと個人的に問題が起きそうだったり、苦手な奴が関わってたりとか。
あと、どーもタグってうざくて使い慣れないので使う気になれん。
それどころか、たまにきもいタグがついてきて萎えることがあるくらいだ。
てかそんなに無言ブクマって気になるか?
ソーシャルブックマークだって色んな使い方があるのでそれを追求するのは野暮。
たとえば?
俺の知ってる限り、はてなで「哲学的表現」を使うべきところで使っている例なんて全然ないぞ。
エセ科学批判のほうが限界超えてるというか、まともに読み取れてないことが多くて、ただの客観的物理的空間の押しつけ一点張りになってるよ、すでに。
たとえば?
批判されると「まともに読み取れてない」って逃げるのはトンデモの特徴でもあるけどね。