はてなキーワード: プランクトンとは
あなたは、自分では理解できない、倫理的に許されないような、特殊性癖(性嗜好)の人間も許容してくれますか?
池澤春菜さんには悪いけど、ちょうどいい例なのでブログから引用します。
確かに、世の中には酷いものもある。
明らかに確信犯な作品、不愉快に思える作品、眉をひそめざるを得ない作品もある。
でも、それはごく一部。
今回の規制は、小魚を食べちゃう困った大きな魚を獲るために、目の細かい網で海を一網打尽にしようとするようなもの。餌となるプランクトンまでさらってしまっては、守ろうとした小魚もやがては死滅してしまう。
本当に必要なのは、悪い魚だけを獲る網なのでは。それがどんなものか考える努力、作る努力を怠って、「全部獲っちゃえばいいじゃん」で片付けようとするようなオトナに、何かを決める力を与えちゃいけない気がする……
(http://halunahime.blog13.fc2.com/blog-entry-145.html)
やっぱり、何でもかんでも良いわけではない(ただし自分の性欲の対象は除く ←これは池澤さんのことを言ってるんじゃないよ)、という人は多いんだよね。
この議論が持ち上がったときよく目にしたのは、「自主規制しなかったからつけ込まれた。今までがやり過ぎだった。ある意味自業自得だ」という主張。
たとえ空想であろうと、彼らの頭の中には表現の「善/悪」が存在して、悪は駆逐すべきである、と暗に述べている。
はてブでも、
「社会的発情 背徳とエロを結び付ける人を見るたび、お前の親はキリスト教原理主義者かよ!サドが生きてたの何時だと思ってんの?とは言いたくなる。/個々人のトラウマの楽しみ方は御勝手だけども。」
という主張がある。
だが、しかし、私の性欲はもはや単なる裸を見るだけでは機能しない。
キリスト教のような抑圧がないからこそ、更なる刺激(=背徳感)を求めざるを得ない。
だから、性欲のない人間ほど、変態的性癖の持ち主になる、という逆説が成立してしまう。
私は、女性を殴ったり蹴ったり、拷問にかけたりして激痛にもがき絶望する様を見て初めて興奮を覚える。
もはや性器や性行為なんて関係ない。
このような空想・妄想は、いかに「非実在」であろうと、「悪」である。倫理に反する。いや、だからこそ、辛うじて性欲が機能する。
私の存在は許されるのだろうか?
一応、前に書いた増田も。
http://anond.hatelabo.jp/20100217233332
こんなの、増田じゃなきゃ書けないよね・・・
クロマグロの稚魚は、小魚やイカを食しているが、この小魚やイカが減少している。その理由は、小魚の餌となる動物性プランクトンを大量に捕食する鯨の増加と、地球温暖化による水温の上昇で、プランクトンの育成に適した領域が減少した事である。
現在では、餌の豊富な南氷洋や北極海でなければ、鯨・イルカ類は生活できない。この領域での小魚の減少は、鯨・イルカ類が増えすぎた為に発生している。かといって、鯨・イルカ類が餌を求めて一般海域へと回遊を行うと、そこではもっと餌が無くて、飢え死にする事になる。
一般海域のプランクトンや小魚が減少しているのは、地球の温暖化による水温の上昇に原因がある。植物性プランクトンが成長できるのは、光合成のできる水面付近だけであり、太陽活性の上昇によって水温が上昇してしまうと、プランクトンの成長に適した水温の深さでは、光合成の効率が低下してしまう。また、水温の上昇が鈍い沖合いでは、小魚が身を隠せる海草等が無く、捕食者に身を晒す事になるので、ただでなくても少ない小魚が回復不能なくらいに食べ尽くされてしまう。この為、植物性プランクトンが減少し、それを餌にする動物性プランクトンも減り、それを餌にする小魚が減り、小魚を餌にする回遊性の大型魚であるマグロやカジキが減る事になる。
というわけで、マグロを増やすには、鯨・イルカを減らす事と、太陽活性を下げる事が必要になる。このうち、太陽活性については、既に黒点0の状態になっており、心配は無い。というか、人類の技術では太陽活性をコントロールできないのだから、それこそ、太陽任せにするしかない。もう一つの、鯨・イルカ類を減らす事が、人類にやれる対策となる。鯨・イルカ類は、今は北極海と南氷洋に閉じこもっているが、太陽活性が下がって一般海域に餌が増えると、そこから溢れ出てくる可能性がある。すると、いつまでたってもマグロ資源は回復しないとなるのである。
畑に生えた雑草を取り除いて価値の高い品種だけが育つようにしたり、牧草地を囲って価値の高い品種だけに草を与えるように、海の資源も管理しなければならない。動物性プランクトンや小魚を大量に捕食する鯨・イルカ類を間引くのは、海洋資源管理の基本的手法である。
続・男らしさって何?の元増田です。
前回シリーズまでの怒涛が嘘のような閑散っぷり(笑)回答者少な!
あまり男性からレスが無いようなら(そもそも質問の難易度が高すぎる?それとも自問するのに抵抗がある?)この話題は今夜をもって完結します。
余裕出来ちゃったので全レス。
http://anond.hatelabo.jp/20080529224551
すまんが、もうちょっと論理的に整理して書いてくれると助かる。
意味がよくわからないところが多い。
そもそも正解を決めているわけでも無いので、「全部俺にはわからない」でも立派な回答になります。
実際にあなたが考えてみる事に意義があるので、どっかに落ちていた回答を提出されたりしても困ります。ここまで言ってる意味は解りますか?
基本的に社会の発展とは生死の危険が少なくなって、価値観の多様性が増す(動物的本能から離れていく)事です。
要するに発展するほど自然状態からより人口的な世界になっていく訳。人間の価値観も。
例えば現在は未発達で原始的な狩猟社会からうんと発展して皆が安全に暮らせる世の中になりましたよね?
そうなると一昔前の定番句だった「男には狩猟本能がある」「女と子供を身体を張って守るのが男」だと言う概念が存在し得なくなります。だって私たちの暮らすコンクリートの街には狩場も危険地帯もないんだもの。
勿論これは例の一つですが、他にもいろいろあるので是非考えてみてください。
そう言えば男らしさを古代に遡って語る方、多いですね。昭和・大正・明治・江戸・戦国時代…そして原始狩猟時代。このまま行くとプランクトンレベルまでいきそうだ(笑)
http://anond.hatelabo.jp/20080529225522
男らしくあること、自分が男らしいと感じられることが気持ちいいし、それが自尊心に繋がるからです。
男らしさに拘る理由としては、実のところ、それ以上のものはないでしょう。
根拠の無い自尊心って感覚?でもそれに振り回され放題で人生トータル的に泣きを見る男性多そうですけど。
逆に敢えて捨てる事でプラスの生き方もできそうなもんなんですけどね。
そう思われるならQ1??Q3に答えていただけると助かったのですが。
補足文中にある「男性自身にも男らしさってよくわかんないんじゃないの?」についてのご意見も聞けるなら聞きたいところ。
http://anond.hatelabo.jp/20080529235300
なんて難しい質問なんだw
話がちょっと変わるけど、男は自分に男らしさを求めていないと思うんだ。
女が男に求めるものが男らしさなのだと思うのだよね。
その感想だけでも大収穫です(笑)丁寧なご回答ありがとうございました。
でも女が男に求める男らしさですか…私はよくわからないです。今すぐ思いつくのは攻撃的・暴力的な形で男らしさをアピールするのは勘弁ね、くらい。
私としては男らしさ・女らしさに捉われない恋愛もアリで、これから少しずつそうなっていくのではと思ってます。
言いたい事はhttp://anond.hatelabo.jp/20080529223503で全部言っちゃったからこれ以上ネタはないなぁ。
http://anond.hatelabo.jp/20080311060528
の元増田です。
http://anond.hatelabo.jp/20080311101416
>根拠はあるの?
あるようでないです!所詮、人づてに聞いた話ですから。
底つかないでしょうし。
みなさんは、漁獲量の減少とか、身体への害の有無とか、
いったいどうやって判断してるんでありましょか?
つーか、先生がDDTのような有機リン剤は脂肪に蓄積されてが遺伝するっていってたんだもん、
仕方ねーじゃん。
---------
[追記]
http://d.hatena.ne.jp/toar/20080311
舌ったらずな一増田のとりとめのようがない疑問に真摯に答えてくださってありがとうございます。
まさかこんなアレな記事にマジレスがつくとは思いもよらず、なんだか申し訳ない気分です。
まずそちらの受け取られ方で、
少し齟齬のあった(というか僕の文の表現がわかりにくかった)点を。
「みなさんは、漁獲量の減少とか、身体への害の有無とか、
いったいどうやって判断してるんでありましょか?」
前半と後半の質問がぜんぜん関連づいてないんだが……。
につきましては、なんといいましょうか、
世の中に「推進派」と「反対派」の提示しているデータと主張がまるで食い違ってる
(「鯨のせいで漁獲高減ってんだよ」→「違うよ、全然違うよ」とか
「鯨は毒だから、食うと死ぬぞ」→「影響少ないっての」みたいな)
ので、果たしてどっちをどうやって信じればいいのかしらん、
という質問自体に答えを求めるというよりかは、
よりジェネラルな疑問の投げかけのつもりでした。わかりにくくてすいません。
鯨の主食がオキアミ等のプランクトンであることは知っておりましたけれど、
捕食時にあんなに大きな口をあけてたら、マグロやゴミなんかも一緒に摂取しちゃって、
結果的に高次捕食者並の影響を受けないかなぁと考えた次第で。
そういえば、鯨にも異物をよりわけるシステムがあると聞いた事がおぼろげながらあるような。
wikipediaには載ってませんでしたが。
DDTはノートに思いっきり「DDTはリン酸エステル(organophosphate)である」と書いて、
「phosが付いてるなら有機リン剤だろうな」と思い込んでしまってました。違ったんですね。
最近、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」と
フランク・グレアムの「サイレント・スプリングの行くえ(Since Silent Spring)」を読んで、曰く
「あんな古い本に書かれてることなんて大概知ってると思って今まで読んでなかったけど間違ってたわ!」
と偉く感動なさったらしく、ちょうどその時学んでる内容と関連付けられる話題だったので授業の半分くらいはDDTや殺虫剤の話を熱心に語ってくれたからです。鯨の話題はその副産物ですね。
他にもカリブのバナナ農園とか、イタリアであった殺虫剤工場の事故の話とか、
何故か現代社会における奴隷の話とか、面白い話をいっぱいしてくれたのですが。
まぁ、ともかく。
DNAと人間が意外に丈夫に作られてることが(なんとなく)わかってちっぴり安心しました。
これから鯨ベーコンを悩みながら食べないですみます。
影響があるなら、その時はその時ですものね。
ポイントは持ってないので送りたくても送れませんが、
最近ふと生物学の教科書ぱらぱらめくってて思ったことあんのよ。
鯨自身が好む好まないに関わらず、あんなデカイ口でさ、
ついでにうっかり魚もガバーって食べちゃう。
ってことはさ、バイオアキュミュレーションとか、ひどいんじゃない?
ただでさえ魚とか汚染されまくってんのにさ。ヤバイんじゃない?
その上、不法投棄された化学薬品や廃棄物なんかも口にしちゃってるだろうし。
特にそういう国の周辺では。
現にエスキモーは、女子が生まれなくなってゆっくり滅びつつあるっていうじゃない。
あいつら他にも生であざらしとか食ってるけど。
DDTの例をとるまでもなく、多くのケミカルはからだの中で分解されずに
子々孫々に至るまで受け継がれていく。
もちろん、一切れの魚肉やくだものや野菜にふくまれる薬品の量はたかがしれてる。
でも、それでもゆっくりと、確実に僕らの中でそれらは積み重なる。
今のところ、人々の間に摂取と蓄積による影響は見受けられない。
もしかすると、僕らは時限爆弾を食べているのかもしれない。
積もりに積もって、ある限界点を越えると、一気に爆発して僕らに襲い掛かる、兵器。
その中でも鯨肉はヤバイ。
もし、牛に鯨と同じ割合で薬品が含まれいたら、どこの国でも売ることを認められないレベルだ。
あの中国でさえ。
ねぇ、僕は多分彼女将来できないからこのまま食い続けてもいいし、
僕と同年代の人たちは鯨じたいあんま好きじゃないから食べないけれど、
そろそろ生活に余裕もできて、腰落ち着けて結婚して子供生んでもいいかなって年頃の、
優秀な遺伝子を遺さなきゃいけないハズの、あんたらおっさんどもは
どうするの?
マグロは大洋の真ん中(餌になるプランクトンがいない場所)で産卵するんだよぉ。
卵から孵化した稚魚はなにをたべておおきくなると思う?
共食いするんだよぉ。きゃあ。
なんでこうも身近なところからしか動けないのだろう。あぁ、目に入ったものを最短のものをそこから何かを考えるだけ。
増田でもそうじゃ、昨日今日のエントリーに書いてあった言葉や直前の言葉に振り回される。
最近、基礎または芯がなくなってしまったように感じる。生きているようで生きておらん。凄く薄っぺらい。もう駄目かもわからん。
ゆらぎが発生し過ぎている。たまらん。
筋を通すだとか、一本でいくだとかどこにいったんだろうか。テレビや雑誌や変わりゆく音楽や、どんどん映りゆく。瞳に耳に心に。一瞬だけ輝きを放つそれらに眼を奪われて、
何かを忘れる。つぎつぎと過去は薄くなる。未来が過去を水増ししていく。濃いココアが飲みたい。刺激物はもういいよ。悲しくなってきた。
ほしいものは・必要だと感じるものは世界に対しての総量がとても少なく、感じられることは稀であるから、それを大切にしないといけないのだと思う。
なのに、目の前の出来事に、傾向に全てを奪われ、また全てを失う。
全てを放り出して、新しい女のところに向かう、動物のように、心を動かすものが目に入れば空っぽにして飛びつく。
子供の頃に抱いた人形を女に代える。その行為が大切なものを失わせているのではないか。ニュースに眼を通す大人になり、何が良くなった。
心に響くものは複雑なものばかりか?そうではないのではないか。探すうちに今まで持っていた資源を全部使ってしまって、何もなくなり。
書き記した紙は暖を取るために燃やし、心も磨り減り。乾いた生活を潤すことが出来ず、みずみずしさは失せ。
最小の単位で存在している、極小の点に当たったところだけが全ての日々。
荘厳な住宅も形だけで、心は虚ろ。
こんな生物であるなら消え去ってしまいたい。通り過ぎるプランクトンを摂取するだけの日々。
何かになりたいのだろうか。形や行いではなく、心に何かを持ち続けたいのだろうか。アイデンティティが欲しいのだろうか。
全てを賛美することもされている中でくだらないと言い切ることもできず、疑うばかりで、満足も立ち止まりもせず、
瞳をあけつづけ針の一刺しを受けることに託すことすら出来ない。
美しいものを積極的に失うこと。怖れを抱かないこと。そうやって始めて美しい現実が見える。