2009-11-15

学校体育について思うこと

最近筋トレをしている。8月からはじめたので、そろそろ4ヶ月になる。

たった4ヶ月だが、僕にはとても大きな「成果」だ(まだ途中だけれど)。

というのも、僕は昔から飽きっぽい性格で、何かをまともに続けたことが無いのだ。特にスポーツは大嫌いで、小中高大とまともなスポーツ経験はなし(もちろん部活動も)。

唯一挙げるとするなら、高校3年間、最寄り駅までの往復10キロ自転車で通いとおしたことくらい。

僕は、「何かを続けたことが無い、特にスポーツ経験が無い」というのが、ずーっとコンプレックスになっていた。

この手のコンプレックスは厄介だと思う。

何が厄介かというと、「自分は根性無しだ」という思いがどんどんエスカレートして「自分には価値が無いのだ」と結構本気で思い込んでしまうことだ。

実際、僕も思春期の多くの時間をそう思って生きてきた。「自分努力が続かない、自分は能無しだ」という風に。

しかし、最近筋トレをしてから、「続けられなかったのは単に自分が根性無しだっただけではなくて、環境にも少なからず問題があったんじゃないか」と思うようになってきた。そして、環境にも原因があると割り切ったら(開き直りかな)あまり自分のことを卑下しなくなった。

ではこの場合の環境とはなにか。それはつまり、多くの人達スポーツ経験の主体である、学校体育(部活含む)のことだ。

筋トレをしていて思ったことが三つある。

まず一つ目が、体を動かすのはきついだけでは無いということ。

学校体育はサッカー野球などの集団競技(特に球技)や、マット運動、そしてマラソン、走りこみなどの有酸素運動で構成されている。

これはきつい。特に僕のような運動神経が無くて、根性も無くて、怒鳴られるとすくみあがっちゃうような人間には特にきついのである。

しかし、筋トレをしてみるとどうだろう。体を動かすすのが苦痛ではないのだ。むしろ気持ちいい。誰にも怒られるわけではないし。競争するわけではないからビリにならなくてもいい。そして、何よりもバーベルを上げ下げするだけだから、運動神経という厄介なものが必要ではないのだ。これは僕にとって大きな意外であり喜びだった。

二つ目が、筋肉がつくと色々な運動の記録が大きく伸びるということ。

三つ目が、体つきが少しづつ変わってくると、自信もついてくるということ。

言葉にしてしまえば単純で、要は「体を動かすのは気持ちいい、記録も伸びるし、積み重ねが変化として見えてくると、自分の自信になるよ」ということだ。

多くに人は、こういう喜びを学校体育を通じて獲得するのだろう。しかし、僕みたいな怒鳴られ耐性が無くて、運動神経の無い人間は取りこぼされ、そういった喜びから排除される。排除されるだけならまだしも、「欠陥品」という思いを抱えて生きていくことになる。

ここまで読んでくれた人の中には「甘えてんじゃねーよ、みんな殴られながらも歯を食いしばって頑張ってるんだよ」と思った人もい多いだろう。

僕はその指摘を否定しない。その指摘はあっていると思う。少なくとも僕に関しては。

僕が逃げやすいのは事実だし、運動神経が無くても、歯を食いしばって頑張り、そして成果を残している人は多いだろう。

だが、学校体育からはずれた人達を「根性なし」と排除するのは問題だと思う。

何故ならば、上にも書いたとおり「運動経験が無い」という思いは人格形成に結構影響を与えるからだ。

世の中には運動のできるやつとできないやつがいる。これは事実だ。

しかし、順位がつかない、ひとりでコツコツ続けられる、続けると結果が出る。そんなスポーツをもっともっと学校で普及させるべきじゃないだろうか。

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