昔から嫌いだったのだが、ようやく理由が分かった。
情報量が少ないからだ。
2時間かけて小説を一本読むよりも、2時間の良質な映画を見るほうが情報量は断然に多い。
俳優がちょっと怪訝そうな顔をするだけで、その微妙な演技から様々な情報を瞬時に頭に叩き込むことができるのに、
文字なんて何文字も読んで理解して頭に突っ込んだところでとてもじゃないが情報量が少なすぎる。
読むスピードの問題じゃない。
よく映画を見る人はそうでない人に比べて同じ2時間で得られる情報量は多い。
それと一緒。
後、「活字を読んで頭で想像する訓練をするんだ」とか偉そうなことを言ってる人間を多々見かけるが
自分の今まで得てきた体験を用いて想像したところでなんら新しいインスピレーションは得られない。
けれど映像や体感できる何かっていうのは、自分の体験にプラスされるんだから新しいインスピレーションは産まれ得る。
こういうことを気軽に主張できるっていうのは活字の非常にいいところではあるけれど、
そんなことを考えていた時期が俺にもありました。 > かける時間に対して得られる情報量が異様に少ない。 むしろ多すぎて映画なんかでは省略されまくってる >俳優がちょっと...
「含まれている情報量」と「得られる情報量」は別物。 映画で得られる体験にも、本を読んで想像、妄想して得られる体験もどちらも貴重だよ。
映画のほうが小説より時間あたりの情報量が多い、というのは、良くできた作品同士での比較ということであれば完全に同意なんだけど、 俳優がちょっと怪訝そうな顔をするだけで、そ...
映画で得られる情報は、大衆用情報なんで、いちいち取得する価値がないんだよ。 コモディティーな情報なんだ。 それはスマイル0円の笑顔。 長文を読むのは、それがニッチ...