はてなキーワード: 球技とは
自分は生まれつき斜視で5歳の時に手術したが、そのころには右目だけでみる癖がついてしまい左目の視力は測定不能状態。ただ、左目の視力は良かったので特に不便を感じることもなかった。自分は右目しか見えないわけで当然両眼視による遠近感はわからない。それでもこれまで特に困らなかったのは、両眼視できなくても他の方法で大体の遠近感ならわかるからだろう(大きさとか、他のものとの位置関係とかで)。自分としては、遠近感がないという意識はほとんどせずにこれまですごしてきた。
ただ、最近3D映画がはやってきて、それを見た人がすごいすごいといってるのを聞いてちょっと疑問に思った。両眼視による遠近感ってそんなにすごいものなのか?だとしたら、それがない自分が見てる世界はそれだけ情報量がかけてることになるのか?みんなが3D映画をみてるなか、自分だけ普通の映画をこれまでみてきたのだろうか?
ひとつ気になるのは、学生時代自分は体育で陸上などの競技はそこそこできたが、球技が徹底的にだめだったこと。それって、両眼視ができないことがどれくらい影響したのだろう。両眼視できないプロ野球選手とかいるのだろうか。もしくはプロの選手で途中で片目を失明して両眼視できなくなった人とかいないのだろうか。
片目が見えないひとで、球技が得意だったって人いませんか?
最近筋トレをしている。8月からはじめたので、そろそろ4ヶ月になる。
たった4ヶ月だが、僕にはとても大きな「成果」だ(まだ途中だけれど)。
というのも、僕は昔から飽きっぽい性格で、何かをまともに続けたことが無いのだ。特にスポーツは大嫌いで、小中高大とまともなスポーツ経験はなし(もちろん部活動も)。
唯一挙げるとするなら、高校3年間、最寄り駅までの往復10キロを自転車で通いとおしたことくらい。
僕は、「何かを続けたことが無い、特にスポーツの経験が無い」というのが、ずーっとコンプレックスになっていた。
この手のコンプレックスは厄介だと思う。
何が厄介かというと、「自分は根性無しだ」という思いがどんどんエスカレートして「自分には価値が無いのだ」と結構本気で思い込んでしまうことだ。
実際、僕も思春期の多くの時間をそう思って生きてきた。「自分は努力が続かない、自分は能無しだ」という風に。
しかし、最近筋トレをしてから、「続けられなかったのは単に自分が根性無しだっただけではなくて、環境にも少なからず問題があったんじゃないか」と思うようになってきた。そして、環境にも原因があると割り切ったら(開き直りかな)あまり自分のことを卑下しなくなった。
ではこの場合の環境とはなにか。それはつまり、多くの人達のスポーツ経験の主体である、学校体育(部活含む)のことだ。
筋トレをしていて思ったことが三つある。
まず一つ目が、体を動かすのはきついだけでは無いということ。
学校体育はサッカーや野球などの集団競技(特に球技)や、マット運動、そしてマラソン、走りこみなどの有酸素運動で構成されている。
これはきつい。特に僕のような運動神経が無くて、根性も無くて、怒鳴られるとすくみあがっちゃうような人間には特にきついのである。
しかし、筋トレをしてみるとどうだろう。体を動かすすのが苦痛ではないのだ。むしろ気持ちいい。誰にも怒られるわけではないし。競争するわけではないからビリにならなくてもいい。そして、何よりもバーベルを上げ下げするだけだから、運動神経という厄介なものが必要ではないのだ。これは僕にとって大きな意外であり喜びだった。
二つ目が、筋肉がつくと色々な運動の記録が大きく伸びるということ。
三つ目が、体つきが少しづつ変わってくると、自信もついてくるということ。
言葉にしてしまえば単純で、要は「体を動かすのは気持ちいい、記録も伸びるし、積み重ねが変化として見えてくると、自分の自信になるよ」ということだ。
多くに人は、こういう喜びを学校体育を通じて獲得するのだろう。しかし、僕みたいな怒鳴られ耐性が無くて、運動神経の無い人間は取りこぼされ、そういった喜びから排除される。排除されるだけならまだしも、「欠陥品」という思いを抱えて生きていくことになる。
ここまで読んでくれた人の中には「甘えてんじゃねーよ、みんな殴られながらも歯を食いしばって頑張ってるんだよ」と思った人もい多いだろう。
僕はその指摘を否定しない。その指摘はあっていると思う。少なくとも僕に関しては。
僕が逃げやすいのは事実だし、運動神経が無くても、歯を食いしばって頑張り、そして成果を残している人は多いだろう。
だが、学校体育からはずれた人達を「根性なし」と排除するのは問題だと思う。
何故ならば、上にも書いたとおり「運動経験が無い」という思いは人格形成に結構影響を与えるからだ。
世の中には運動のできるやつとできないやつがいる。これは事実だ。
しかし、順位がつかない、ひとりでコツコツ続けられる、続けると結果が出る。そんなスポーツをもっともっと学校で普及させるべきじゃないだろうか。
古来人間、特に男性にとって戦いとは、興奮の源であり生きることに直結する活動である。獲物を狩る、敵対部族と争う、強い戦士であることを女性に見せ付ける。闘争するための力の行使こそ、男性の活力を最も奮い立たせる活動の一つである。
現代日本においては、肉体を用いた直接戦闘を行う機会は非常に少なくなっている。しかしそれによって闘争に対する本能的喜びが消えた訳ではない。相撲、K-1のように、代理人に自己を投影して直接戦闘を楽しんだり、球技のようなスポーツという形にマイルドに加工された戦闘を行ったり観戦したりして楽しむことには大変人気がある。
戦いとは極めて強い刺激であり、興奮であり、快感である。死力を尽くしたぶつかり合いである。なぜ人はトータルでは負けると分かっているパチンコや競馬に金をつぎ込むのか。それが(少なくとも主観的には)勝負だからである。戦いの興奮を得られるからである。なぜアカギは、命を賭けた勝負こそが人生で、他の事はただの休憩だと言ったのか。なぜ佐々木小次郎は、切り合うことでしか友を作れず、殺しあうことでしか語り合えないのか。それは戦いこそが凝縮された生の煌き、生命の表現、他者との濃密なコミュニケーションだからである。
私は自分の肉体を用いる直接戦闘こそ、最も濃密な戦いの時間を楽しめると思っている。しかし、実際に肉体を用いる格闘技を自分が行う場合、非常に大きなデメリットがある。それは大怪我の可能性である。
怪我をすることによる痛みなどは特に問題ではないのだが、肉体を使う戦いでは打ち所が悪ければ失明、脳への後遺症、最悪死ぬこともありえる。また骨折程度でも、実生活への悪影響はかなり大きなものとなる。これは娯楽のために行うには大きすぎるリスクだ。
自分で戦いをしたい。しかし怪我はしたくない。このような贅沢な要求に応えるもの、それこそが擬似的な自己の分身であるキャラクターを用いて戦う、対戦格闘ゲームである。
また、肉体を用いた戦いにおいては、言うまでもなく肉体の性能が非常に大きな要素を占める。つまり、個人の努力や技術うんぬんではなく、どれだけ肉体的に優れた遺伝子を持って生まれてきたかを競うという側面が強くなる。それに比べて、ゲームでは同じキャラクターの性能はまったく同等である。幼稚園児でも、現役の横綱でも、同じボタンを押せば同じ性能の動きが可能である。よってゲームでは、肉体を用いた直接戦闘に比べて、非常に公平な条件での戦いを楽しむ事ができるようになる。
戦いにおける興奮に近い要素を持つゲームは色々ある。例えばレースゲームやシューティングゲームであっても、ぎりぎりの時間の中に多くの判断と正確な操作が要求され、そのスリルの中に自分の思い通りの結果を得られた場合の喜びもある。しかし私にとっては、そこに対戦相手である人間がいなければだめなのである。右なのか左なのか、前身なのか後退なのか、これまでに得た全ての情報と経験を統合し、一瞬のなかに最大限の思考を巡らし、全霊をもって放たれる相手の一撃をそのさらに裏をかいて紙一重で避けて反撃する。このように互いの精神を喰らい合うようなものでなければ、私の求める戦いにはならないのである。
また、単に対人ゲームであれば、例えば囲碁や将棋であっても、互いの精神の戦いであると言える。しかしこれらのゲームでは、戦いの時間密度が低いのである。これらのゲームにおいては、数分なり数十分単位の時間の中でどれだけ多くの思考を展開できるかを競うことはあっても、1秒の間にどれだけの思考を展開できるかが求められることはない。言わば、精神の持久戦なのである。持久戦には持久戦の良さがあるのだが、それは私が求めるものではない。極限まで高められた精神が一瞬のうちに交錯する緊張感、鳥肌が立つような、胃が痛くなるような、体が震えつつも熱くなり冷たくなるような、コンマ1秒でも油断したらその瞬間に全てが終わるような緊迫感の連続、そういったものが私が求める戦いの時間である。このような、「最大限に時間密度を高めた人間同士の精神の戦い」が最も良く実現されているゲーム、それが対戦格闘ゲームである。
対戦格闘ゲームは大別すると2Dと3Dに分けられる。2Dには、対戦格闘ゲームの草分けであるストリートファイターシリーズを初め、多くの人気ゲームがある。人気があるということはそれだけ対戦相手も多いということであり、それは大きなメリットである。しかし私は2Dゲームには興味は無い。なぜなら2Dは3Dに比べ、相手との駆け引き、思考の読み合い、精神のぶつかり合いといった私の求める要素が弱く、複雑な操作を素早く正確に行う能力のほうが強く要求されるからである。私が求めるのは手先の器用さの競い合いではなく、対戦相手との関わり合いである。もちろん、技術的な要素がまったくなくては困るのだが、そのバランスにおいて、3Dに比べて2Dははるかに関わり合う程度が低く、個人作業の時間が長くなり私にとっては冗長なのである。下の比較の例を見て欲しい。
レースゲームでのタイムアタック勝負<2D対戦格闘ゲーム<3D対戦格闘ゲーム<ポーカー
この4つは全て相手との競い合いになるが、勝敗を決する要素として、左のものほど個人の技術の割合が高く、右のものほど相手との駆け引きの割合が高くなっている。そしてこれらの中で、肉体を用いた直接戦闘に最も近いバランスのものが、3D対戦格闘ゲームなのである。また、視覚的にも3D対戦格闘ゲームは肉体を用いた戦闘そのものであるために、感情移入もしやすい。
3D対戦格闘ゲームを代表するものには、鉄拳とバーチャファイターという2つのシリーズがある。これらはかなり近い性質を持つのだが、私がバーチャファイターを選ぶのは次の点の比較による。
鉄拳は見た目は派手だがバランスが大雑把。バーチャファイターは見た目は地味だがバランスが緻密。
そもそもゲームというものの本質的面白さは何で決まるかと言えば、ゲームバランスがどれだけ高いレベルで取られているかによってである。もちろんグラフィックや音楽もゲームの要素ではあるのだが、それらは本質ではない。見た目は地味で音楽も無い将棋や囲碁が、なぜこれほど多くの人に遊ばれ、プロの競技になっているのか。それはそのゲームが非常に良いゲームバランスを持っているからである。ビデオゲームにおいても、名作と呼ばれるものは全てゲームバランスが非常に良く調整されている。グラフィックがどれほど美しくとも、ゲームバランスが崩壊していればそれは糞ゲーと呼ばれてしまうのである。
もちろん鉄拳もゲームバランスが悪いというわけではないので、あまりのめりこまずに遊んでいる分にはとくに気にならないかもしれない。しかし、私が求める「最大限に時間密度を高めた人間同士の精神の戦い」のためには、ゲームバランスが出来る限り高いレベルで調整されていることが求められるのである。そして実際にバーチャファイターは、鉄拳のみならず他の多くの対戦格闘ゲームと比較しても、非常に高いレベルでバランスが調整されている。キャラクター間のバランス、技同士のバランス、知識と技術と運のバランスにおいて。
こうした理由によって、バーチャファイターは私の戦いたいという欲求を安全に満たすことの出来る素晴らしいゲームなのである。
ここまで読んで自分もバーチャファイターを始めてみようと思った人のために、その方法を以下で簡単に紹介しておく。
バーチャファイターで対人戦を楽しむには、主に2つの方法がある。
A ゲームセンターへ行く
B XBOX360でのオンライン対戦
それぞれの特徴を挙げれば、
A ゲームセンター
最高レベルの相手と戦うことができる。
知り合いが増えたり、大会に参加して楽しむ事ができる。
欠点 小都市のゲームセンターではやっている人が少なく相手が居ない。
大きなゲームセンターに行く為には時間と交通費がかかるし、負けるたびに100円かかるので、初心者ほど出費がかさむ。
B XBOX360によるオンライン対戦
一度本体とソフトを購入すれば、年間4000円ほどの固定費用で遊べる。
人の多い時間帯であれば、相手に困ることは無い。
欠点 海外の相手との対戦では、通信遅延の影響がある。(国内同士ならほぼ気にならないレベル)
時間帯によっては対戦相手がいない。(平日昼間など)
これらのことを考えると、これから新たにバーチャファイターを始める人は、とりあえずXBOX360で遊んでみて、そこで十分に力をつけた後に、ゲームセンターへ行ってみるというのがいいのではないだろうか。もちろん、既にバーチャファイターで遊んでいる友人がいるのなら、その人と一緒に遊ぶのが一番いいだろう。
尚、XBOXでのオンライン対戦で遊ぶために必要なものは下の5つである。
・有線ブロードバンドの環境(無線だと通信遅延が多くなる。通信速度は問題にならず、応答速度のみが問題になるため、有線なら1.5MのADSLでも充分。)
・XBOX360本体(約3万円。HDD内臓だと、インストールしてHDDから起動できるようになる。音が静かになるのでお勧め。)http://www.amazon.co.jp/dp/B001F7AAFW/
・バーチャファイター5のソフト(約2千円。)http://www.amazon.co.jp/dp/B001JEODHM/
・Xbox Live ゴールドメンバーシップ(年間約4千円。XBOXの全てのゲーム共通でオンラインサービスを利用する権利。本体を新品で購入すると、1か月分ほど無料でついてきたかも。)http://www.amazon.co.jp/dp/B000BPJTKG/
・スティック型コントローラ(約7千円~。バーチャファイターは通常のコントローラーでも遊べるが、スティックを使わないとかなり苦しい。どうせならスティック型でやることを強く勧める。)http://www.amazon.co.jp/dp/B001E42H34/
後は以下のサイト等を参考にして、慣れていってほしい。
http://zaizen.aki.gs/syosinnsya.html VF初心者のために VF総回診
http://www7.atwiki.jp/x360info/pages/30.html XBOX360テンプレ@WIKI バーチャファイター5 LiveArena
http://fhp.jp/vf5/ 初心者向けVF5LAのススメ 初心会館
最後に、上達のために大変役立つ手段としてPS2のソフト、バーチャファイター4 エボリューションを紹介する。http://www.amazon.co.jp/dp/B00007L4XF/
バーチャファイターは4も5も基本部分は殆ど同じである。このソフトのトレーニングモードは非常に充実しているので、それをこなしていくだけで大きくレベルアップできるだろう。現在は中古で非常に安く出回っている(千円以下)ので、PS2を持っている人は試してみてはどうだろうか。
いつの日か、最高の戦いが見られることを。
その辺がよく分からん。というか彼らも分かってないんだろうな。どの国の若者も日本と同じだと思ってるフシがある。
若い頃某国に住んでた事あるけど、電車・バスの時間は全くあてにならない。タクシーはろくに整備されてない。ショッピングセンターのレジで並ぶなんて事はしない。何でもかんでも我先に割り込もうとする。ゴミはそこら中に捨てる。屋内外構わず唾吐きまくり煙草吸いまくり注射器使いまくり。隙あらば店の商品を盗もうとする。勤めてる店の売り上げをちょろまかす(それが常態化しているので店員はポケットのないユニフォームを強制されている)。ガソリンスタンドで洗車を頼むとダッシュボードの中身が空になってる(捨て忘れた雑誌くらいしか入れてなかったけど)。指摘されるとガチで逃亡しようとする(いきなり走って逃げ出した)。警官は「何必死になってんのwww」と全く取り合わない。恫喝で黙らせれば全て丸く収まると思ってる。収まらなければいざという時は殺してしまえばいいとも思ってる。賄賂を掴ませれば警官も黙ってくれる。
ちなみに、取引先から某球技の試合観戦に招待された時、事前にこういう事を言われたよ。
「腕時計は外しておけ。」
「何故です?」
「強奪されるからだ。首を絞められるのでネクタイも着けるな。それと財布も持っていくな。高額紙幣を数枚だけ胸ポケットに入れておけ。」
「なぜ胸ポケットに?」
「銃を向けられた時に迅速且つ安全にカネを出せるようにするためだ。背広の内ポケットやズボンだと、手を突っ込んだ時に銃で反撃されると思われて撃たれてしまうからな。」
また別の日、クルマに乗って繁華街のど真ん中で人の多い時間帯に交差点の信号待ちをしていたら窓ガラス越しに警官に職質された事があった。
「何をしている?」
「信号待ちですが?」
「なぜさっさと走り抜けないんだ?」
「赤信号でしょう?」
「こんな所で止まっていたら危険だ。あそこの角でお前を見ている連中が見えるだろう。」
「ええ、ガラの悪そうなのがいますね。」
「奴らは、止まったクルマを取り囲んで運転手に銃を突きつけ、クルマを奪う常習犯なのだ。」
見ると警官が左手をこちらに突き出した。察した俺は胸ポケットから紙幣を2、3枚その左手に押し込む。
「セニョールの車だけは襲わないよう、私が責任をもって彼らに伝えておくよ。」
「それは心強いね(苦笑)」
さらに別の日、嫁が外を歩いていたら「私の息子を買ってくれ。****(当時の俺の給料の1/20くらいの額)でいい。病気もないし、肌も歯も綺麗だ。」という親子連れに遭遇した事もあった。後で聞いた話によると、もし同情心から子どもを「買って」しまうと、やがてその子どもが家の留守を任された時に外部と連絡を取り合って賊を招き入れる恐れがあったのだという。当然、金品の位置や金庫の鍵、解錠方法諸々を調べ上げたうえで、だ。鬼平犯科帳ばりの「引き込み」ってやつだな。
こんな連中が数十、数百万人とやってくるかも知れないんだけどなあ。分かってるんだろうか。分かってないんだろうなあ。
まーこっちの言い方もヒトゴトすぎて感じ悪いかもしれん。
でもどのみち健康・美容・人脈形成目的で何か運動はやるわけでしょ。ならその科目を格闘技にしてもコストとして重過ぎることにはならないんじゃないかなーと思うんだけど。ダメかな。俺の周りにはテニス(外資なので本社ゲストの接待に使う)とかマラソン(持久力UPに良いらしい)に金や時間を投資してる女性が多いんだが、武道もイケてると思うよ!
姪については運動性能けっこういい(球技で県大会とか出てる)しちゃんと訓練すれば十分痴漢に対抗できると思ってる。君の個別的事情は知らない。障害もちとかだったらすまん。
で、そういう職場ってほとんどチームプレーの職場なんだよね。例えデスクワークでもチームプレー。2人で同じ画面見て息を合わせてやったり。その結果を他の人らに報告したり。
そういう環境で仕事できる奴ってのはほぼ「中学時代スポーツが得意だったような奴」で決まってる。例えデスクワークでもそうなんだよ。
ちょうど今の職場がそんな感じだ。
デスクワークでも熟考よりも反射的・瞬発力的に答えを出すことが重視され、
じっくり考えている奴は「どんくさい奴」として嫌われる。
まさに俺がそういうタイプだ。
今のところ職場ではそこそこやっているが、同期と比べても周囲からの評価が低いし、
とは言っても、大抵のスポーツなら自分がやるのは楽しい。下手でも下手なりに楽しめる。
楽しみ方が分からないのは観戦のほうだ。
スポーツニュースとかでJリーグの入れ替え戦とかのサポーターの様子を見ると、うわー…、ってなる。
何なの?あれは何であんなに盛り上がってるの?
なんて言うの?究極の機能美?ただ速く走るだけで美しいとかそういうの?
頭で考えると陸上競技とかはそれで納得出来る。
でもこういうのは頭で考えることでもないと思うので、スポーツ観戦が好きな人、誰か僕にスポーツ観戦の楽しさを教えてくだパイ。
となるとやはり僕は物語を求めているのだろうか。
Jリーグの入れ替え戦の件は、チームや選手のバックグラウンドが分からないからとかか。
いやでも、それまで見たことの無い篤姫の、何でも無い回をちらっと見ただけで
泣きそうになってしまったぐらい感情移入しやすいんだけど。
わろてもたが、違うわ(釣られてしまった)。球技の方をやってみと。
球技の人体運動なんて、真面目にモデル化したら位相空間が100次元(角度とか運動量とかのパラメータが100個あるということ)くらいにはなりそうだな。
子供のころ基礎運動力は抜群によかった。
持久力はトレーニングをあまり積んでいなかったのでまるでなかったが、
反射神経も人よりはある方だと思う。
飛んでくるものに当てたり、物を遠くまで投げるのであれば苦手意識はない。
不意に落ちたものを中空でキャッチすることもできる。
だが・・・
球技!
あれはなんだ?
ボールに追いつくことはできる。
ボールを遠くまで投げることもできる。
でも、蹴ったボールや棒に当たったボールがどこに飛んでいくかは預かりしらない。
そもそもだ。
球面と球面の接触を考えた場合、入射角、
反射の角度が0.1度ずれただけで、10m進んだときに大きくずれる。
狙ったところに行く可能性はない。不可能だ。
テニス!?
動いているボールのバウンドによる角度を見て、ラケットの面の角度を変えて、打ち返すだと!?
ゴルフ??
100yとか飛ばすのに5cmもない硬いボールにカット面を合わせるだと!?
頭おかしいんじゃないかと思う。
プログラムを書けるということはプログラムを設計できるという意味じゃない。ルールを知っているのと囲碁を打てるのが違うように。
ルールを覚えたら、次は定石を覚えないといけない。覚えなくても打てるが、とても傍から見ていられない囲碁になる。同じように、プログラム言語を覚えたら、プログラミングの定石を覚えなければならない。プログラミングの定石は、まず次の二つが大事。
これは武道で言えば型、球技で言えば素振りに相当する。つまり、「こう来たら、こう対応する」ということを考えずにできるようにしないといけない。「並べ替えろ」といわれたらクイックソート、表引きといわれたらハッシュが出てくるように勉強する。で、きちんと抑えれば碁やスポーツと同じでそのアプローチの弱点も分かるから、頓珍漢な場所で使うことも無くなる。
アルゴリズムとデータ構造は、きちんとした教科書一冊で基本をたっぷりと勉強できるから、あまり苦労しなくて済む。
で、次なんだけど分割統治(モジュール化)と情報遮蔽って考え方を徹底的に自分の意識に刷り込む。これはモットーみたいなものなので必ずしもみんなが意識しているわけじゃない。だけど、ある程度大きなプログラムを書くときには決して避けて通れない。だから、この意識は徹底しておくほうがいい。分割統治のコツは合理的な分割。たとえば囲碁プログラムをどうやって組めばいいのか分からなければ、全体を
と言う風に分割して、それぞれについて独立して考える。それでも大きすぎるなら盤面描画を
のようにさらに分割する。合理的な分割であれば、分割するほど分かりやすくなるはず。
分割統治を行うと、それぞれのモジュール間のデータのやり取りが出てくるのでモジュール間インターフェースが必要になってくる。このとき、情報遮蔽の考え方を使う。情報遮蔽は「見せなくてもいいデータは見せない。見せなくてもいいアルゴリズムは見せない」と言うもの。銀行の細かい仕組みを知らなくても、ATMの使い方を知っていればお金を下ろせるように、モジュールの実装方法を知らなくてもインターフェースを知っていれば使えるようにするためのモットーが情報遮蔽。
情報遮蔽をきっちりやって薄くて小さいインターフェースのモジュールを開発するすると、モジュールの交換が簡単になる。たとえば木目生成のもっといいアルゴリズムを思いついたとき、モジュールのインターフェースが薄くて軽いなら、同じインターフェースを持つ別の木目生成モジュールを作って差し替えることができる。インターフェースが込み入っていると、差し替え自体もうまくいかない。
分割統治と情報遮蔽にも今では定石があって、デザインパターンと呼ばれる。これはクラス分割と役割分担の定石集みたいなもの。
ここまで抑えるのに、学生なら半年くらいでいいはず。あとはこれを意識しながら、組みたいプログラムの分野の文献を読み漁り、自分でも書いちゃ壊し、書いちゃ壊しを続ければいい。目を肥やして経験をつめば、規模を克服する力も付いてくる。
球技や武道が極端に苦手でスクールカースト低位になる奴っているよね。
俺もそうだった。
バレーボールではチームの足引っ張っていじめられるし、学校内体育大会では1学年下の柔道部の部員に一本負けしたらさらにいじめられた。
後輩から呼び捨てで呼ばれるようになった。文化部だったにも関わらず。
何かと不器用なことで悩んでいる。
まず、体育。球技がだめ。ボールをうまく扱えない。サッカーも小3で始めたが1年もたなかった。気がついたら感じる劣等感。
バレーでボールが飛んできてもうまく返せない。なぜかボールがまっすぐ上がらない。なぜかサーブが入らない。
サッカーで飛んできたボールをうまくトラップできない。見当違いな方に蹴ったボールが行く。シュートなんてもってのほか。
バスケなんて論外。あんな小さい輪っかに入るわけないっつうの。だいたいドリブルができない。ボールがついてこない。
当然他の種目もダメ。短距離走だけは平均ぐらいあったから何とかなったけど、長距離走なんか下から3番目から5番目くらい。
器械体操系はちょっとできたけど、別にめざましい活躍をするわけでもなく。
あと、カナヅチだった。中二のときは「生物は進化し陸に上がったのになぜわざわざ退化する必要があろうか」などと言っていたなあ。
図工、あるいは美術。
どうやったら絵が描けるのか分からなかった。大してやっていることは変わらないだろうになんであんな作品の質が変わってしまうのだろうか。
裁縫、ミシンなどは必ず残らされていた。終わるの後ろから3番目か5番目くらい。出来も下から3番目から5番目くらい。
先生の注意を反芻してしっかりやろうという意思はあるはずなのに、できない。
思うように手が動かず微妙にずれる、もしくは何かしら注意点とかやり方を忘れてやってしまう。
さらに、気がついたら作業が遅れている。友達と一緒にやっているように見えて、気がついたら二倍くらいの差がつく。
遅い上に雑でしかも回りにやり方聞いて迷惑をかけるという最悪な奴だ。
調理実習は野菜をとってくる、プリントを引っ張り出す、フライパンを洗う、箸を洗う、皿を洗う、そういうことしかしなかった。いや、できなかった。
音楽。これはもうちょっとましだった。小2からピアノを始めていたからだ。1年でやめてしまったが。
しかし、ましだというだけで、別に何もなく。
リコーダーは、指が回らなかったか音がちゃんと出なかった。まあ、それだけならみんなそうだから別に平均くらいなのだが、なぜか「音を聴いたらそれが音階上のどの音か分かる能力」を持っていたためにプライドは高く、ちょっとできないだけでずいぶんな劣等感を感じた。
そして、音痴だった。音を外す。歌っていると気がついたら音が外れている。「音を聴いたらそれが音階上のどの音か分かる能力」は歌には効果を発揮してくれなかった。リコーダーとか音がはずれるとそれを敏感に感じられたが、歌だと何も感じなかった。
中学に入って吹奏楽部に入って楽器を始め、結構頑張って楽器に関するコンプレックスはできずにすんだが、歌うことにおける音痴は直らなかった。カラオケなんかとんでもない。
授業だけでない。他の場面でもそうだった。
休み時間にするあやとり、折り紙。全然出来ない。あやとりなんかさっぱりだし、折り紙も、まず紙を半分にしっかりできない。裏側の白いのがはみ出る。どうやったらそうならずに折れるのか皆目分からない。
スキー、スケート。家族みんなができるのに自分はできない。中学のときに、4つ下の弟は思う存分滑っているのに自分は全然できなかったという記憶が残っている。
あと、自転車が乗れない。気がついたら乗れないままだ。
プログラミング。中学時代、周りにオタクが多かったんだが、彼らのうち何人かがプログラミングを始めた。自分も始めたが挫折。なぜかエラーが頻出する。周りはそういうこともなく形になっていった。
ゲームも苦手だ。対戦ゲームは最初っからへただし上達も遅い。後から始めた人の方がすぐうまくなるからやる気をなくす。ボードゲーム、カードゲーム、テレビゲーム問わず。
文化祭の準備で木材を切ったり、塗ったりするのも自分はできなかった。あまりに遅いし、あまりにできあがるものの質が悪いからだ。
とりあえず娯楽という娯楽、作業という作業において人より遅く、質が悪かった。
勉強だけはそこまでひどくなかった。
だが、これらのコンプレックスは消えない。何をやっても他人に劣る。
他人(いわゆるステレオタイプとしての一般人)よりできることは、まあ楽器がちょっとできるというだけだろうか。
でも、プレゼンテーションとか演説とかは得意。初対面となかよくなるのは得意。
しかし、人と比べると、当然のようにできることが出来ない上にしゃべることしか能がないのは本当にどうしようもない人間。さらに、病弱だとか家庭環境が悪いだとかのハンディキャップがあるわけではない。
悲しくなってくる。
このような悩みを共有できる人はいないのかねえ。
とりあえず聞いてほしくて増田に書いてみた。
何が悪くてこうなっちゃったんだろう。幼少時にずっと図鑑読んでて絵本も読まず折り紙とかそういうことを全くしなかったからか?
それとも、何事も続かない性格だったからか?
ていうかまずどうやって出会ってるんだ?
いやマジで
自虐ネタとかじゃなく(いやまそういう面もあるっちゃあるが)真剣にわかんね
いつどこで男子とであったんだ君たち!
友「え?いやーフツーにー」
出たよ「フツーに」。何だよフツーって。出会えてない私は非・フツーかよチクショウ
つうかマジで!どうやって作ってんの?何?本当にアレ…あの…告白とかって本当にすんの?漫画に描いてあるような。好きですとかマジで言ったりするの?そこからして分からんから。マジで。
で告白したら何?どうやって答えるの?俺も好きだったとか言うの?男子が言うのか?じゃ付き合おっかとか言うの?いやわからん漫画しか知識ないからそういうの。ドラマすら見てないから本オンリーだから。
で何?付き合ったら本当にキスとかしてんの?皆。それってどういうタイミングでしてんの?いきなりしてんの?しよっかとか言ったりしてんの?そういう雰囲気になったらしてんの?てかそういう雰囲気ってどういう雰囲気だよ
キスって何あんたちょっと噂(主にネット)によるとディープキスとか言う舌いれる奴があるらしいけどマジ?舌いれるって何?本当にいれるの?え?気持ち悪くね?マジで?なんかエロ小説とか読んでると唾液交換して云々とか載ってるんだけど本当にああいうことしてんの世のカップルって?ていうかそれどうやって皆知ったんだよ?やっぱエロ本?
こうやって書くと本当女子中学生並に未経験で笑える。いやごめん今時の女子中学生はもっとすすんでますね。すんません。見得はりました。
でも本当に分からんのよ。一体皆いつ男子とであったんだよ。そんでいつどうやって親しくなったりしたんだよ。わけわからん。いつのまにか皆彼氏できてるし。びっくりしたわ。
男子と何はなせばいいのかわからんし。女子グループの中でもどっちかっていうと笑わせるタイプなんだけど。そのノリで大丈夫なのか?ええのんか?何はなせばいいんだマジで。オタ話ならいくらでもできるのにチクショウ。鉄道とか戦車ならOK?それならまあまあ話せるが……でもあれじゃん!友達みんなそんな話できないのに彼氏できてるじゃん!てことは何?何について話してんの?政治経済?何?や……野球?サッカー?やべー球技はわかんねぇ。陸上しか話せねぇ。男子十種競技世界記録とかそういうのならすぐ言えるけどサッカーはいまいちルールわかんねぇ。オフサイドとか知らねぇ。
どーすりゃいいんだよおおおおおおおおおおおおおおお
パンくわえて遅刻すりゃいいのかコラアアアアアアアアア
大体男子に話しかけるのそれだけで緊張するんだけど。何かキモッとか思われてないかなとか気になる。かといってあまりに気にしてると何こいつ自意識過剰?誰もお前の事何か気にしてないっつーのwとか思われてないかと気になる……って結局気にしてるよ!どうすんだよ!話してる途中も絶対目とか見れんよ。いやま女子でも見れんけどね。
本当どうやって作ってるんだよ
もうダッチワイフ頼むよ
てかなんで抱き枕とかダッチワイフって女キャラしかないんだろね?めっちゃ欲しいんだけど男バージョン。まぁ抱き枕はぶっちゃけ一つ手作りしたことあるんだが…朝家族に起こされたら死んでしまうと思って結局使えずお蔵入りだよチクショウ!
おまいは、オレかっ!
「体育」だけは、どんなに上手く動こうとしても、思うように行かなかったのだ。
「体育」の授業の存在のおかげで、中学の成績は「オール5」を逃したくらいだ。
(その時の成績は、体育2、それ以外は全て5)
どれだけ体育が不得手であったかという思い出を、恥をしのんでさらすと・・・
それでも、俺はがんばった。
体育教師も、俺のあまりの運動音痴っぷりに呆れはしたが、その努力だけは認めてくれ、高校時代の通信簿に3を付けてくれた。
でも、ダメなものはダメなのだ。どうやったって。(この苦痛は、スポーツのできる人には理解できないだろう)
その後、中学を卒業して進学校へ進んだら、わりと周囲には同レベルの運動音痴もいたりして、いくらかコンプレックスは和らいだ。むしろ、周りの雰囲気は、運動のできるヤツと同様に、人格のできたヤツや、頭の良いヤツも尊敬を集めるようになったし。
社会人になっても、まぁ野球の試合に誘われて恥をさらした事もあったが、それ以降は声をかけられることも無く、平穏無事に過ごしている。
モテ期はとうとう訪れなかったが、恋もし、結婚する事もできたし。
まぁ、一時期は卑屈になったりもしたが、その後は何とか持ち直せた感じだ。
人によって得手不得手があるのは、あたりまえ。必ずしも努力で全てが何とかなる、とは限らない。
それが個性というものじゃないかなー。