はてなキーワード: しつけとは
現実問題として女子中学生を守るために日本の男を全部国外退去させることはできないよな。
つーことは、女子をもっと厳しくしつけて、校則でがんじがらめに縛って、学生服で町を歩いていたら即補導、私服で町を歩いていたら即補導ってことでFA?
http://d.hatena.ne.jp/yousanotu/20080213
花岡という人は「しつけ」が徹底していなかったことは残念と書いてるが、俺ならもうちょっと直接的に書いたかもしれんよ。
http://d.hatena.ne.jp/K416/20080213
とあります。レイプ後の経過において「被害者にも責任があるという発言」がされることが「セカンドレイプ」なので、被害者(やその家族)の「しつけ」に帰責するこの記事は、まさしく「セカンドレイプ」なのでは。
そうかぁ、「セカンドレイプ」云々と言う人の中には、レイプ被害者は絶対弱者であり、神聖にして犯すべからずな存在だと思っている人がいたわけだ。だから、「ちゃんとしつけをするべきだ、気をつけるべきだ」と言うことすらあくだということになるんだな。
「被害者の気持ちをおもんばかるべきだ」と言う意味でのセカンドレイプ云々にはもろ手を挙げて賛成できるが、「被害者が傷つくから何一つしゃべるな」と言うセカンドレイプには賛成できんわ。
「被害にあわないため、きちんと子供をしつけろ、被害にあわないため、暗くなってからうろうろするな」そういった意見を封殺する風潮にはまったく賛同できない。
リンク先の二つの意見を併読して、もやもやが吹っ切れたよ。「セカンドレイプ」という言葉を見ても、これからは懐疑的に読むことにする。
とにかくいまの日本の「閉塞感」とやらは
ぜーんぶ「気が小さい」のが原因なんだ。
仲間はずれになるのが必要以上に怖いから
一人で失敗するのがこわいから自分で物を考えない。
エイズより何桁も罹る可能性の少ない
まともな投資家がいなかったりするのもみんな
「気が小さい」せいなんだ。
失敗を恐れずやらなきゃいけない事とかはもちろんのこと
ちょっとでもリスクが頭の隅にある限り
みんな怖くて夜も眠れないんだ
「自己責任」の四文字が恐ろしくて何もできないんだ。
この今の日本人の「気の小ささ」をどうにかしないと
もちろんおいらも気が小さい日本人の一人だからして
なんとかしてくれるのを希望したいところだけど
不可能だろそんなの(共産主義?)
気の小ささってどうにかなる物なのか?
できたとしてもおいらが生きている間には
間に合わないんだろうな、、、
2年前に、今の某大手企業に就職した。前は、200人規模のソフトウェア会社に居た。
なんというか、腐ってはいても元技術者の癖というか、とりあえず「組織から評価されない人」を信用できない。
評価されないというのは、誰にも点数をつけられない人。
何を言っても評価されない。何を間違っても評価されない。
そういう処世をしてないと生きていけないと身に染みている。
で、新しく入った今の会社は、上位から10人くらいはまったく誰からも評価されていない。
だから、「残業時間を減らせ」といいながら、単身赴任で休日暇だからとサービス休日出勤をして勝手に仕事を進ませて、
「オレが会社を動かしてるんだ」とか「おまえら暇なんなら残業でもすれば」とかってデカい鼻を振り回してOK。
勝手にどこの馬の骨ともわからない元なんちゃらとかを呼んで、意味のない講習会を開いてもOK。
5S(整理、整頓、清掃、清潔、しつけ)が社会人の常識だと社員全員を集めて2時間も猛説教をしておいて、
その直後に女性派遣社員との不倫が発覚しちゃった後に「5Sにプライベートは含まれない」とか超絶意味不明発言をしてもOK。
こんな信用できない人を抱えて仕事しろっていわれもな。
どげんともしようもないわ。
>こちらの気に入らないところがあると「でも普通は○○しないよ」という形で自分の意見を承認させようとする。
>その逆に彼女が普通を逸脱した行動をすると「普通普通ってそんなに普通が大事なの?あなたとあたしの問題なんだから普通なんて持ち込むなんて変!」という。
前者のシチュエーションは知らないが、後者のシチュエーションは明らかに二者関係。だから二人のルールが成立していれば普通なんて関係ない。よって彼女が正しい。別に普通であってもいいが(子供をしつけるときに困る)
前者も二者関係(公共含まず)なのであればダブスタ。まあどちらを採るかはあなたとかの女次第。だって、二人が付き合うためのものであって、どちらが正しいかジャッジすることが目的ではないのだから。
枠とかをコピーしたくないのでF2を押して、セルの内容をコピー
この作業をやってると、うっかりシングルクリックで済ませてしまうことがある。
すると・・・
チャン!
クリップボードに保存されているデータの大きさや形が、指定された領域と異なります。貼り付けますか
[OK][キャンセル]
流れ作業なのでそのままリターンを押してしまう。
チャン!
結合されたセルの一部を変更することはできません
[OK]
あああー!!
チャン!
データを貼り付けできません
[OK]
しつけぇえ!!!
凄くやる気が萎えてくる。
動物のカメレオンを知らない人はいないと思いますが、カメレオンの本来の色はいったい何色なのでしょうか。 これを考え出したら、眠られなくなってしまいそうです。 どこかの漫才コンビではありませんが、トンネルはどっちが入り口で、どっちが出口なのでしょうか。 卵が先なのでしょうか、鶏が先なのでしょうか。 なにも、ふざけているわけではないのです。 このことは科学的にも、解明されていないことだそうです。 だから悩まなくてもいいのです。
ここで言いたいことは、「八方美人にはなるな」と言いたいのです。 このことは別のところでも書いたと記憶していますが、もう少し詳しく考えたいと思います。 カメレオンは保護色の動物であり、自分の身を守るために周囲の環境に合わせて自分の皮膚の色が変わるのは周知の事実です。 色を意識的に変えるのか、自動的に変わるのかは分かりませんが、とにかく生き残るための知恵として保護色という道を選択したことになります。 「生き残るため」ということが重要なのです。 このことを人間の生き方で考えてみると、八方美人的な生き方に当てはめて考えることができると思います。
?? だれに対しても如才なく振る舞うひと
ここでは??の意味で用います。 人はなぜ八方美人になるのか。 このことを心理学的に分析すれば、いろいろのことが教えられると思いますが、このホームページは心理学のためのホームページではないのでその分析は割愛します。
人はなぜ八方美人になるのか。 それは本人は意識していなくても、根本はカメレオンと同じではないでしょうか。 自分が生きていくためには、八方美人になることがいちばんいい(楽な)生き方だと判断したからだと思います。 しかし心の奥底までも、八方美人になることを容認しているのでしょうか。 ここからは、なぜ八方美人になるのか、その理由を私なりに述べてみましょう。
自分に自信を持たないために、他人と同じ考え方をした方が楽に生きられる
相手に嫌われないために、心ならずも相手に同調や妥協する
自分に自身が持てないので、多数のひととは異なった意見を持つことが不安である
他人と妥協することが協調だと誤解している
ひとと争いたくないから、相手に妥協する
自分なりの生き方や考え方がないから、相手に合わせざるを得ない
相手が怖いから、相手に合わせて難を逃れようとする
小さいときから親に他人とは争わないようにしつけられた
・ 親子共々、人生には争いごとが避けられないということが分からなかった
八方美人になれば、だれも自分を攻撃したり、非難することはないと考えた
このような理由が複合的に重なり、八方美人になることを選択したのだと思います。 しかし、ここからが重要なことなのですが自分の身を守るために八方美人になったことが、自分の生き方を苦しくするということをぜひとも理解して欲しいのです。 なぜそうなるのか、そのことを説明します。
これは前にも書いていることなので繰り返しになるとは思いますが、とても重要なことなのでもう一度書きます。 八方美人は、すぐにだれとでも妥協するので基本的には敵をつくることが少なくなることは、その通りだと言えます。 八方美人になる人が勘違いしていることは、敵が少ないことは味方が多いことと思いこむことです。 結論を先に言えば、八方美人は敵もつくりにくいかわりに、味方もつくらないということです。 敵が、あるいは自分と意見を異にする人が少ないということは、とりもなおさず自分に味方してくれる人も少ないということです。 これ本当ですよ。 自分に味方してくれる人が少なければ、その人の生き方は自然に苦しいものになってしまうということです。 もっと分かりやすく言えば、自分が苦しいときに助けてくれる人が少ない、あるいはいないということになってしまうのです。 なぜそうなってしまうのでしょうか。
八方美人はだれにでもいい顔をするので、相手にしてみれば八方美人はなにを考えているのか分からなくなってしまいます。 相手がなにを考えているのか分からなければ、表面的なつき合いはできても、大切なことは相談できないということになるではありませんか。 ここぞと言うときに八方美人はだれからも信頼されない理由はここにあるのです。 自分の身を守るために、あるいは相手に信頼してもらおうとして八方美人になったのに、結果としてはだれからも信頼されなくなってしまうのです。
これは私の持論ですが、味方が欲しければまず自分の意見を明確に述べて、敵(自分と意見を異にする人)をつくることです。 あえて自分と意見を異にする人をつくりだすことが、味方をもつくり出してくれるのだと思っています。 敵をつくるということは、好きこのんで喧嘩をすることとは違います。 相手と議論を尽くせと言うことです。 議論をつくせばお互いの意見の相違が明確になり、自分に同調する人と反対する人とが必然的に別れてくるということです。 そのことが本当に信頼を勝ち取るということではないでしょうか。 信頼を勝ち取るためには、自分の立場や意見や考え方を明確に訴えるしかないのです。 妥協の中からは、決して信頼は生まれてきません。 妥協の中から生まれてくるものは、「馴れ合い」だけです。 日本のような談合社会です。
普通は自分の意に添わない人に、好意を持つ人は少ないのです。 そのような人は自然と自分から離れていきますが、逆に自分の意見に共鳴する人は集まってきます。 そのようなひとと信頼関係を結べれば、それでいいのです。 だれとでも仲良くしようということ自体が、もともと無理な話なのです。
お互いの意見の相違を認め合ってこそ、協調できるのです。 このような考え方は、日本人には理解しがたいことのひとつではないでしょうか。 日本人の一般的な考え方からすれば、考えの違う人とは協調することは不可能だと考える人が多いのではないでしょうか。 多くの日本人の考えている協調は、協調ではなくて妥協ではないでしょうか。 妥協とは「馴れ合い」と言い換えてもいいでしょう。 ここのところは、日本特有の「和の精神」と深く関連していると思います。 「和の精神」については、機会があれば書いてみたいと思います。
八方美人は相手に気に入ってもらうために、絶えず相手の動向に気を配る必要があります。 そして相手の考えが変われば、自分の考え方も変えなければならないのです。 そうしなければ相手に気に入ってもらえず、いままでしがみついていた人から捨てられてしまうからです。 相手の出方次第によって自分の考え方も変えざるを得ないから、結果としてだれからも信頼されなくなるのです。 当然心の安らぐこともなくなってしまいます。 だから八方美人はカメレオンと同じだと言えるのです。 敵から身を守るために心ならずも周囲の考え方に同調した結果が、自分の身を滅ぼしたり、自分の生き方を苦しくしてしまうのです。 なんと皮肉なことなのでしょうか。 この事実に気がついただけでも、人生は大きく変わるはずです。 自分のいままでの生き方を振り返ってみて、思い当たることはありませんか。 なければ、その人は幸せな生き方をしていると言えます。
私などは、若いときに相手の意見に反対しないことが生きる知恵だと思って、苦しい生き方をしてしまったと反省しています。 反省するからこそ、いまこうして一人ひとりに訴えかけているつもりです。 でも自分の意見を明確に発言することは、とても勇気のいることなのです。 これも日常のささいなことの訓練の積み重ねで可能になるでしょう。
よくレストランなどに仲間で行ったときに、注文する段になって相手と同じものを注文することも多いのですが、このようなささいなことが大切だと思うのです。 自分も本当に相手と同じものを食べたくて同じものを注文したのであれば問題はないのですが、ほかに食べたいものがあったのに相手に合わせるために同じものを注文したのだとしたら、考え直す必要があると思います。 次回からは自分が本当に食べたいものを注文してみましょう。 そうすれば、いつも食べているものでも、いつもとは違った味がするでしょう。
本当の自分を押さえ込んでいては、幸せにはなれないのです。 自分のしたいこと、言いたいことを率直に表現することからはじめましょう。 これはなにをしてもかまわないとか、なにを言ってもかまわないということとは次元の違うことなのです。
八方美人になることは本当の自分を押さえ込むことになるので、相手からみると明るく見えていても、自分の心の底では自分を偽っていることは隠せないので、いつも気持ちが晴れないはずです。 心の底の自分と現実の自分のしていることが矛盾していれば、いつかは心に破綻を来たし精神症にかかってしまう可能性も大きくなるでしょう。
相手に取り入るために八方美人になったのに、相手にとって自分が用のない存在となれば真っ先に見捨てられてしまうのです。 相手につくすだけつくしたのに、真っ先に見捨てられる人とはこのような人ではないでしょうか。 もうこれ以上くどくどと説明することもないでしょうから、あとは自分の生活の中で周囲を見回して思い当たる人がいないかどうか考えただけで、私の言うことを理解してもらえるものと思います。
自分の生き方を楽にするためには八方美人になることだと勘違いして、生きることが苦しくなっている人は想像以上に多いようです。 そしていったん八方美人になってしまうと、相手の評価が怖くて八方美人から抜け出すことが難しくなるのです。 八方美人をやめるためには相当の決断と努力が必要になりますが、どんな犠牲を払ってでも八方美人をやめなければ、生きることは苦しみ以外の何ものでもなくなるでしょう。 八方美人にとっては、八方美人になって築き上げたまやかしの人間関係を失うことが恐ろしいのです。 八方美人にとっては相手の評価が自分のすべてですから、その評価を失うことには耐えられないのです。 でも、その苦しみを乗り越えなければ、本当の信頼関係は築けないのです。
心の底の自分が八方美人になってはいけないと叫んでいるのに、現実の自分は八方美人にならざるを得ない、そのギャップがひとを苦しめるのです。 人間は他人は騙せても、自分は騙せないのですから。 このギャップが自分自身への信頼を失わせるのです。 そして他人からは当てにされても(利用されても)、信頼されなくなるのです。 これはあなたの周りの八方美人になっている人を観察すれば、すぐに分かることのはずです。 他人のことは見えても、自分のことは見えにくいものです。
ひとつ付け加え置くことを思い出しました。 それは確かにだれにでも人当たりのいい人もおります。 私の経験から言えば、彼はだれにでも好かれる人物でした。 彼を悪く言う人を私は知りません。 そして彼は相手の意見は決して否定はしませんでした。 では、八方美人だったかというそうではありませんでした。 ただ、他の人と違っていたことは、彼は自分の意見を正直にしかもだれに臆することもなく言う人でした。 それでもだれにも嫌われることはありませんでした。 そしてだれからも信頼されていました。 彼をねたむ人もおりましたが、そのような人でさえ彼を信頼していました。 こんなことは自分に絶対の自信と信頼がなければできないことです。 自信のある人は、いつも頭が低いようですね。
取引先の社長のひとりにだれもがたてつけないワンマン社長がおりましたが、あるとき彼はその社長と正面からぶつかり、夜中まで激論したそうです。 結果はその社長は自分の意見を取り下げることはありませんでしたか、彼に対する評価が一段と高まりました。 彼は若いけれども(当時は35才くらいだったと思います)、譲るべきところと、譲ってはならないところを知っていたのです。 彼は相手を否定したのではないのです。 ただ自分の信念を貫いただけなのです。 相手を否定しないで自分の信念を貫くことは、至難の業だと言えます。
人に信頼させる人物になるとは、そういうことではないでしょうか。
5万円やるとかやらないとかよりも
なんていうかもっと家庭内の金の内訳とか、子供に話した方がいいと思う
月収と、そしてその内電気代はどれだけかかっているかとか食費はどれだけかかっているかとか
そうするとおのずと子供が「あれっ。意外と無いんだ。こんなにもらっていいのかな」となってくるし、ちゃんと自分の小遣いを有限なものとして捉えられると思う(よほどの金持ちは別だが)
それに無駄に何かを買うこともなくなってくる
本当にいるものだけを買おうとするだろう
って何でこんな事言うかっていうと自分がまるでそういう事を知らずに育ったからであるのだが……
子供の頃割りと求めればすぐ買ってくれたり、水も電気もバリバリ使っても特に何も言われずそこそこ小遣いももらえたり親戚からももらえたりしたために、そういう事を全く意識することなく来てしまい今後悔しているからなのだが……
いや本当ね。正直教えて欲しかった。そんな状況で育つと子供って、なんとなく金って湧いてふってくるもの(とまではいかんかもしれんが)だとか、電気とか水とか食費って実質ほとんどかかってない、というような認識になってしまったり(で、知ると、「えっ!?こんなにかかってるの!?」って驚く……まあ俺なんだけど……)陳腐な言葉だけど金が大事な事を分からないまま育ってしまう。「大人になって働いてもこれだけしかもらえないの!?」って愕然としてしまう(俺なんだけど……)。
その落差がね。キツい。最初から知ってればもっとちゃんと暮らしてたのにな……とか思うよ。
子供の頃あんまり贅沢させないでほしい。子供がねだっても買えないものは買えないっていって欲しかった。なまじ大抵何でも買ってくれたから、我慢することを覚えられなかった。いや、完全に親のせいではないけど。今更気付いた俺も俺なんだけど。
親としては、どうせ苦労するんだから子供のうちはなんでもしてあげたいとか、そういう気持ちだったのかもしれないけど。
でもそうやって甘やかされて苦労も辛さも我慢も特にせずに育った子供が、大人になって急に成長なんて出来ないんだ……落差が激しすぎる。子供の頃がよかっただけにあとは下がるのみ。絶望だよ。それよりもたくましく生き抜いていけるような力が欲しかったよ。歯磨きしなかったらもっとしかって欲しかった。手洗いしないままお菓子を食べたらもっとしかって欲しかった。基本的な生活の癖すら幼稚園レベルな気がする。俺。本当甘やかされたし、学校面でもなまじそこそこ頭よかったから苦労しなかったし、運動部は面倒だから入らなかったし、とことん苦労してない。今大学生だけど今頃そんな自分のダメさに気付いて苦悩中だよ。嘘のような話だけど幼稚園レベルの生活の癖から治してる……情けないよ。しつけが厳しかった友達の家の兄弟たち全員は、皆そういう癖がちゃんとついてる。部屋をきれいにするとか掃除するとか。面倒くさがらずちゃんとやれてんのね。それは昔からそう言う癖をつけられてたからなんだろう。わがままかもしれないけど、そういう癖、つけて欲しかった。思考においても、面倒くさくてもやらなきゃいけないことはあるとかそういうこと教えて欲しかった。仕方ないから今自分で文に書いて気をつけてる。「自分の思い通りにならないこともある」とか。本当幼稚園レベルで自分が情けないよ……
すべてこの世は舞台、男も女もすべて役者に過ぎない。シェイクスピア
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう
しつけとは、他人のことをどれほど考えていないかを隠すことである。
しつけとは、自分のことをどれほど多く考えているか、
他人のことをどれほど考えていないかを隠すことである。
マーク・トウェーン
マナーは国や民族、文化、時代、宗教のさまざまな習慣によって、形式が異なる。
ある国では美徳とされている事が、他の国では不快に思われることもある。
例えば日本ではげっぷをすれば不快に思われるが、アラブ諸国では食後にげっぷをするのが礼儀とされている、など。
他には日本では食事の際に飯椀を食卓に置いたままで食べるのは「犬食い」と呼ばれ批判されるが、
お笑い芸人が某所で祭られた件について
弁護はしたくないのだが、できる余地があるとすれば、障害者について批判的に触れることがタブーになっているようであることへの批判のためにネタとしたのではないかという、つまり社会風刺として読むということではないか。
しかしそれにしてもこの障害者をタブーにする構造をなんとかして語るべきであり、障害者自体をただ中傷するようなネタについては、これは手法としてもまずいのではないか。その方法では批判の根本的な意図が、どうせなかったのだろうが上にあったとしても伝わらない。
そのためまったく面白みのないDQNによる暴力の告白のようになっている。もしくは自分の価値観のおしつけ。
これが笑いとして評価されるんだったらあらゆる反社会的な武勇伝が同じように評価されることになるんじゃねーのか。それでいいんですか、みたいな。
これで笑うひとがいる点に人間の価値評価の基準いろいろを見るのであるが、ともかくこれは風刺でもなんでもないよなあ。そういう点に怒っているんでしょみんな。(またはリンク先の彼ら)
YouTube - Children See. Children Do.
「子供の頃、親から厳しく育てられた」 と言う受刑者が少なくないのに気づいたのは、受刑者たちとの面接を始めてからしばらく経った後のことでした。
最初のうちは、厳しく育てられた者がどうして非行や犯罪など悪いことを繰り返すのだろうかと、その意味がよく分かりませんでしたが、
聞いているうちに、それは親からの体罰や虐待を受けて育てられたということでした。
行為障害のある非行少年や反社会性人格障害をもつ犯罪者に特徴的なことは、
幼児期から周囲との暖かい人間関係が妨げられ、正常な感受性や良心や道徳心が育たず、
他人の苦しみや悲しみに無関心で、相手に苦痛や被害を与えても、相手の痛みが分からないなど、
よい対人関係を続けるのに必要な感受性の希薄さが感じられることです。
自分と付き合う人間は、自分の利益に役立つ間だけ価値のある人であり、相手を道具として利用するだけの関係でしかありまえせん。
昨年6月に奈良県で起きた事件は、16歳の少年が自宅に放火して、継母、弟、妹が亡くなるという悲劇を招いた。
その少年には4歳のときから勉強を強要し、暴力を振るう父親への憎しみがあった。
草薙さんの著作は、少年の供述調書などを紹介しつつ、殺人へと到る心境を綴った少年直筆の「殺人カレンダー」を公開している。
「僕はこれまでパパから受けた嫌なことを思い出しました。パパの厳しい監視の下で勉強させられ、怒鳴られたり蹴られたり、本をぶつけられたりお茶をかけられたりしたことを。
なんでパパからこんな暴力を受けなければならないんや。一生懸命勉強しているやないか。
奈良の少年放火殺人 鑑定医と著者宅捜索 本出版で地検 供述調書漏えい容疑
「子は親の鏡」子どもたちはこうして生き方を学びます(皇太子紹介の詩) - 踊る小児科医のblog
批判ばかりされた子供は、非難することをおぼえる。
殴られて大きくなった子供は、力に頼ることをおぼえる。
笑いものにされた子供は、ものを言わずにいることをおぼえる。
皮肉にさらされた子供は、鈍い良心の持ち主となる。
しかし
激励を受けた子供は、自信をおぼえる。
寛容にであった子供は、忍耐をおぼえる。
賞賛を受けた子供は、評価することをおぼえる。
友情を知る子供は、親切をおぼえる。
安心を経験した子供は、信頼をおぼえる。
可愛がられ 抱きしめられた子供は、
ドロシー・ロー・ノルト
Amazon.co.jp: 子どもが育つ魔法の言葉 (PHP文庫): ドロシー・ロー ノルト,レイチャル ハリス,Dorothy Law Nolte,Rachel Harris,石井 千春: 本
Amazon.co.jp: いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳: Martin H. Teicher,友田 明美,マーチン・H. タイチャー: 本
児童虐待が脳に残す傷 M. H. タイチャー:日経サイエンス
私たちマサチューセッツ州ベルモントにあるマクリーン病院とハーバード大学の共同研究グループは,
虐待の影響を研究して,これとは少し違う結果を得た。子どもの脳は身体的な経験を通して発達していく。
被虐待児は、他人の不幸を喜ぶ冷酷な世界でも生き抜くように適応
極端なストレスは、さまざまな反社会的行動を起こすように脳を変えていく。
ホルモンの量が変化し、子どもの脳の配線を永久に変えてしまう。
しかし、これは本人にとっては”適応”なのだ。
他人の不幸を喜ぶような冷酷な世界でも生き抜けるように適応しうるのだ。
適切な世話をし、激しいストレスを与えないことが子どもの脳に大切だと私たちは考えている。
そうすれば、左右両半球の統合もうまくいき、子どもは攻撃的にならずに、 情緒的に安定していて、
はてなブックマーク - 心が傷つけば脳にも傷がつく-中日新聞-
Amazon.co.jp: 毒になる親―一生苦しむ子供 (講談社プラスアルファ文庫): スーザン フォワード,Susan Forward,玉置 悟: 本
私は私のことをします。ですから、あなたはあなたのことをして下さい。
ヒラリー・クリントンは、「3歳までの経験が将来の発育に重要で、平和な市民に育つか凶暴な市民に育つかを決める」と主張し、
とにかく世界は動いている
腕を投げ出して食うと必然前屈みになる。子どもに同じ姿勢で食わせてみれば分かるが、そんな姿勢だとむせて食べたもの噴いたりする。だから、経験上親は子どもに「きちんと座って食べなさい」としつける。そうしないと掃除が大変だし周囲に迷惑かけるから。「寝っ転がって物食うな」も同じ。ただし古代ローマでは「寝転がって食う」のが食事のスタンダードだったそうで、寝っ転がって食うにも食い方があるのかもしれない。これは余談。
そのほか、「音をたてない」「口を開けて食べない」なんていうのも、単に「大人」が周囲の人間を不快にさせないためのマナーのように言われてると思うが、本当は子どもを社会化する際に必要だと認識されることなのではないかと思う。
かような社会では、本人が「腕を投げ出して食う」ような振る舞いをするのは「親となる資格がない/なっても子どものしつけができない」人間だとみなされることになるだろう。また「子どもの時に親がきちんとしつけなかったのね…」という目線で見られることにもなる。彼氏の言い方はたいがいだが、このケースでは彼女は素直に言うことを聞いた方が彼女自身にとって利益は大きいのではないかと思う。まあ一事が万事なので、同じようなことは他にも見えてくるだろうからさっさと別れた方がいいんじゃないかと思うけど。
All the world's a stage, And all the men and women merely players.
すべてこの世は舞台、男も女もすべて役者に過ぎない。
たいていの友情は見せかけであり、たいていの恋は愚かさでしかない。
ん。しつけがわかりにくかったか。
ハラペコな男子学生に目の前にステーキの肉汁の滴ってるのを見せておいて、
普段から我慢することにならされていない場合怒りかねない。
彼の場合は怒った。
それだけの話しだとおもうよ。
餌があるのに、それを彼に与えたくないのだとしたら、
最初から見せないようにしておくか(これは彼がいっていた最初からつきあうなということ)
見せた上で我慢できるように精神的に成長してもらうよりない。
彼はまだ未熟なんだろ。
でも本能に逆らう行為だから、なかなか難しいだろうな。
きちんと彼に説明して納得してもらうよりないんじゃないの。
私は身持ちが固い女なのみたいに言って。
それで双方が納得できなければわかれればいいだけのお話し。
まあ、本当に女子高生だとして、
セックスを求められたけど、
したくない相手(もしくはしたくない時期、年齢)だったから拒否した。
それで普通だし、それ以上の何物でもない。
これから彼になにかしつけてやる必要もなければ
自分が変わっていかなくちゃいけないわけでもない。
まあがんばって生きていけ、というだけだ。
「しつけ」ってのはたとえ話に近いから誤解しないように。
まあ、すでに好きでもなくなった相手だろうから、
いちいちしつける必要もないだろうけどね。
しつけるのは私の役割なのでしょうか?
彼のご両親の役割では?
同学年の相手をしつけるなどいささか傲慢な行為であるような気がするのですが。
私も所詮まだ未熟な学生ですし。
よくしつけられていない犬は
餌をだされたところで、
待て!といわれても待つ事ができない。
ただそれだけのことだ。
がんばってしつけてください。
ただなんかしらの餌は必要かもしれません。