はてなキーワード: 無趣味とは
お前らにいいことを教えてやる。
ヘルスとかのイメクラとかのサイトで女の子のプロフィールがあるだろ。
そこで趣味の欄に「漫画」と書いてあったらその子は高確率でオタだ。
自分の趣味とあう子を見つければ、チンチンいじってもらいながらオタ話に花を咲かすことができるぞ。
夢みたいだろ。
あとは趣味の欄に「ゲーム」あるいは「映画」と書いてあるのもいいぞ。
「映画」単体の場合だと映画好きの皮をかぶった無趣味のおそれがあるが
「映画」に「漫画」や「ゲーム」がくっついて記載されている場合
店側の用意したプロフィールはスリーサイズやら性感帯は嘘八百だったりするが
趣味欄はわりとうそつかないぞ。
良かったなお前ら。
センター受け終わってリサーチも返却されてそこそこ行きたい大学にそこそこ行けそうで、2次に向けて頭切り替えて勉強しなきゃしなきゃしなきゃと思いながら、最近、自分になんにもないことに気づいてもう本当に馬鹿馬鹿しいし情けないしで恥かしくて泣いた。進路のこと話してると無性に泣きたくなるのだけど、その理由を考えたら、なんか私の人生軽くってさぁあぁ、人が好きーとか言ってみるも別に、なんか、逆に人が嫌い、なんてないんじゃないかとか、人に対する好き嫌いを人と比べることなんてできないし、だから比べる必要もないのだけど、人と比べてより大きな愛情を抱いていて貢献したいと思っていて、みたいな、そういうものしか評価されない風潮と、それに流されたり甘えたりで見失っちゃった自分と、本当に馬鹿みたい。人が好きっていうかね、無趣味だから、小学生の時の社会の授業で習った戦争についてが私の人生で最大の刺激だったんだよ。被害も加害も酷いから、なんか、ぐわーんとアタマなったのがそれくらいだから、時々考えて、パソコンあったから調べたり、して、多分、血を見てなにか思うのも感じるのも誰だってそうなのにね。
勉強が半端にできるから、しっかりしてるね頑張り屋さんだねって言われて育ったから、なんか、そうなんだと思ってたんだよ。それなりに考えててヴィジョンを持ってるんだと、本当に、思いこんでたのに、ふと気づいたら勉強に疲れて、大学なんてどこでもいいし学部だってどこでもいいし、入学後の勉強はそれなりに楽しみなんだけども、ひどく無気力になってしまって、私は、なにがしたいのかなにが欲しいのか考えるのだけど、時間がないし、求めたところで手に入らないかもしれないし、明らかに今はそんなことしている場合じゃないの、分かってるんだけど、どこでもいいなら確実な国立を前期で抑えた方が学費的にいいんじゃないかとか、自分で払えるわけじゃないから申し訳なさで思ったり、だけど勉強はそれなりにしたいし就職のことも考えなきゃいけないし、社会、広すぎて、国際関係からでもメディア関係からでも政治・経済・法・心理・言語、どこからのアプローチでもいいと思ってしまうからどの大学でも構わないしどの学部でも構わないし、できたら都会から離れたくないからーとか、就職で有利って言われてるからーとか、そんなことを思ったり、で、申し訳なさを思い出す。泣く。
こんなに短く頻繁に泣いたのは初めてだ。ぐちゃぐちゃと泣くことは稀にあったけども、最近はぱたぱた泣く。ぱたぱた涙流してそれを拭いたら終わりで、また少しして急にぱたぱた涙が出る。昨日か一昨日、ばらばらと泣いたら泣き顔があまりに幼くて笑えなかった。小さな子供みたい。もし私の背が高かったり顔や身体や雰囲気が大人びていたりしたら泣き顔の滑稽さに笑えただろうかと考えて、目と鼻と唇がやけに赤いのを、赤鼻のトナカイの歌を思い出しながら、見て、目と鼻はともかくなんで唇が赤いんだろうなぁなんて、考えて、大学のパンフレットを投げようとしたら手が滑ってポスって可愛い音たててベッドに落ちるから、もうあまりにも、ばかばかしい。
なにがしたいのかなーって考える。熱いお風呂で本が読みたい。高校生にさぁ、さぁ決めろなんて迫らないでほしいよね、自分の将来なんて。もしかしたら皆そんなにしっかり考えてないのかもしれないよな、とも思う。「とりあえず経済学部」という人も多かろう。そうしたらやっぱり私は真面目なのかもしれない。馬鹿馬鹿しく思うだけ冷静なんじゃないかとも思う。思うのも馬鹿馬鹿しい。卒業後になにをすべきかなにができるか今の自分に言えるべくもないので社会を知ろうと思って社会学部です、と、担任との面接では言った。ふぅん、と言われた。嘘じゃないのに全然違う。嫌な面接だった。個人的なことを話すのはあんまり好きじゃない。口に出すのは嫌い。キーボード叩くのは癖。ごめん。
日記を読ませろと強いられてるような感じ。あるいは今すぐここで脱げ、とか。担任相手なら脱ぐ→面接→日記の順にやる。貧乳なのは明らかだけど頭の中まで貧しいことは私の秘密なんだよ。傍目には胸並みに明らかなことかもしれないけども。それでもさぁ、なにもないくせに、プライドはあるじゃん、18年も生きたら。だから恥かしくて情けなくて何も言いたくない。何も言いたくないときに数式解いたり英文読んだりはまだましな行為で、なにか優しく語りかけてもらってるような気になる。そういうわけでまた考えるのを止めて勉強する。多分どこかに受かって張り切って、夏休みくらいまでがっつり勉強して飽きるんだろうな。大学の講義楽しいといいな。
勉強って嫌いじゃない。と、小学生の頃から思ってた。だけど趣味でもない。
受験が終わったら一人旅をしようと思う。青春18切符で。いつか体力つけられたら屋久島に行く。読みたい本がたくさんある。それから、学びをまとめてサイトを作ろうと思う。
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おそろしくなにも考えてない文章だなぁ。
ハイチ地震の被害を伝える写真をネットで見てたらいつの間にか気晴らしになっていて自分にがっかりした。人が号泣しているのを見て痛ましく思うのは気分のいいことかもしれないけど、そうありたくはない。絶対にないし、気分をよくするなら泣く人たちに近づいちゃいけないと思う。だけど一緒になって悲しくなっていたらなにもできないのかもしれない。痛ましいと思うなら、その痛ましさが自分にとって快ベクトルであっても、絶対値の大きさで動けばいいのかな。愛よりお金が、労働力が、とにかく助けが必要なんだったら、同情されたくないんだったら、私でもいいかな。道に死体が転がっていて回収されなくて腐って衛生問題が、なんて、ちょっと信じられない話。ハイチの空気、今、どんな臭いがするんだろう。
・女が少ないので彼女ができず、社交脳力も磨かれない
・私立だと学費がバカ高くなり、家計への負担倍増
・それでいて文系に劣る生涯賃金。学費高いのに卒業しても低待遇
・やたらプライドが高いので人から避けられ友人が少ない寂しい日々
・周りを論理的に話せない馬鹿だと思っているが自分が論理的会話しかできない馬鹿なだけ
・真面目な性格だから軽薄な奴とは合わないと思っているが、ただ無趣味で話ベタなだけ
・自分より優秀な奴が五万といることに目を背け、文系批判で束の間悦に浸るしかない惨めな毎日
・自分がモテないのは環境が悪いからだと思っていたら、同じ学部の奴が彼女連れてるのを見つけ大ショック
・いつも一緒にいる仲の良いグループに見せかけているが、腹の底では全員こいつよりはマシと見下しあう陰険な友情
読書も嫌いではないが、月1冊読むぐらい。
これ、逆にすごくね?何この厳選ぶり。めっちゃ自分の嗜好にこだわりあるじゃん
音楽とかって、普通は好きなアーティスト一人見つけるとそこから好きなもの興味があるものが自然と広がってくもんだけど、この増田にはそれがない。好きなものとそうでもないものの境がすごくはっきりしてる。
なんかこの増田は「音楽」とか「小説」とかそういう大きなジャンルのくくりで楽しみを見つけるより、パズルのピースみたいに「音楽ならこれ」「食べ物ならこれ」「家具ならこれ」と自分の好きなものでひとつひとつ身の回りを埋めていく方が幸せになれるんじゃないかという気がした。
趣味って「見つけるもの」じゃなくて、気がついたら趣味になっているんじゃないの?
自分はかなり多趣味なほうだけど、趣味にしよう!と思って趣味にしたもんなんて一つもない。
バイクは単純に走りたいと思ったからハマったし、
漫画は面白いものがあったのでどんどん読み始めた
こんな感じじゃないの?
読書も嫌いではないが、月1冊読むぐらい。
テレビは見ない。
自分の周囲の人を見ていると、熱中するものがある人は、
生き生きして見える。
それがオタ趣味であっても、好きなものがあることがその人の生きるエネルギーになっているようだ。
自分は生活のために働いてはいるが、それだけだ。
特に楽しみもなく、砂を噛むように1日1日働いているだけ。
毎朝起きるのが辛くて仕方ない。なぜみんな、当たり前のように布団から起き上がれるのだろう。
起きたらあのつまらない灰色の生活が待っているのかと思うと、とても動く気になれない。
自分にも、打ち込める何かがあれば、少しは変わるのではないだろうかと思う。
でもどれも長続きしない。途中で白けてしまう。
根気が続かない。
趣味を見つけている人は、どうやって見つけているのだろうか。
寝食を忘れて夢中になれることが欲しい。
忘れるように努力しても、やっぱり忘れられなかったことを引き摺っていたことに気づき、忘れるために遠くに離れたのに、遠くにきて益々自分の中ではきれいな記憶になってしまったりしていて困る。
煮え切らない関係を数年続けて、仕舞いはあっさり訪れ、お互いその頃は何かに忙殺されていて、疎遠になり、何かの行き違いが重なり重なりついに連絡が途絶えたり、よそよそしい関係になった。
連絡に対して応答がなくなったときは、それはそれは落ち込んだ。それでも、もとより自分の手に負えるような女ではないと思っており、荷が重いと感じていたので、多少は安心した。
顧みるに自分の煮え切らなさ過ぎる態度は相手からすれば不安だっただろうし、ときには侮蔑のように感じたかもしれないし、勿論相手に成り代わることは出来ないので、実際の所は分からないのだけれど、きっとだれもがそのように感じる筈。こっちはこっちで生活の忙しさと、自分とは大凡釣り合いの取れないような人と、仲が良いから先に進んでしまいそうなことに不安とかその他を感じながら過ごしていて、何でこうなってしまったのだろうと自問を繰り返していたりした。
そうこうするうちに僕らは互いに年を取り、多くの人が世間に対してある程度を示すべき時期が近づいてきていたっぽい。それはそれはそつのない人間に見えるので、てっきりもう適当な相手を捜して、ある種の通過儀礼を済ましているものと推測しているのだけど、こちらと致しましては知人関係にその様なことはついぞありませんでしたと言って回っているので、相手の消息は知れず、憶測だけが募る日々。連絡先もうっかりなくしてしまってさてどうしたものかと考える物の、一方でどうしたものかと逡巡する。
思えば連絡が途絶えたのも、ある程度は自分が望んだことなので仕方がないのかもしれない。どう考えても此彼の差は大きく、何で俺なんですか、意味分からないですとか、お前と付き合うのは俺ではないとか、もっとマシな男を選べよとか思っていて、毎回会う度、これが今生の別れだと思っていたりもした。
一方で、その後思い出す度に、もう一度同じ機会があれば今度はもう少し上手くやれるのにと思ったりもする。女というのは好きと言わせたい生き物だというけれど、今なら上手くその仕掛けに乗れそうだ。
何でそもそもそう思うかというと、やっぱりということになるんだけど、その辺はありがちな言葉、つまり、自分に素直になれなかったとか、気づかなかったとかそのようなものを充てておいて、なので自分でも思い残した所があるのでということになるんであろうなあ。こんな無趣味で無教養なののなにが気に入られたのかはしれないけど、そしてそれはまた別の話。
そして、会いたいと思えば思う程、会うべきではないという思いもあり、もはやどっちに転ぶか自分でも予想がつかない。唯一今の状況に収まっているのは、周りの人間に連絡先を訪ねないからで、恐らく知っていたら今更どっかで会う約束を取り付けてるのだろうなあ。
そういうことで、どうしたらいいかさっぱり分からないし、相手の迷惑もあるのでなんともしがたいのだけど、増田さんならどうするでしょうかという話です。
無趣味のすすめ
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/07/post-1021.html
話の本筋じゃないんだけど、
が気になってしまった。
これ本当なの?
村上春樹が世に出た頃、
「いくらペンネームでもそれはちょっとまずいんじゃないの」
とか言われたことがあるっていう話を聞いたことがある。
「スイーツ(笑)」とか言って叩いてる人には、日本の女はほぼ全員スイーツだと思っている人が多くて、ああ女を叩きたいだけなんだろうな。自分も叩く対象に含まれてるんだろうなって思うから。
だから、もうとっくに矛先こっちに来てる。
まあ、日本の女はほぼ全員スイーツだと思っていない場合でも、スイーツ叩きは嫌いだけど。
スイーツと自分とは、本質的にあんまり変わらないと思うから。乗っかっている流行のジャンルが違うだけで。
だから結局、自分が叩かれてるのと一緒。
まあ、スイーツを叩いている層だって、自分を叩いているのと一緒なんだけど。
スイーツを叩いて良いのは、完全に世間のあらゆる流行に無関心で無趣味な世捨て人だけで、オタクはオタクの流行に流されているわけだから、スイーツ叩けないと思う。
小金もあるし、だいたいのことは何でもできるから、女なんて必要ないと思うし、
女側からみても、無趣味で30過ぎても結婚できないような男には魅力を感じない。
だから、彼はもうちゃんとした恋愛なんてできないと思う。金目当ての女に貪り尽くされて結婚、とか。
30という年齢や、無趣味な事に魅力を感じないのではなくて、
30に至るまでに経験して来た事柄をふくめた全てに魅力を感じないのだ。
彼は多分学校を卒業してずっと仕事ばかりしてきて、恋愛の仕方を知らない。
だから、女性に気をつかうことができないし、金や物で機嫌をとることしかできない。
遊んで来なかった男(=真面目な男)が結婚したいときに結婚したい人と結婚できないって事だろうか。
それはそれで可哀想だけども、そういう人はお見合いをするべき。
これは全然恥ずべき事ではないし、むしろ、金目当ての女にたかられるより、
親や信頼出来る人の紹介もあって、真面目そうな女性をゲット出来るチャンスでもある。
仕事が嫌いだ。仕事なんてやりたくない。だけど怒られるのは嫌だしクビになるのも困るので、とりあえず割り振られた仕事は期日までに終わらせるけれど、それ以上のことは極力したくない。
趣味で音楽をやっている。音楽こそが自分の生き甲斐だ。人気アーティストになりたいわけではなく(なれるわけないし)、ただ、自分の納得のいく演奏ができるようになりたい。自分のしたい演奏が出来ることが最大の幸せだと思う。
仕事をするのは、生活費や楽器代をを稼ぐため。出世とかどうでもいい。出世のためにわざわざサービス残業するとかありえない。出来れば定時で帰って楽器の練習をしたい。こんなんだから当然出世はしないだろうがそれで構わない。
しかし、こんな俺への世間の風当たりは強く、出世のためにサービス残業するのが日本男児標準なんだなあと実感する。
そんなに自分は規格外品なのだろうか。
だって、どう考えても仕事より音楽のほうが面白いだろ?(この「音楽」って部分は、「スポーツ」でも「アニメ」でも何でも好きなものに置き換えてくれ)
もちろん仕事が上手くいった時は多少の達成感はあるが、楽器を演奏する喜びのほうがはるかに大きくて深い。
仕事の達成感はその場限りだが、いい演奏が出来たときは魂が打ち震えるような感動が永遠に残る。
どうして標準的な日本男児は、人生を犠牲にしてまで仕事なんかに夢中になれるんだ?
言い換えれば自分の無才能を悟った、それをやっと自覚できたっていうのかな。
原因は無趣味さにあると思う。
それは広範囲に興味があるために特定の趣味が無いという意味ではなく、何にも興味を持てない無味乾燥さを持っていること。
例えるなら、生まれついての「不感症」。それらしいインパクトやカタルシス、エクスタシーを感じたことが無い、無感動な人間。
子供の頃からそうだった。漫画、映画、音楽などに特別好きと言えるものはない(絶対数も少ないし、見ようとも思わない)し、
文章を書くということはよくしたけど、自分自身のみを色んな言葉で表現して、自分に対して何か他人から反応されるのが好きなだけ。
生まれてから今まで、そのときその瞬間をあつらえの遊びによって暇潰しをするために生きていた、という感触。
アニメを有意義前向きに消費していくオタクの「好き」さに無意識に憧れて、アニメを見ていた時期があったけど、
アニメ自体がそう面白いものでもなく、『らきすた』を楽しむオタクとの温度差を感じて「違う」と気づいたときあっさりと決別できた。
一時期見ていた『タモリ倶楽部』などとは宇宙を隔てて遠くにいる人間だと自覚する。
こんなことでは、感性の土壌を耕すのはおろか、夢を持てず動機など作れなくて当然だと今振り返る。
それが自分の限界だったと今、素直に受け止められた。自分は何にも影響できない代わりに、何にも影響されないのだ。
元々は、一般人と一線を画した、特別な感性を持ちたいという願望があったのだけど、
それが芸術家肌とか、クリエイティブさみたいないい意味じゃなくて、奇形的な特異さを持った、悪い意味で達成されることになった気がして、嬉しくもあり悲しくもあり。
そんな自分は、元々何の気なしに持っていた願望とは程遠い、人間として最低限動く部分だけを生かした、機械的な社会の歯車としてこれからも生きることになるのだろうけど、
そんな自分は、何のために生きるのだろうか。存在を保っておく必要など、他の人が散々考えてきたように、無い。
まあ、凡庸と呼ばれる人の性質が自分と似た者同士ばかりだったらまた自分は埋もれて悶々とした人生を送るようになるのだけど。
「脳の活性化」という言葉が脳トレだとかアハ体験という類じゃなくて、
自分の中の「好き」といった感覚を人並みかそれ以上に呼び覚ます技術を指さない限り、自分が人間らしい人間として暮らせる日は遠い気がする。
性能がどうの画面の大きさがどうのといったPC周りのお話はさっぱりわからん。門外漢すぎる。多趣味はいいがよくそんだけのモチベがあるものだ。そこまで突き詰めて物事覚えたり考えたり探求した経験なんてないぜ。それほど広く興味をもてないからなわけだが興味は自ら進んでもったほうがいいみてえな風潮があるようにも感じられ、趣味探しを意識してやっていかなきゃその流れに押しつぶされそうになるあっしとしては専門性を帯びつつ深ーくオタ的に理系的にサブカルなものに打ち込めるやつらは尊敬すべき存在であるとともにプレッシャーの源泉にもなっている。ついていけねーってことに嫉妬だばだば焦りじゃばじゃばなんすよ。やっぱわかんねえ、君らの話に現れる知らぬ単語の意味を考えているうちに新たに未知の語義をになっているであろう単語が出るわ出るわであっしはあっしの無知を思い知らされまた無趣味な己を呪う言葉があふれ出る。まじきち。憧れてwiki巡りしてみたりアンテナを高く高く伸ばそうと読めるものを読み観られるものは観て聞けるものも聞いてひたすらあがいてはみるんだが付け焼刃で浅はかなせいぜい脳内で一・二回リンクしただけの知識を抱えてひーこら言うのが関の山。浅く広くが信条になっていたけどうまくはいかない・そもそもかなえる力がないなんて俺、実にロースペック。どうしても憧れちまうのさ、専門性ってやつに。使いたくもないし自分に言うのもやだけどぴったりだ、にわかおつ!
2009年3月27日発行 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ JMM [Japan Mail Media] No.524 Extra-Edition2 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ http://ryumurakami.jmm.co.jp/ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■「無趣味のすすめ」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ まわりを見ると、趣味が花盛りだ。手芸、山歩き、ガーデニング、パソコン、料 理、スポーツ、ペットの飼育や訓練など、ありとあらゆる趣味の情報が愛好者向け に、また初心者向けに紹介される。趣味が悪いわけではない。だが基本的に趣味は老 人のものだ。好きで好きでたまらない何かに没頭する子どもや若者は、いずれ自然に プロを目指すだろう。 老人はいい意味でも悪い意味でも既得権益を持っている。獲得してきた知識や技 術、それに資産や人的ネットワークなどで、彼らは自然にそれらを守ろうとする。だ から自分の世界を意図的に、また無謀に拡大して不慣れな環境や他者と遭遇すること を避ける傾向がある。 わたしは趣味を持っていない。小説はもちろん、映画制作も、キューバ音楽のプロ デュースも、メールマガジンの編集発行も、金銭のやりとりや契約や批判が発生する 「仕事」だ。息抜きとしては、犬と散歩したり、スポーツジムで泳いだり、海外のリ ゾートのプールサイドで読書したりスパで疲れを取ったりするが、とても趣味とは言 えない。 現在まわりに溢れている「趣味」は、必ずその人が属す共同体の内部にあり、洗練 されていて、極めて安全なものだ。考え方や生き方をリアルに考え直し、ときには変 えてしまうというようなものではない。だから趣味の世界には、自分を脅かすものが ない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。心を震わせ、精神をエク スパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。真の達成感や充実感は、多大なコス トとリスクと危機感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在し ている。 つまり、それらはわたしたちの「仕事」の中にしかない。 村上龍