はてなキーワード: 半月とは
まだか、本格的に始まるのはまだかまだかと鼻息を上げ、るような事は無く、とりあえず一仕事が終わるまでは様子見だろと静観するのは「今時の若者」なのだろうか。土日だけでは無く、平日もmixi、ニュースサイト、はてブ、ニコニコ、2chをチェックしても余る2時間程をプログラミングに当てる様になっていた。一ヶ月前の自分が見たら様子がおかしいと疑い、一年前の自分が見たらキチガイだこいつと思われかねない。それほどまでに急いで作りたいものが出来てしまい、気持ちはまるで子供の頃、新しいゲームを買って早く家に帰ってその続きをやりたいとウズウズする感覚だ。何か武功を上げたいと思うのは男の性であり、その場を失っている(まだ出来ない)状況にフラストレーションが貯まっているというのはあるのかもしれない。何が言いたいかは良く判らないが、俺はプログラミングが好きだ!プログラミングで天下を取ってやるんじゃ!うおー!!!!
半年禁煙、半年喫煙、のリズムで4年くらい暮らしていて、今年は9日から「半年禁煙」の方の周期に入ったはずが、微妙に失敗。あらためて16日に再開して、今日で3日目。
(12日に、「明日もし煙草吸ったら、ここに5000字の日記をアップ」と書いたせいか、その「明日」である13日には吸わずに済んだ。しかし14日に吸ってしまい、15日にも吸ってしまい、16日に改心した次第)。
3日目。ということで、今日はかなり楽。煙草の存在を思い出すことはあってもほとんど吸いたくはならない。ニコチンは3日で体内から消えるはずなので、そろそろ体の依存は消えるかな。一方で、精神の依存は自分の経験上半月くらいは消えないから、そっちはもう少し付き合わないといけない。
吸っちまおうかな?とも数え切れないくらい思うんだが、別に誰に命令されているのでもなく勝手に半年禁煙すると決めたわけなので、吸うくらいなら最初から禁煙するなんて決めなきゃいいのに。かっこつけやがって(←?)。ばーか。と思うと、何となく気持ちが続く。いつものことだ。
死にたくなった。
って書くと、なんか重そうで誰も読んでくれない気がするけど、ここくらいにしか書くところがない。
俺は、いわゆる無神論者で神様とかあの世の類はまったく信じてない(まぁ、日本人はそんな人ばっかりだと思うけど)から、死というモノがどれだけ怖いかは想像できる?
人間という輪の中からはずされる疎外感。
誰ともつながることのできない恐怖。
今まで積み上げてきたものが無くなる喪失感。
誰も俺なんて覚えていないんじゃないかという不安。
どっかの宗教みたいに自爆テロとか、借金・倒産・失業・失恋なんかで自殺なんてばかげてるとしか思えない。(この手の話は無駄に長くなるのでここらで止めておこう)
どちらにしろ今は、まだ死を受け入れれるほど生きてない。
そして今日、普段は見ていない「アンビリーバボーSP」(フジテレビ)の最後のコーナー「感動したVTR TOP3」(タイトルがまるでうろ覚え)を見た。
1位に選ばれたのは、小さい頃から心筋症(?)を患いながらも、12年の生涯を懸命に生きた少年のドキュメンタリーだった。
その子は、病気の後遺症で右手・右足が自由に動かなくて、いつもクラスメートに助けてもらってたことに「自分はみんなの役に立てない」と考えていたけれど、助けられながらもクラスメートとすごしていくうちに「人間は生きているだけで誰かの役に立っている」ということに気付いたと、インタビューで答えていた。
一度の入院も経験したことのない、俺には思いつきもしない発想だった。
そして、あらためて命の尊さに心を打たれた。
隣にいた嫁も、大学時代に初めてこの子の言葉を聞いたときは感動で泣けてきたと話してくれた。
俺も「健康な時だと、こんなこと考えないもんな」と当り障りのない答えを返した。
番組が終わった後に、
嫁が近所の奥さんと会ったこと、
そこで以前『うちの子供』と『その家の子供』が喧嘩したことを謝ってきたこと、
「知らなかったけど、今度から気をつけてくれればいいですよ」と言われたことを教えてくれた。
子供らが喧嘩したときは、俺とその子供の父親が一緒だったので、うちの嫁も近所の奥さんも直接は何があったか知らない。
もし、うちの子が自分からは手を出さないような『他人とうまくやれるタイプの子供』の親だったら、喧嘩なんていちいち嫁に報告しないが(よほどの怪我をさせられない限りは)、うちの子は、以前から手が出やすかったうえに、仕掛けたのはうちの子なので嫁に報告した。
俺の中では、「仕掛けられたとしても大事に至らなければ、報告する必要はない」と考えていたので、相手の父親も同じように考えていたら、奥さんにしゃべらない可能性もあると思っていたし、喧嘩の後にも「今度から気をつけてね」と言われてたので、それで喧嘩の件は完了だと思っていた。
「わざわざ、奥さんにまで謝らなくていいのに」
不意に出た言葉。
烈火のごとく怒り出す嫁。
自分がどれだけ、回りに気を使っているかをひとしきり言った後に、
「知らないって言ってたけど、知らないわけないでしょ!!」
「そんなんだから、人の気持ちもわからないんだよ!!」
「もう、死ねばいいのに!!」
死ねばって・・・
つい、数分前に「生きてるだけで素晴らしい」って素晴らしいって言ってたのに。
ほんとに死にたくなる。
ちなみに、今日が初めてじゃない。
2・3ヶ月に一回は彼女の逆鱗に触れて、この恐ろしい言葉を使われて、数日間に渡りへこまされつづけるわけだ。
想像できる?
隣(といっても隣のベッドだが)で寝ている彼女が、軽い気持ちである(本気かもしれないけど)とは言え、俺に死んで欲しいと思ってるわけだ。
「万が一」俺が死んだ場合には、それなりの保険金が支払われて、住宅ローンもちゃらになる。
さらには、母子家庭手当てが降りて、遺族年金をもらい、場合によっては生活保護も出るかもしれない。
俺が死んで困るのは、まだ小さい子供が父親を失うだけ。
それでさえ、おそらく、嫁の母親が俺の代わりになるだけだ。
家にいるときは常に危険だ。
ご飯を食べる際に台所に背を向けるのも、
お風呂で頭を洗っているときも、
同様に洗面台で顔を洗っているときも。
料理は苦くないか?
昔、寝ているだんなの心臓に針を刺して殺そうとしたけど、何本か刺しても気付かないまま数日過ごしたってのを聞いたことがある。
体に痛みはないか?
大丈夫か俺?
まぁ、でも、そんな心配しても仕方ない。
嫁は一生の大半をこの家の中で暮らすんだから不満もあるだろう。
ここに書いたことで、少しは楽になった。
(極端に優しくすると「気持ち悪い」とまたへこまされるので、)
明日は、ちょっとだけ優しく接してみよう。
また熱が出てきた。38℃。半月前と同じで、また徹夜明けの発熱。しかも前と同じ鼻も喉も痛くなってないという症状。今回は歩けない程の頭痛はないので普通に仕事した。食欲もバッチリ。仕事してる間に治っちゃうんじゃないかと思わせるほど。
ところで本題。愚痴を言ったり、勝手に不満に思ったりする時、先に相手に不満の内容を伝えないと卑怯で相手に取って失礼だと、最近特に感じた。
愚痴というのは「言ってもしかたがないことをいうこと」。愚痴は前置きで、その後の改善を話すのなら愚痴とは言わないけれど、この改善にまで話がいたらないケースが多くなってきてあれ?と思うことが多くなった。
正当な理由のない、ただ純粋な失策に対する愚痴なら他人がしゃべる権利はあるけれど、理由がある失策に対する愚痴は言う権利はない。その理由に対して愚痴を言うべきで、愚痴を言っているとしたらその人を傷つかせるだけの物にしかならない。だから、愚痴や不満は相手に伝えて納得できないことが判明したら言うべきだ。それが不満のあるべき姿。
そのときはこういう理由で納得できない、と伝えているだろうか。納得できる理由を聞かずに愚痴を言っているのはただの中傷でしかない。あなたは正しい「愚痴」、言っているだろうか。
いろいろありがとう。
実は内容証明とかは辞めた人たちがたくさん出してる。
僕らも資金繰りなんかは常にチェックするようにしてて、
疑問があったら指摘して、注意するようには心がけてる。
(口座にお金がほとんどないのに通帳作り直して手数料払ったりしてる!)
ただ役員が最終的に未払いに対して誠意をもって対応しようという気概
だけが一切感じられない。気持ちイイぐらい何も感じない。
そしてせっせと詐害行為まがいの事をして、従業員の団結を切り崩そうと
躍起になっている。頑張りどころが違うと思うんだけどね。
仕方がないので結構私財持ち出して弁護士に相談に行ったり
時間をかけて書面作ってみたり
未払い以外の面もボロはたくさんあるからそっち側を用意しておいたり
手の届く範囲にはこれまでの経緯を一斉発信する準備は整えてる。
たぶん、社会的な制裁はある程度成しえると思う。
労基の指導も入り始めたし、ヘマやったら最低でも刑事罰には問うてもらう
ように担当の人にお願いしている。(お願いしても問えるかどうかは微妙だけど)
僕の会社はとっても小さいけど
今のところ給与だけじゃなくありとあらゆる支払いを踏み倒しているから
既に債務は1億ぐらいになってんじゃないかな。ここは細かく確認してないけど。
土下座戦法で支払を延長しまくってもらってるみたいだけど、そろそろ限界。
近々、お金が入る「予定」だから今は最後の待機状態なんだけど・・・
その「予定」が流局になった場合は・・・
そうだねえ、債権回収業者に僕の債権を売ろうかなとも考えてはじめた。
普通の会社なら、遅配1回目で半月で社員がほとんど逃げ出すような事はないと思う。
けどそうなっちゃったような理由が僕の会社にはあった。いや、今もある。
仕方がない。
小さい頃、小学校低学年くらいの頃、俺は天才に憧れていた。
12歳でハーバードに入学だのなんだのそういった類の天才児に憧れていた。
俺は学業の成績は昔から良かったため、ますますそれが拍車をかけた。
俺も天才児としてアメリカの大学に通ってインタビューされてやるぞ!!とか思ってた。
しかしかといって何をすればいいかわからず(この時点でまあ…)
単純に成績の良い優等生として育った。
中学に入る頃には「うーん。どうも俺、天才じゃないかも」と思い始めていた。恥ずかしいけどまだ「かも」のレベルだった。増田だから正直に書く。
中学に入っても俺は相変わらず成績優秀で学年で一位だったりもしたので、あまりプライドは崩れなかったが、しかし「なんか天才じゃないよな……せいぜい秀才だよな」ということに気付き始めた俺は、方向転換を図り始めた(これは今思うと、であって当時は無意識に行っていた)。能力そのもので飛びぬけた者になれないのなら、何か俺自身に「学業優秀」以外の特典をつけねばなるまい、と。それで個性化を図り、「純粋な天才」で特別な人間になるのは無理でも、「個性的な秀才」で特別な人間になろうと考えた。
そのためにはどうすればよいのだろうか。
学業優秀、だけじゃ、全国にザラにいる。しかしまずこの「優秀さ」も、それなりに磨く必要がある。そうだ。東大に入れば、まあまあ箔がつくだろうし、「全国にザラにいる」レベルじゃなくなる。天才ではないだろうが秀才としてはそれなりのレベルを他人に誇れるはずだ……そう考え、志望大学をこの頃から東大に決める。
そして他の特典は……。
「個性的」を演出するには、「ギャップ」と「希少価値」がポイントだろうと考えた。
いかにもこの俺、山田太郎(仮)という人間がしなさそうな事。あるいはそもそもをそれを行うものが少なそうな事。
希少価値については、単純に競技人口が少ない「穴場スポット」を狙うか、それとも敢えてメジャーな道を選択し、練習しある程度のその道の「達人」になる事で他者を引き離すか。あるいは穴場スポットを狙った上で、達人になるか。ざっとそんな事を考えた。
そして俺はその自分で考えたガイドラインに従い、俺・山田太郎(仮)の「趣味」「特技」「性格」を作り始めた。まさに「キャラ作り」だった。
もともと俺は、割りと好奇心が強いほうだったため、興味を持とうと思えば大抵のものは持つことができた。ゆえに反面、「一つの大好きな趣味」というのが特になく、どれも万遍なくそこそこ好き、という状態だったため、このキャラ作りは実行しやすかった。
そして俺は「キャラのプロット作り」を大体終え、「キャラ作り」の実行に移った。決めた趣味や特技を本当にモノにするため、知識を得たり練習をする必要があった。
そんなこんなで高校生になった。まだ荒削りだが8割ほど完成していたキャラで俺は新しい環境に降り立った。
まだ途中ではあるが、思惑通り俺は俺の思う通りの「個性的な人間」として迎えられた。
しかし、高校となるとやはり色々な人間が出てくる。中学時代の俺が思っていた以上に、この世には色々な人間がいるのだ。その上、皆成績優秀者だ。とりあえず今の俺でもここでは「個性的な人間」になれているが、俺よりも凄い奴(俺基準でだが)も数人いる事にショックを受けた俺は、「待てよ。これじゃ東大はいったところで、そこじゃここ以上に俺より凄い奴(俺基準で)がいるにちがいない」「ならばこの今の俺ではだめだ。キャラをバージョンアップさせる必要がある」そう考え、高校でまた新たに「キャラ作り」を始めた。
甘かった。中学時代のあんなキャラレベルでは、地元の人間しか騙せないのだ。
もっと個性的な人になって、もっと特別な人間にならないといけない。
そしてまた「キャラ作り」の実行に移った。
今度は日頃の態度、仕草から徹底する事にした。誰も見ていないところであっても、キャラ相応の態度を心がけた。
苦しくはなかった。寧ろ、キャラどおりに実行するとき、俺の好きなキャラになりきれていることに、近づけていることに、俺は喜びと楽しさを感じていた。しかし「楽」ではなかった。
大学へ入り、なるべく多くの種類の経験をといろいろな所へ出向いたり所属したりした。そのたび世界が開いていく事に俺は感動したが、したと同時に、張り詰めた空気が俺を支配する事に気がついた。俺の知らない世界が開くごとに、「またキャラを強化しなければならない」と俺は考えてしまうのだ。別に今のままでも十分「個性的な人間」として俺は認められている。しかし、それだけじゃ満足できないようになっていた。もっと。もっともっと強化しなければならない。いつなんどき俺とかぶるキャラが出てくるか分からない。幼い頃憧れた「純粋な天才」と肩を並べるほどの個性を持つには、こんなレベルじゃ足りないんだ。もっともっともっと個性的にならねばならない。こんなんじゃ足りない。
そんな事を思いながら、自分作りを繰り返していたある日
また新たな世界の扉を開けて、俺はふっと、なぜだかふっと糸が切れたようになった。
「ていうか俺、なんでここまで必死になってるんだ?」
糸が切れた操り人形が動かなくぺしゃんこになったように俺は何をする気にもなれず生きていた。
体は完全に停止していたが、頭の中では色んな想いが渦巻いていた。
「もしかしてあんなに必死になる必要はなかったのでは?」
「別に、普通の人でもいい、そう思えたら、もしかして凄く楽なんじゃ?」
「いや……でも楽してもいいのか?普通の人でもいいのか?」
「それは諦めるって事じゃないのか?」
「諦めていいのか?」
「いや、ていうか、俺は、諦めて、生きていけるのか?」
「別にいいじゃん。普通で。キャラ作らなくったっていいじゃん。
俺が好きなものがたとえ普通に皆好きなもので全然珍しくなくて普通であっても、それでいいじゃん。
俺が頑張らなくても好きになれるものだけ好きになって
俺がやりたいことだけやればいいじゃん」
実験的にそういう思考をしてみた。
……物凄く楽になってしまった。
そうだ。もともと俺は、自己顕示欲に裏打ちされていないただ純粋に「好きな物」「好きな事」というのは、持っていなかった。
俺の行動のモチベーションはほとんど全て強い自己顕示欲からなるものだった、つまりその支えを外してしまえば、その欲を取り除いてしまえば、もう俺は、欲がほとんどなくなってしまうんだ。
だからこんなに楽になる。
「しかしいいのか、こんなに楽で」
「確かに楽だが、それでいいのか」
「いや逆に、なぜ「それでいいのか」なんだ、別にいいだろ、楽でも」
色々な考えが渦巻く。
分かっているのは、ここでこの欲を外して楽になれば、俺の行動の根源もなくなるということだ。モチベーションがほとんど無になる。今のように、糸が切れたように何もする気がなくなるのだ。
今ならどっちにも倒れられる(気がする)。
楽な生き方も魅力があったが、かといって今からこの先欲もモチベーションも皆無な淡白な生活になるのも嫌な気がした。
かといってまた、際限ないキャラ作りに追われるのか。なんだかそれも違う気がする。いやしかし。やはりそもそも俺はそういう生き方しか出来ないのかもしれない。永遠に理想の自分を求めそれに向かって走る。そういった生き方しか。
俺は一体どうするべきなのだろう。俺は一体何をやっているのだろう。
つくづく、不器用な性格だと、思う。
社員もバイトも100%女性ばかりの某小規模雑貨店での出来事。
もともと女性1人で立ち上げたので、35歳の社長みたいな状態。若い。
店内の装飾とかWebサイトとか通販とか似非POSの管理とかしてた。
だから基本店内には居なかったんだけど、バイト募集の告知を作ったときに
社長が急に「男性もOKっていれてみよっか」と半分イタズラみたいなことを言い出した。
まあ、こんないわゆるかわいい店にそんな告知貼ってもこないだろうと作成して掲示。
そしたら3日目に男の子がやってきた。
ボーダーのシャツとか似合っちゃって、おとなしめで嫌味のないタイプ。
悪く言えば主張が弱そうなタイプ。外見イメージだけは勝手にくるりの岸田みたいな。なのでキシダくんと仮に呼ぼう。
なんか社長とか喜んじゃって即採用。まずはレジと倉庫&品出しやってもらおうという話になった。
はじめは「男くるんですかあ?」みたいに警戒してたバイトたちも、ひ弱そうなかわいい男子が来たことで
妙に盛り上がる。もともとジャンル的に「オトメ」みたいな連中なので
彼氏存在率が基本的に少ないし、よくわかんないけど専門出ばっかりなので
「キシダくんって、どんな音楽きくんですかー?」
「あー、くるりとか」
「キシダくんって、専攻何やってるんですかー?」
「あー、仏文」
しかも社長とかまで「研修」とかいいながら事務所で長時間捕まえてたりして
(その割には雑談ばかりとか)結構辟易してた。
彼がいるってだけでシフトが偏りだし、品出しをしている彼にバイトがくっついていっちゃうので
こりゃいかんと思って、社長に進言するも、意にも介してない。
「あなたはキシダくんがいることで店内に活気が出てきたことに気づいてない」
とか最後言い出すの。活気と浮ついた雰囲気は別だって言ってやりたかったが、
経営者としてどうなのよとすげえ感じて、底が見えた気がしてそのあと1ヶ月して仕事辞めました。
ただまあ、Webとか通販とかの各種引継ぎをしなきゃならなかったので
結局辞めた後も、ちょこちょこ割ともう一人仲のよかった事務の子とは連絡とってたのね
そこから伝わってくるのがすさまじい様相。
「○○さんがキシダくんに色目を使っているとバイトが揉めている」
「××さんはキシダくんがいないとシフトを絶対に入れない」
「△△さんはキシダくんのミスを一切隠す」
どこの女子高生だよ。仕舞いには社長がキシダくんだけの時給上げたりしてる。
私も限界です、なんて事務の子も言ってんの。どうしてそこまで彼女らが彼に入れ込めるのかがわからないが
とりあえず全員一致の意見で「キシダくんは何も悪くない」になってるから始末が悪い。教祖化しちゃってる。
どんだけ魅力的なんだよキシダと思ったが、実際彼は本当に何も主張しておらず
女の子の誘いにほいほい乗るわけでもなく、甘え上手なわけでもなく、
誰か一人を特別扱いするわけでもなく、そんな職場内のなんか微妙な空気を感じるわけでもなく
(まあこの鈍さに問題があるんだろうけど)
ただ淡々と仕事して、大学行ってる。確かに悪いことは何もしていない。
そんで先々月、どうやら論文がどうたらでキシダが半月バイトを丸々休んだらしい。
モチベーション下がりまくってた店内にひさびさにキシダが戻ってきて開口一番
店内と事務所が一斉にどよめいたらしい。客いるのに。
そこからがすごい。大告白大会。客いるのに。
「そんな、私キシダくんいないならこの仕事やってる意味ないじゃん」客いるのに
「おかしいよ、論文くらいバイトしながらでもできるじゃん」客いるって
「いや、でもフランスまでしばらくいかなくちゃいけないんでご迷惑でしょうし」キシダ
「そんなことないよ、いてくれていいよ」社長登場
「だったらパリまで雑貨の買い付けいく。その手伝いしてくれてもいいし」社長それは…
「そんなずるい」「そのあいだお店はどうするんですか」「独り占めするんですか?」
他のバイトに電話するやつ、泣き出すやつ、怒るやつ、社長につかみかかるやつ
店内の客も不審な目でみながらいつのまにか全部いなくなってた。
なのにキシダはきょとんとした顔をしてたらしい。
「キシダくんはどうしたいの!」
「いや、僕は単にバイトをやめたいというだけで他は特に…」
ここまで鈍いというか、空気読めないというのもすごいけれどなあ…
そうして何をするでもなくキシダは店を去り、バイト6人が一斉に店を辞め、あきれ果てた事務の子も辞め
店は半月間の臨時休業の後、10月末に閉店しました。
吉祥寺で急に閉まった、あの店の顛末です。
ひょんなことで、一回り以上違う人とメル友になった。
自分は彼女いない暦=年齢23歳の大学4年生、相手は36歳、今は独身で過去は不明。
今でメールしだして半月くらいかな、メールや電話だけのやり取りしかしたことなくて、実際には会ったことはない
だから、会って食事にでもって、誘ったけどちょっと早いかなって断わられて
今日も、メールで11月にでも休みを合わせて会わないかって誘ってみた。
返事には、「会うのは来年になってからでもよくない?」
焦りすぎなのかな?お互いの顔もしらないし、でも会ってみたいって思うけど
いま返事を返しても、かわされるだけだと思うから…
返事も返せていない。
でも、会ってみたいよ…ただ話をして食事に一緒に行きたいだけなのに、どうすればいいのか…
駆け引きとかむずかしいよ…
「ねえねえ、月がきれいだよー。今日はね、…」
「あ、ちょい待って。…ええと、9月20…で…8…半月だね」
「なんでわかるのぉ?」
「計算したんだよ。厳密じゃないけど」
「すごーいどうやるの?」
「超簡単。今日は9月20日だから、まず9と20を足して、29」
「うん」
「で、今年2007年はこれに9を足す」
「9なんだ」
「そう。で、足すと38。30より大きくなったから、30を引いて、8」
「うんうん」
「計算終わり。」
「え?」
「えーそんな簡単でいいの?」
「そう。月と日の数字を足して、今年はそれに9を足して、30を越えてたら30を引く」
「それだけなんだー」
「これで大体プラマイ1か2には収まるんだって。…あそうだ、1月と2月だけは足し算のときにさらにプラス1してね」
「それはなんかめんどくさいなぁ」
「覚えるのがね。今年が9、ってのも、ちょっと覚えにくいかもね」
「じゃさ、来年はどうなるの?」
「先の心配してもあれだけどね…まあいいか。来年は20」
「全然バラバラなんだ」
「完全にバラバラってわけでもないよ。年の頭に定数を計算しちゃえばいいんだけど、それも面倒なら、この数字は毎年11ぐらいずつ増えていく。」
「じゃあその次は、20に11足して、31…」
「…で30越えちゃってるから、30を引いて、1ってわけ」
「なんか覚える自信がなくなってきちゃった」
「欲張るからだよ。今年は9、これであと今年いっぱいはオッケーなんだし」
「えーだって何年何月何日の月は何々です、って言えたらすごくない?」
「ああ、この計算法ね、たぶんそんなに長くは使えないよ。」
「えっどのくらい?」
「たぶんだけど、20年、30年とかそんなもん」
「たったそんだけ?」
「うん。それ以上は誤差が大きくなると思う」
「なあんだつまんないの」
「欲張るからだって。少なくとも再来年ぐらいまではそこそこ正確に出るってわかってるんだから、それでいいじゃない?」
「うん、でもねえ…」
「なに?」
「せっかくだから、子供たちなんかにも教えてあげたいじゃない、この方法」
「教えればいいんじゃないのか? 方法はいろいろあるだろう」
「でも私たちの子供が月を見るのって」
「…そうか17年後、か…」
引き継ぎもあらかた終わり、普段と同じように仕事のない時間が続く。
外資系にもいろいろあるんだろうけど、これくらい楽で環境の良い職場は初めてだったし、たぶん、もうないんじゃないかな、と思ってる。何か別の、今とは根本的に違う状況にならない限り。つまり雇われる側から雇う側になったりしない限り。
山手線のとある駅から五分程度の好立地(でもあまり開発されていない駅だけど)、約二畳半の広さで俺の背丈くらいの仕切りがあるブース、PCはIntelMac一台、Dellノート一台、Dellデスクトップ一台。シスコのIP電話が一人一台支給。椅子はハーマンミラー製。腰の悪いおれにも心地よかった。クーラーも完備、自販機はあるけどもちろんただ、水もなんか上の方にタンクが付いているやつが置いてあって、おいしいのがいつでも飲める。もちろん当然私服。おれはひげもじゃだしね。
ミーティングルームにはビデオカンファレンス用の設備が備わっていて、ライトアップを何種類か選べ、音楽も流せてすごく心地よかった。クォータに一度は当然会社持ちでケータリング取って、ビールやワインやシャンパンを飲んだり、ホテルを借りてパーティしたり、なども楽しかったな。
正月は半月近い連休、GWも10連休は当たり前、夏休みも当然それくらい、と休みも充実してた。
おれは派遣だったから完全フレックスの恩恵にはあずかれず、その意味では正社員と同程度に満喫したわけではない。正社員は四年に一度、三週間のサバティカルリーブがあったし。有給とかもかなりたくさんもらえてたみたいだし。何よりストックオプション関連が充実していて、高給取りだった。つまりおれは経済面ではそれほど潤ったわけではなかった。
けど、毎日二時間近く昼休みを取っても何も言われず、自分の仕事は自分だけのペースでできる(もちろん報告とかはするけど、普通にやってれば文句は言われない)。誰とも話さなくてもいいし、周りの視線も全く気にならない。エロサイト見てても(みないけど)、ついったしてても、たんぶらしてても。
一番よかったのは、繰り返しになるけど、周りからの縛りがないこと。一人一人にプロジェクトが与えられてそれを遂行する、という形態だったこと。誰かと一緒に、というのはなかった。勿論一つのプロジェクトを分割してやる、というのはあったけど。
それに、大半は日本人だったから、日本人らしさは至る所で出ていた。人事的なことも陰で決まっていたようだし。だけど、それでも今まで働いてきた企業とは風土が全く違った。規模に比して人の数がかなり少ない印象だった。やはりそれは一人一人に仕事がはっきりあって、責任を負わされているというところからくるのだと思う。
で、外資だけに、首を切られるさまも何度も見た。というか、おれ自身、ポジションクローズで辞めるわけだ。つまりおれのやってる仕事自体がなくなるってわけで、後任もいない。でも、実際のところ、おれが上でもそうする。俺は超暇だったからw その意味で恨みつらみはない。判断が遅いって思うくらいで。
岡崎市の乙川河川敷で路上生活をしていた女性(69)が殺害されて見つかってから半月が過ぎた。事件の前後の被害を合わせると8件7人の路上生活者が襲われる事件が発生したことが判明。市内に約50人いるとされる路上生活者の7人に1人が被害に遭った計算になる。事件以前の平和な日常が徐々に戻りつつある一方、いつ襲撃されるか分からない不安を抱えている路上生活者もいる。路上生活者を取り巻く現状を探った。
先月19日、午前3時過ぎ。同市真宮町の真宮遺跡の休憩所で寝泊りしていた男性(55)が4人組の若者に襲われた。男性は襲撃後「しばらくは人が近づいて来るだけでおびえた」と話す。それでも4年間暮らし続けた休憩所の寝床を離れることは出来なかった。「もうこの年で岡崎を離れるのは大変。一から生活をやり直すのにはものすごく労力がいるけんね」
5年前、仕事のために九州から岡崎に出てきた。仕事中にけがを負い、左手は自由に動かない。生活費は貯金だけが頼りだ。「もう行く当てがない。これからも平穏な日常を過ごしたい」。男性は空を見上げた。
事件後の金曜日の24日、名鉄東岡崎駅周辺では、駅周辺の路上生活者のために同市竜美ケ丘の日系ブラジル人の会社員、シシド・マサトさん(55)ら5人がおにぎりとお茶を差し入れた。東岡崎駅周辺で行われている唯一の路上生活者への支援活動で、事件後も、以前と変わらず20人ほどの路上生活者が列をなした。
シシドさんは5年前に仕事の都合で来日。東京駅で寝ていた路上生活者の姿を見て「日本もブラジルと同じように貧富格差があるのか」と衝撃を受け、職場の仲間とともにボランティアを始めた。4年前から東岡崎駅周辺で、週1回路上生活者に食料を差し入れる。シシドさんは「僕らの差し入れを当てにしてくれていることはうれしい。でも僕らには差し入れをすることしか出来ない。精神的なケアは出来ないです」と複雑な表情を浮かべる。
一連の事件を受け、岡崎市も急きょ、市内で暮らす路上生活者に緊急巡回パトロールを実施した。13カ所で6人の路上生活者と面会したといい、巡回した市職員は「事件後、移動した路上生活者が多いように感じるが、面会した路上生活者の中で不安を口にした人はいなかった」と話す。市は相談があれば受け付けるが、特別なカウンセリングなどは考えていない、というスタンスだ。
名古屋市内の路上生活者に対して週2回の炊き出しと週1回の夜間パトロールなどの活動を行うNPO法人「ささしま共生会」(名古屋市中村区)の高木栄子さん(52)は「県内でも路上生活者が少ないとされていた岡崎での事件。路上生活者の中には精神的に不安定になっている人もいると思う。犯人がどういう意思で事件を起こしたのか分からない段階だからこそ、行政や警察がしっかりと路上生活者をサポートしていくというメッセージを出すことが大事だ」と訴える。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061207-00000072-mailo-l23