はてなキーワード: 若者の車離れとは
どんどん論点がずれてって面倒だね。
世間で車のコストがメリットに見合わないと判断されるようになってきているから、車好きの元増田が車は便利ですよコストに見合ってますよとアピールしてるんだろ。
旧来のコストが十分メリットと釣り合っているなら、若者の車離れなんて言って自動車会社が悩むことにはならない。
みんなずっと「現状のコスト(≒市場価格)は適正かどうか」について話してるのに、お前が「市場価格は常に適正である」という電波を飛ばした上に勝手に誤解して難癖つけてるだけ。
市場価格が年間100万だから、年間100万は客観的に見て適正なコストである、なんて主張が正しいなら、元増田に存在意義がない。
この場合は、「(増田にいる個々人にとって)それが年間100万近く払うほどの価値があるのか?って話じゃねえの?」と解釈するのが日本語として自然だな。
ふうん、なんの根拠もなくこれが自然だ、と言われても、こちらは全く自然とは思わないから、やはり話している言語が違うようだね。
これまで言ってきたような理由で「一般的に」という解釈は除外される
「市場で取引されている価格は一般的に考えた場合の価値である」という前提は受け入れられないから、除外されないと思うよ。
あくまで取引した人間にとっての価値であって、「客観的価値」ではない。その価格での取引を拒む人間は増えているわけだからね。
拒む理由は完全なまでに経済的な理由だ、つまり若者の車離れは若者の所得低下が全てだ、と君が主張するならまた話は変わってくるが……。
取引があった時点で、その金額に見合う価値があると「みなす」
取引をするのはあくまで個別の特定の主体だから、取引があったからその価格をその時点での客観的価値とみなす、というのは適当でないよ。
よって二行目も不適当。というか、あの文脈では僕ならどのような条件でも主体にyouを想定してあのような文は生成しないのだが。youは候補にさえ入っていないよ。
若者の車離れの原因が若年者の所得の低下だけが原因ということなら、市場価格は適正で、今でも客観的価値を正しく反映しているかもしれないね。貧乏人が増えて買える奴が減っただけで、車が持つ価値自体は今でも変わっていないはず、というわけだ。