はてなキーワード: 情報量とは
オタクの定義とか良く分からないですけどね。
元増田みたいな人がいると、ヌルオタはつまんないよ。
オタクは、作品を適当に消費したいだけの素人を、叩くし、怖い。
というか、見なくてもいい、読まなくてもいい。
レビュー読めば知ったかぶりして付いていけるような会話。
それでいいんじゃないかというコトになってる気がするよ。
オタクの定義は分からんけどさ。
昔オタ系サークルでは、私みたいな「消費できればいーじゃんいーじゃん」
みたいな人は半ば蔑みの目で見られてたけど、
今は頭数が逆転してるんだよね。
すごしやすいなぁと思う。
でも、元増田と友達になりたいなぁ。切実に。
なんでだろうね…
最近、自分がオタクなようでオタクでないことに苛立ちを感じ始めてきた。
言及はオタク系文化に対してが多いのに消費傾向が全然オタクではない。
20世紀のエロゲはいろいろやったけど21世紀のエロゲはやってない。(あ、サーカス製はちょっとやった)
ガンダムは種死と00以外全部見た。(ZとVとターンAがよかった)
ラノベはほとんど読まない、っつうかハルヒ読んで秋田。(言葉にできない抵抗感がある)
深夜にやってるアニメは観てない。(あれ何?古典アニメの巻きなおし?)
オタクであるということに情報量が求められて、なんか俺みたいな奴は疎外された感がある。
らきすた観てないとか何なの?
家にあるフィギュアがゲッターロボとパトレイバーとアトムってやる気あるの?
アニメージュとか読んだことないの?
って言わないで言わないで言わないであああああああああああああああ
オタクじゃないことが、なんか悔しい。
俺はオタクになりたかったけど、どうも無理みたいだ。
さっきアニメで「狼と香辛料」が放送されてたんだけど、タイトルが分かっちゃう自分が嫌だ。(しかも面白くないよ)
その裏?で「灼眼のシャナ」やってたんだけど、あれは低年齢向けに十分やっていけるほど分かりやすい文法つかってるね。
とか、ぜんぜんオタクな楽しみ方ができないぜうあああああああああああああ
寝よう。
(追記:わしはまだ20代前半だよ!年寄りいうな!)
映画のほうが小説より時間あたりの情報量が多い、というのは、良くできた作品同士での比較ということであれば完全に同意なんだけど、
これも、
なんだよね。
昔から嫌いだったのだが、ようやく理由が分かった。
情報量が少ないからだ。
2時間かけて小説を一本読むよりも、2時間の良質な映画を見るほうが情報量は断然に多い。
俳優がちょっと怪訝そうな顔をするだけで、その微妙な演技から様々な情報を瞬時に頭に叩き込むことができるのに、
文字なんて何文字も読んで理解して頭に突っ込んだところでとてもじゃないが情報量が少なすぎる。
読むスピードの問題じゃない。
よく映画を見る人はそうでない人に比べて同じ2時間で得られる情報量は多い。
それと一緒。
後、「活字を読んで頭で想像する訓練をするんだ」とか偉そうなことを言ってる人間を多々見かけるが
自分の今まで得てきた体験を用いて想像したところでなんら新しいインスピレーションは得られない。
けれど映像や体感できる何かっていうのは、自分の体験にプラスされるんだから新しいインスピレーションは産まれ得る。
こういうことを気軽に主張できるっていうのは活字の非常にいいところではあるけれど、
頭の中セックスだけって感じでさすがに引いてしまう文章かもしれない。
俺もちょっとその男が可哀そうかなぁと。これだけの情報量じゃ何とも言えないけど。
>誰か全ての客観的資料と過去の全ての論争プロセスをネットに上げてくれないかな。膨大な量になることでしょうけど。そうすれば何かを知ることは終局的にはありえないとしても、市井の論者の虚妄ぶりは幾分か解消することができるでしょうに。
システム的にはあったほうがいいとは思うけど。アメリカはかなり公開しているし、ウィキメディアが原史料集めてくれててあれはありがたいけど。
でも結局は一人ひとりの自覚とか妄想を起こさない現実感をどれだけ持っているかだと思うよ。
どんなことでも事象はやろうと思えば結び付けられるのだから。
イメージの選択によってはそれが現実味を帯びてくるか、きちがいじみていても人をひきつける。
読者一人ひとりに強くなれと言うのはたやすいけれど、それは理不尽だ。だます方が明らかに悪い。
給料は最低限で十分. 特に大金が必要な趣味も持っていない. 大金を使って遊ぶくらいなら, 仕事に役立つような勉強を楽しんでやるのが好き. 数学とかプログラミングとかいろんな仕事術とか.
数学を勉強しておけば世界の見方が変わる. 目に見える色を表現するのに必要な情報量を考えるし, 新しいアイディアを考えるときに数学の概念をうまく利用したり, 問題の明確化や定義もうまくなる. 明確化できるということは, 話の流れも自然になって当たり前にプレゼンがうまくなる. 話が分かり易くなると, いろんなところから仕事がふってくるようになって, 断るのに必死だったりする.
プログラミングが自由自在に出来れば, 身の回りのあらゆるルーティンが自動化されるようになる. ちまちま手作業でインターネットブラウザからスケジュールやデータを post してる人を横目に, 携帯からメールからコマンドラインから自分のスケジュールを反自動的に投入していく. いつだって自分のスケジュールはぎっしりだ. データだって得意のワンライナーを駆使して, いつでも自由自在に加工分析できる. また, 新しい企画を速攻でプロトタイピングして動くものとして人に見せられるようになる. これいいねって言った次の日には, 何かが動いている. 最初は, アイディアが ある人に良いように使われるだけだが, ある日を境に立場が逆転する. 作れる人がチームの方向性を握るようになる. また, 開発者の苦しみが分かるようになるので, 人としてプログラマに仕事をお願いできるようになる. お願いしかしない人は, 自分で書かないから, プログラマの苦しみや悩みや, 本当の生産性が分からない. だから, 無責任に仕事をふるし, 無駄にお金を払ったりする. 自分の場合は, いつも適切に具体的に仕事をふれるし, モチベーションも同時にあげてるので, 必要最低限の出費で済む.(と思っている)
いろんなところから仕事術を勉強する. 本も読むし, 毎日コミュニケーションしている人たちのうまいやり方を常に観察して盗もうとする. いろんな人に会える機会を作って仕事のパスを増やしてみる.
あと, 英会話も大好きだ. 暇さえあれば, 英語で映画を見るし, 機会があれば積極的にネィティブスピーカーと話してみる. 趣味っぽい活動と言えば, あるスポーツを定期的にしてるけど, これはどちらかというと仕事に役立つ体力作りとしてやっている. 昔, 運動を完全にやめていたときに,何度か床に伏した経験があるからだ.
どんなやり方で給与を獲得するかを考えるなら, やりがいのあること, やりがいのある仕事の仕方を選ぶ. みんながやりたがらないことをやる. 誰よりもこだわりを持ってやる. ひょっとしたらまわりの人がたまたまやる気がないだけなのかもしれないが, そんなことどうでも良い. 自分にはまわりよりも仕事にこだわっているという自負があって, そうやって一生懸命仕事をするということが楽しくてしょうがない.
こういうボクを, 周りの人はワーカホリックと思っているかもしれない. ただそれは違う. ボクは楽しいからやっているだけなのだ. 楽しいことしかしたくないんだ. ただそれだけで今生きていけてるんだから, これ以上幸せなことはない.
調査乙。
人によってメニューバーの定義が違うのかもしれないけど、各社共通してページ上部にはサイト案内用(ナビゲーションバーとでも言うのかな)のリンクとかボタンが並んでるね。あと、ページ構成はだいたい2〜3カラムっぽい。
どのサイトも共通して1ページにいろいろと詰め込みすぎてる感が拭えない。
各社、伝えたい情報がたくさんあるのは分かるけれど、欲しい情報を手に入れるために画面全体を目で探し回らないといけないのは苦痛だな。
もっと情報量を減らして欲しい。
例えば増田が示したTOYOTAのサイトだったらメニュー項目やコンテンツが多すぎるので、「企業情報」以外は「その他の情報」などとして他所にメニュー専用ページでもつくった方がもっとすっきりして俺好みかも。メニュー項目は5つくらいに抑えたい。
http://d.hatena.ne.jp/rahoraho/20071020/1192828759
を読んで個人的に思うことをまとめてみた。
あくまで個人的に思った事であって、はてなを貶めようと思ってる訳ではありません。
特にない
それゆえキーワードリンクがスパムリンクとして上手く機能している
使っていて気持ちがわるい
デザインにしろ、雰囲気にしろ、使ってるヤツらがきもい
会社自体のヘボさ、質の低さ
ブランド力のなさ
初心者がはてな記法やモジュールを覚えるくらいなら他サービスでHTMLを使う方が情報量が多いし、ネットリテラシー(笑)の観点から健全
ださすぎ
こんなダサイナビゲーションを見てるだけで反吐が出る
現状、きもい連中しか使えないきもいツールにしか見えない
有名だから話を合わせるためにみてきたんだが。
何だろうあのテキストの分量は。
明らかに百科事典の説明を大きく越えてるような気がする。
あの説明を書いている人たちは多分文系(笑)しか居ないんだろう。
ひぐらしなんかに熱中する連中は、やっぱりと言うかあの程度の文章力しかない。
しかも、あいつらネタバレは隠す機能があるからってネタバレの文章を書きまくる書きまくる。
ネタバレを書きたいんだろうな。書きたくて仕方ないんだろう。
それにしても、日本のうぃきぺはアニメやゲームの項目の文章量、情報量の豊富なこと豊富なこと、他の項目に対しての充実しっぷりはオタクでも気色悪い。
知ろうとしない事、って、結構大事なんじゃないか。
だからこそ、知ろうとしない事は大事なんじゃないか。
それでは知識が増えるというよりも、間違った情報に惑わされて負の結果に陥るリスクの方が高いのではないか。
それならいっそ、知らないままでいたほうがよい
そういう事も時にはあるんじゃないか
知ることがいつでも善なわけではないのではないか……
というのも
2chで情報仕入れては「俺はもうダメだ」とか言って何もやらないような奴が周りに結構いてね。
その一方、2chとか見ずに「頑張ればできる」と信じて素直にやった奴は、情報量という観点ではそいつらに劣ったけれど、すんなり先へ進んでいった。
そういうのを見ると、時に意識的に素直に、愚直に、なるのも大事なんじゃないのかって思うわけよ
絶望をいくらしてもキリがない
んー、基本の形の周りを深く掘り下げていく情報と、自由に広く浅くランダムにある情報の違いというか。
がっつり密度(=量)のある情報を受け取ったと前者で感じる人もいれば後者こそ情報量だと思う人もいるっていう。
嗜好の違いでしかないって言ってるじゃないか。
情報量云々は嗜好の違いから生まれてるだけじゃないかな。
おねえ系の情報っていうのは、基本の基本の形が規定されてるからこそ、そこにどういうはずしやアレンジを加えるかみたいな面白みがあるわけだ。生け花みたいなもんだね。
で、カジュアル系の情報っていうのは、フラワーアレンジメントみたいなもん。自由。いくつかの流行や提案、TPOは存在するけど、基本どうするかは自分の自由。
体系的に情報が存在するという点で、雑誌沢山読んでる理系女子であるところの増田にはお姉系に情報量が多いと受け取られるのではないだろうか。
あと私もプチセブンについて詳しく聞きたいw
理系女子はなんかファッションとか好きじゃなさそう(あのエントリとか書く人なら)だから、そういう人こそこういう無難な奴選べばいいのに、と思って言ったんだけど別にファッションに興味ある理系女子ならええわな。
ただああいうカジュアル系が情報量少ないというのは断固反対させていただく!!私はあの辺が好きだからwハマれば(?)奥が深いよ。オンナオンナしすぎず、かといってゴスロリみたく個性派すぎることもなく、ほどよく可愛い感じが良い。バルーンワンピとか好きやわ。
ていうか寧ろお姉系とかの方が、型にハマってるからなんか毎号毎号同じような感じじゃね?前もこんなんやってなかった?って思うんだが…。
鉄に限らず、オタ全般に当てはまるんだけど。
昨日、なんとなく映画「花田少年史」を冒頭30分ぐらい、ちょっと見たが、その中に列車が写るシーンがあった。
105系。それも小野田線塗装。だからすぐにロケ地は小野田線沿線(=山口県)だと分かった。
これを彼女にでも言ってみるとしよう。
彼女は「すごい!」としかいいようがないだろう。
そんなもん、突然言われたって、なんにも凄くはない。「それで?」と言われるのが落ち。
「これってどこなんだろうね」なんて聞かれた時なら別。確かにすごいって言われるだろうね。
でも、それって言い方次第なんだよ。
オタクって言うのは、概して一から十まで一気に説明したがるけど、
聞いてる方としては、そこまでの情報量は求めてない訳よ。
花田少年史のケースで言えば、
どこなのか?っていう情報だけわかればいいわけで、小野田線とか105系なんていうのは余計な情報。
山口県って答えればそれで済むのに一気にまくし立てたら引かれるぞ
そんなこと繰り返してればキモいって思われるのは当然。
見た目とか行動とかもそう。
一般人から逸脱した状態ならば敬遠される。
それは鉄オタだからとか、二次元オタだからとかじゃないんだよ。
それに気づかないと状況は変わらないよ。
私はレシートを絶対に貰うのだけれど、貰わない人、と言うかいらない人の方が多いんですかねえ。
自分がいくら入っていて、いくら使ったのかなんてことは興味ないのかな。
家計簿をつけている関係で、レシートは一旦全部家に持ち帰ってます。ちょっと前までは使った金額と用途を自分宛にメールして、それを家計簿に転記していたのだけれど、それだと手間がかかることに気づいてそのままレシートを持ち帰ることにしました。
レシートなんだけれど、それ単体、というより1枚じゃ大したことのないゴミのようなものなんだけれど、1ヶ月なり1週間なり、全部とっておいて時系列に並べて見ると恐るべき情報量を誇る資料になるよ。自分がいつ、どこで、何を、どうしたのかが丸わかりになる。お金を使った事に関しては。
例えば朝、昼、晩と外で食べたのならその日食べたものが全てわかる。1日に飲み物を何個も買っていたらこの日は暑かったのかな、とか、野菜を買ってたらこの日は野菜の特売日だったんだな、とかそういうことまでわかってしまう。これほど価値のあるものって中々ないと思うんだけどな。
そして何よりレシートを持ち帰ってきちんと家計簿を付けるようになれば、間違いなく無駄金は使わなくなる。そうなるとお金も貯まる。お金が貯まれば本当に必要なものが買えるようになったり、いざと言うときのためにお金を手元に残しておいたり、習い事を受けたりすることが出来るようになる。収入がいくらであろうと、その範囲内でどうにかしようと思って家計簿を付けることでお金について色々学べる。
と、家計簿の話に脱線してしまいましたが、私の感覚では、経営者の人なんかは間違いなくレシートは全てもらっています。後で帳簿につける必要があるかもしれないし、とっておいて整理しておくにこしたことはないからです。個人で仕事をしているフリーランスの方も同様にレシートは全て貰っているように思います。この人たちも同じ理由だけれど。
ただあなたのおっしゃるとおりサイフに突っ込んだままでグシャグシャにしてしまうのに毎回レシートを貰ってるあんまりよくわからない人もいます。
だから多分2種類じゃなくて3種類いて
レシートいらない人→→あんまりお金に頓着しない人。持っているお金ないで過ごそうとアバウトに考えている人
└→いらないけど貰っちゃう人。財布の中に貯めておいて財布がパンパンになった時点で捨てる人
レシートを貰う人→→→そのレシートについてる情報を有用だと思っている人
こんな感じなんじゃないかと思う。
どんな事でも大抵面白いと感じてしまったり大抵興味を持ったりするがゆえに苦しい。
どれもやりたい。でもできない。人間の一生はなんて短いのだ。これだけたくさんの事がありながら、それのほんっっっの一部しかできない。これだけたくさんある様々な仕事から一つを選ばなくてはならない。なんということだ!!全部やりたいのに。人間ってのは。人間ってのは……。そもそも一つの仕事を選ぶというのはなんとリスキーなのだろうか。人生の大半を占める事柄なのに、試すこともたいしてできず考える事も対して出来ず就かねばならない。自分に合っているかどうかなどある程度時が経たねば分からない。ほとんどギャンブルである。なぜみんなそんな事をあっさり出来ているのか。凄い。凄すぎる。
どれもやりたいがゆえに決められない。趣味も。仕事も。そもそも大学でさえ迷った。専門にも行ってみたかったし他の学部も行ってみたかった。可能な限り様々な体験をしたい(病気とか犯罪被害は無論勘弁だが)。どうすればいいのだ。仕方ないから最近は常にフルスロットルでとにかくやれるだけたくさんの事をやっているがそれでもまだやりたいことがありすぎる。
信じられない。
神様は意地悪だ。
こんな多大な情報量のある現代に80年ぽっちの、いや、現実にはその半分の年月しかないなどふざけてる。
本だって全て読みたい。
面白いけど、苦しい。
選ぶというのは他を切り捨てることだ。どれも同等に好きな俺にとってそんな事はできない。
できない。
それでも周囲の人たちが留学の準備を始めてるんだから、俺よりは断然情報量が多そう。
俺がいたのは地方国立大学。留学なんて、先輩に留学した人がちょろっといるらしいという話を聞いただけで、俺の周りに留学しようなんて人はぜんぜんいなかった。情報はウェブからのみ。辛かった。
こっちに来てみると確かに「実は非常に入りにくい大学」とか、「GPA さえよければ受かっちゃう大学」とかそういう大学があることを知った。
例えばランクを見ると CIT よりも MIT のほうが入りやすそうに見えるけど、CIT は少数精鋭だからほとんど無理なんだってね。
でもウェブではそういう情報がほとんど見つからないんですよね。やっぱり同じ大学でも学部によっても方針が違うようだし、博士だし、人が少ないのかな。
ちなみに俺は GPA 3.95 越えの総代だったけど、流石に超一流大には入れませんでした。浪人もしましたし。学部卒の段階で TOEFL 250 はきびちい。所詮地方国立の総代程度の頭でしかなかったようです。今いるところはトップ20になんとか入っている大学院ですが、学部の時以上に勉強しているのに A がとれなかったりでやはりきついです。友人は精華大学や National Taiwan、(数少ない)日本人なら灯台や鏡台から来ている人たちで、頭がいい人はとことん頭がいいです。特にインド人とかおそろしい。
で、http://anond.hatelabo.jp/20070829044032 につながります。
どんだけ斜め読みしてるんだ…深い知識とかそういう話じゃないだろ。「深さは幅」っていう意味考えたか?あるひとつのことを掘り下げるときに楽しいだけじゃなくなることがある。それでも掘り進んでいくときに、手の中に残るのは知識だけじゃない、考え方とかものの見方とかそういうのだ。それは他のものに当てはめることもできる。要するに道具を手に入れるんだ。
いろんなところを適当に思いつくはしからぼこぼこほっていくのだっていいよ。だけど、何でも楽しいとか思えるくらいに能力があるんなら、ひとつ優先して掘り進めるものを作って道具を手にしてから他のところにつなげていったほうがもっともっとたくさんの事を知れるじゃないか、もっと知らないことに出会えるじゃないか。もっともっとたくさんのことを考えられるようになるじゃないか。
http://anond.hatelabo.jp/20070825012540のひともそうだけど、理系文系なんか関係ない。大学だって関係ない。勉強かどうかも関係ない。その辺にいくらでも掘り進んでいきたくなるようなものは転がってる。なんで、理系とか文系とか大学とかそういうちっさいはなしをするのかな。知識だけに絞って語るのかな。掘り下げるときに得るものは知識だけじゃないだろ。それ以外にものすごくたくさんの事を得るんだ。その情報量はとんでもない。だから取捨選択していかないと、その情報におぼれてしまう。僕はなんにでも楽しんでしまえるという人にその危険性をちょっと感じる。
いろいろと手を出してみることも大事だ。でも同時に深く掘り下げていくことも大事だ。どちらもできるようになったらそれに越したことはない。だけどどっちかだけでいいってことじゃない。どうして「広いほうがいい」「深いほうがいい」とかいう二元論に落ち込むんだ?意味がわからない。