はてなキーワード: 初詣とは
「スーファミ版のもPS版のも持ってたけどやっぱDSの宣伝をあの音楽に乗せてされたら買っちゃうよー」
とか照れ笑いしてたまではよかった。
「買ったはいいけど、一気にはやらないよwちょっとずつやってくだけだよw流石に何度もクリアしてるし」
とか言ってたまではよかった。
結局再度ハマりまくってやがる。
「出かけない?」ってメールしても「んー。寒いし…」とつれなさすぎる返事ばかり。
「そんなこといってトリガーばっかやってるんだー!この浮気者ー!」って冗談でメールしてみたら
「マジでこれは浮気レベルかもしれないごめん」とかガチに返ってくるから逆に俺が困るわ
やっとで会ったら話のネタが「今どこまで進めたか」だよ!知らないよ!
俺「初詣いこうよ!」
俺「二人で話してればいいじゃん!」
ちょwwwwwwwお前wwwwwww
あれは確か去年の1月1日だ。
世間的にこの年頃の姉弟にしては異常な仲の良さと囁かれていた。
というのは後々母親から聞いたことだ。
俺はオタクで尚且つ女性恐怖症のフシがあったが、姉はそんな中でも特に 特 別 だった。
エロゲなんかもガンガンやるようなオタクだったからというのも一因だろうが、
そんなことはあまり気にしていなかった。
元より俺にとって姉は幼い頃から姉であり、時にそれ以上の“家族”でもあったからだ。
「ねぇ、×××しない?」なんてことを言い出した。
前日から俺は友人数人とK-1を見に行き、
ようやく帰宅し、ヘトヘトだった為ぶっきらぼうに
「はぁ?何言ってんだよ?」と返答するが、
「ダメ?」とちょい狙い気味の上目遣い攻撃だ。
小悪魔とまではいかないが、姉とは1つしか違わない。
二人で歩くと傍から見れば完全に“兄妹”だ。
それを心得ているのか高校生あたりから
俺はあの上目遣いにすっかり弱くなっていた。
結局のところ俺はロリコンなのか?
とその時はショックを受けたものである。
「わーったよ!」と半ばヤケ気味に呟くと俺は準備を始める。
急いでシャワーを浴び、さっそく例のモノを出す。
最近すっかりご無沙汰だったので、随分×××が溜まっているようだ。
「すごいね。固くて、すごくおっきいよ・・・」と大声で喋る姉。
多少のうるさくしても構わないだろうし、
いざその巨体を目の前に曝け出すと俺も意外と乗り気になってきた。
一通り姉がし終わると、今度は俺の番だ。
「円を描くようにすると良いらしいよ」姉の言うとおり俺は従った。
相変わらずどうでもいいことには研究熱心で困る。
最初はやさしく・・・と思ったのだが、
「もう少し強めでもいいよ」と言われ俺はまだ序盤だというのに
一通り準備が終わると姉はもう湿らせているようだった。
まさしくここからが 本 番 だ。
「結構疲れるな」と俺は内心思っていたが、
姉に「だらしない男」と思われるのが嫌で我慢していた。
そんな矢先「もっとっ、ペース、あげてもっ、いいよ。」とのお言葉。
「お前は振る側じゃないからな・・・」と半ば言いかけたが
もう俺にそんな余裕はない。
腰が痛くて死にそうだ。
とそんな間抜けなことを考えながら俺はあっさりと限界を迎えた。
バタリと倒れこんだ直後、姉がそれを手にとり口に運ぶ。
「うん、おいしい。」と口の中いっぱいにしながらも
糸みたいに伸びた白いそれを
俺の口にも運ぼうと近寄る姉のそんな仕草はやはり可愛かった。
「あ??ん」という甘い囁きと共に俺の口にもモノが入る。
ちょっとゼイハァしているところに、
このドロドロ感は喉にひっかかる。
それはそうだろう。
少し前までは全国の年寄りが喉に詰まらせて死んだ・・・
という話もあったくらいだ。
きっとつきたてともなるとまた一段と弾力があるのだろう。
まったく、正月早々餅つきだなんて、
いや、本来は正しいのか?と
そんなことを考えていたら姉が
「ごめんね。疲れてるのに・・・」と少しだけ
悲しげな顔で謝りだした。
「え?・・・ああ、いや別に。」と突然だったので
そんな曖昧な返事しか出来なかったが、
何言ってんだよ。姉ちゃん。そんな顔すんなよ。
だって姉ちゃんは、俺が本当に大好きな姉ちゃんなんだからな。
・・・と今年嫁にいってしまった姉ちゃんとの
思い出話なんか書いちまったよ。
釣りにしようと思ったんだけどうまく書けたか?
下手糞だったらゴメン。
横増田だけど、ちゃんと「公明党青年部」という明瞭な所属を名乗った上で、
「ポスター」を貼らせてください、という話なんだから、ウソは言ってないと思うけどなぁ。
もちろん、「『ポスター』を『貼らせて』ください」と言っているのに、
店頭にチラシを置いたり撒いたり、演説を始めたのなら、ウソをついたことになるけど。
そういえばウチの実家(田舎)は個人商店をやっていて、しかもかなり見通しのよい立地だったので、
(田舎の人は分かると思うけど、田んぼのど真ん中に立ってる倉庫やバスの待合小屋って、
見通しがいいから、よくマルフクやオロナミンCや消費者金融の看板が貼ってあるでしょ?あんな感じ)
近所の創価の人が公明党のポスターを貼らせてください、っちゅーて,貼りに来てた。
ウチは公明・創価じゃないし、かといって宗教に無頓着かつ無宗教に熱心(初詣もクリスマスも除夜の鐘もない)な
家だったので、「関係ねぇや」ってノリでポスターを貼ってた。もちろん、他の政党からも依頼があれば
ポスターを貼ってた。無償で。
今思うと、ウチって創価だと思われてたのかなぁ。。。
http://anond.hatelabo.jp/20080714141454 を読んで思ったのだけれど、
宗教ってのは、毎週とか毎月のように何処かに行ってお祈りとかそういうのをしないと、信仰してるとは言わないのかな?
年に1,2度、神社に行ったり、お寺に行ったりするような人は、自分は無宗教である、と言うのかな?
でも、海外でも、それほど熱心な人は少ないと思うのだけれど、どうだろうか。
家には仏壇があってたまには手を合わせ、お盆には墓参りをし、大晦日には鐘を突きに行く、とか、
日本人は、そういう良くある行為や行事を、宗教行為・行事とは意識してないのが問題な気がする。そして、自身もすでに神道や仏教の信者であり、それにすがる手段があると認識してない事も。
時は大晦日。折からの寒波により、街には雪がちらついている。舞台はとある地方都市の少し外れにあるコンビニ。店内はよく暖房がきいていて、しかし店員以外に人の姿はなく、少しうら寂しい。
この物語の主人公は、大学生の少年である。彼は地方都市に在住する大学生にふさわしく、少しさえない容ぼうをしている。大晦日だというのに、いや、大晦日だからこそバイトをしているのには理由がある。理由といっても至極単純な話で、大晦日に用事がなかったのが彼だけだったというだけのことだ。もう一人の主人公は、フリーターの少女である。ちょっと垢抜けたふうの彼女がよりによってこんな日にバイトに勤しんでいるのも、簡単な理由だ。つまり、金欠なのだった。
大晦日の夜で、雪もちらついているとなれば、必然客の数は少なくなる。客といえばときたま思い出したようにきて肉まんとお茶だけを買っていく、それくらいのものだ。品だしを終えた彼は暇をもてあましていた。正確に言えば細かい仕事はいろいろあるのだけれど、それはまあ後回しでいい。話し相手でもいればいいのだけれど、同じく暇をもてあまして所在なさげに佇んでいる彼女とは挨拶以外の会話はこれまであまりした事がない。
店内放送にまぎれて何か外の方で鈍い金属音がして、あっと発音したのは、二人ほぼ同時だった。思わず顔を見合わせる。
「そういえば、近所に神社ありましたっけ?」
「はい。ここから歩いて15分くらいの所に」
それをきっかけに、二人は、お互いに年末年始の思い出を話す。小学生の頃、大晦日の晩だけは夜更かしをしても怒られなかったこと、初詣をして初日の出を見に行った時のこと。今年の小林幸子の衣装はどうなっているのだろう。その間も外では断続的に除夜の鐘が鳴り続けている。百と八回。数えたわけではないけれど、多分、その回数だけ鳴ったはずだ。時計を見ると、0時を過ぎている。
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
そう彼女が言った。かれは「も」を「は」に変えて返す。
「あけましておめでとうございます。今年はよろしくお願いします」
彼女は何かとてもいいことを思いついたかのように「そうだ」と口にした。
「増田さんはこの後何か予定ありますか?」
二人のシフトは午前六時まで。もちろん予定などありはしない。彼がそう伝えると、彼女はこう提案する。
「終わったら初詣に行きませんか?初日の出は見られそうにないけれど」
彼に断る理由はない。
マフラーとコートとロングブーツで完全防備した彼女が出てくるのを待ち、二人並んで神社へと向かう。少し雪が積もり、滑りやすくなっているけれど、彼には手を差し出す勇気は、もちろんない。夜明け前の神社は寒々としていて、それでも何人かが詣でている。二人はそれぞれ賽銭を放り込み、手を合わせる。彼がふと横をみると、賽銭の五円玉とは分不相応に真剣な顔で何かをお願いしている。彼がその内容を尋ねると、彼女はただ一言、
「秘密です」
と笑顔で返した。
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ほとんど寝てた。
死んだようになんて言うけどまさにそんな感じで。
夢も見た覚えがないくらいどっぷり。
実家なんで弟と母親が何度か部屋来て声掛けたらしいけど知らなかった。
えーと30日にコミケ行って14時くらいに帰って即寝て(結構買ったけどまだ殆ど読んでない)、
31日の18時くらいに起きて友達とカラオケと初詣行って初日の出見て、即寝た。
あ、1日の夜中にふらふら起きて弟にお年玉あげたのは覚えてるな。
そんで気付いたら4日になってた。
今日仕事来たけど正直もう眠い。人も少ないし。頭ん中がキテレツ大百科。
なんでこんなに寝てるんだろう。
普段はそんなに寝る訳じゃないからちと怖い。
「寝正月」ってもこんなに寝られるもんなんだろうか。
区役所に婚姻届を出した。
その前日に僕は、別の女性とデートをして、SEXをして、好きだ、愛してる、と目の前の彼女ではない女の子に囁いていた。
彼女は優しく、僕は罪人でしかなかった。
結婚相手の彼女は学生時代から付き合ってて、気づいたら同棲期間だけでも1年半以上経過していて、
あちらの親にも書類を出すことの報告で向かったら涙を流して喜んでくれたような。
ひとつ、挙げればもうSEXを3か月ほどしていない。そして本人には結婚相手とSEXをする気が起きない。
今年の延べ数が片手で収まってしまうようなセックスレスな関係であるのだが、それは外部には見えない。
皆幸せそうだと言う。僕も、SEXこそないが、彼女を大事な家族の一員として、最大限配慮した生活を送って来たつもりだ。
一方で隠れて付き合ってる女性。今僕が、世界で一番好きになってしまった彼女は、会社の同期。
新入社員時代から何かと二人で仕事をする機会が多く、最初は仲の良い友人関係を続けていた。
今でこそこんな関係だけど、何もなかった時代に仲が良すぎるので何かあるのでは?と疑われたほどだ(笑)
転機となったのは1年ほど前。切れ者でとても優秀な彼女は別の部署に転属になる。
僕は自分の自尊心を慰めることができないような、そんな格好良い仕事場で、
実を言うと、前々から好きな気持ちはあったが、同棲まで始めた彼女がいて、
そんな気持ちは「男の性」だろ、程度にしか思っていなかったのに。
新しい彼女の仕事の範囲は僕の個人的な趣味とオーバーラップしていたので、
助言という形で(元々の相棒だったので別に変なことではない)相談に乗ってみたり、
メールのやり取りを重ねたり、たまに二人で飲みに行くようになった。
丁度今の時期はそう、ボジョレー・ヌーボ(笑)の時期で、
日本人がフランスのワイン産業のカモにされていること自体にはよしとしないが、
去年はそれを有り難く口実には使わせて貰ったことを覚えている。
そこでワイングラスを傾けながら言った歯が浮くような台詞。
5年後の自分たちは、何しているんだろうね?もう君は(念願していた)主婦だったり?笑
家庭に入っていたとしても、こうして二人で飲みに行こうぜ。
なんて。彼女は確か肯定も否定もしなかったと思う。
その後も、彼女のことが気になって仕方がない僕は「友達として」の自分からのアプローチが続く。
自分自身、明確に浮気となってしまうことを避けるために、保身のために
友達としての誘い方は崩さなかった。
年が明けては初詣に誘い、桜が咲いては花見に誘い(これはタイミング合わずに実現しなかったが)
お互いそれぞれの仕事に忙しく、また働くオフィス環境が変わったが、二人で昼ごはんを食べるように
定期的に誘い、彼女はそれに応じてくれていた。
そんな微妙な関係を続けているうちに、徐々に、友達として、が崩れていく。
言い訳のしようがない関係になってしまったのは今から2か月前、
デートからの帰りで初めて手を繋いだ瞬間。
(色々な思いが交錯 - 俗に言うハイトクカンって奴)
のことはよく覚えている。そこで僕らはキスする直前で、別れた。
別れることに、「成功」した。が正しいかな。
http://anond.hatelabo.jp/20070910141446
彼女はというとその優しさから、正直な気持ちを口では明かそうとは
しなかったが、態度から、表情から僕は彼女の想いは伝わってきて嬉しかった。
そうして手を繋ぐまで、キスをするまで、と、だが順調に二人の関係は
ステップアップをしていき、とうとう彼女の誕生日の日に僕は関係を迫り、その想いは遂げる。
これがひと月ほど前の話。
その後も、毎朝出社前に彼女の最寄駅まで通い、夜は会社の近くで待ち合わせして、遅くに帰宅。
家の彼女も丁度忙しい時期で、なんとなくそんな、ずっと続けばいいなという時期が続いた。
唐突に結婚の話が降ってきたわけではない。
去年の今の時期、から我が家には、彼女が区役所からもってきた婚姻届が、彼女の側の署名だけされた形で
ずっと大切に保管されていた。
曖昧に、ごまかし続けていたのは僕のほう。だけどそれも限界だった。そこに彼女の親の涙を見て、
これでいいんだという想いは、急速に強くなった。そして、今現在、最も愛している女性との最後のデート。
婚姻届を提出したことを彼女にメールすると、華やかなテンプレート(女子らしいものだ)
でお祝いの返信が帰ってきた。
その裏で涙を流しているのはわかっている。彼女は優しく、僕は罪人でしかない。
ココロ社の人は、男女の友情なんて成立しねぇ!と宣言していたが、僕もそう思う。
そう思っていながら、今は恋愛感情がだいぶ強いが、徐々に同期の彼女とは
普通の友人に戻ろうと思う。これは二人で、最後のSEXの後に決めた。
まずは、今年のボジョレー・ヌーボ(笑)を友人として飲みに行く事からはじめようと思う。
もしかしたら、この年越しがテレビ滅亡のカウントダウン開始になるんじゃないか、と最近思う。
まず、紅白歌合戦。
たとえDJ OZMAがもう一度出ても、見ようとは思わない。
でも、
小林幸子や美川憲一なんてとても適わない位衣装が凄いアイマスMADだったり、
初音ミクがエベレストのてっぺんとか、どっかとんでもないとこで歌うのだったり、
ねとらじやスカイプを駆使してニコニコの各シンガーが大合唱するのだったり、
そうしたら、僕はネットに張り付く。
そして格闘技。
これだって、実況板あたりでエキサイトプロレスのプレイ動画が配信されたら、そっちをみる。
みんながニコニコ動画で人気のキャラのスキンを作成して、トーナメント。楽しいだろうなあ。
僕ならそっちをみる。
横にあるブラウン管にも、にぎやかしに何かは映していてはもらうかもしれないけど。
もしかしたら、この年越しがテレビ滅亡のカウントダウン開始になるんじゃないか、と最近思う。
#そういえばRC2で付いた時報とかニコスクリプト、これも活用したら凄いことになりそうだよね。
#ニコニコショッピング、みたいな番組つくってAmazonのアフィ貼って、みんなでおんなじ耳当てを買って初詣に行くのとかも楽しそう。
#つーかこんなとこで書いてる間に動画作ればいいのか。
http://anond.hatelabo.jp/20070711021837
久しぶりに頭の良い増田だな。
つまり自称無宗教者の主張が一貫していないことを責めてるわけだな?
自らの信仰に気付いてない日本人は確かにかなり多い。というか現代人の大部分がこれにあたるだろうね。
お正月には初詣に行き、教会での結婚式も仏前での葬式も違和感無く受け入れているのに、宗教というレッテルには大層な反発を覚える。
カルトに対する恐れが行き過ぎた警戒心を引き起こして、結果として「神を考える」こと自体を拒否する。
ケガレたものに触れない。ケガレが関わったものもまたケガレるという思考。
話は少しズレるけど、最もこのケガレ信仰が如実に現われたのは核兵器に対するタブー意識だ。
普通、核兵器の恐怖を知った国は自らも同じ力を持たないと平常心ではいられないんだけど
日本人は核そのものに触れないことで平常心を保とうとする。これは国際的にも非常に稀な例。
結果的に「問題の核心から目をそらす」という癖が国民についてる。しかもその自覚が無い。
だから公の場で誰かが良かれ悪しかれ核について言及すると、それだけで緊張が走る。
それは核について肯定したり否定したりしたからではなくて、彼が「ケガレ」たからなんだよね。
つまり多くの日本人にとって、核とは道具や兵器ではなくて人間の意志を超えた「祟り神」なんだ。
祟り神を鎮める方法は、祭り上げること。そして二度と怒らせないこと。
原爆ドームは神殿で、被爆に関する資料や写真は祟り神への信仰を忘れないようにさせるための碑文にあたる。
かけまくもかしこきかしこき原爆の大神を「非核三原則」という祝詞で封じ込めてる。
こういう風に説明しても、おそらく大勢の日本人は説明の内容ではなくて「核」とか「ケガレ」というワードに反応すると思うんだ。
そして単に渋面を作って「お前、ヤバイ人?」「そんなこと言ったらダメだって」って言うだけで後は思考停止。
宗教に対する反応とまったく同じだ。
元増田にトラバしてる増田も大半がバカな反応しかしてないしね。
それってまさに自称無宗教者の鈍感さを露呈してるってことなんだけど。
http://anond.hatelabo.jp/20070711060320
http://anond.hatelabo.jp/20070711054935
そういうレベルの話をしてるんじゃねえよバカ
バカは黙ってろバカ
わかんないなら何も言うなバカ
お前らとそのバカ仲間が何かを信じるとか信じてないとかそういう一個人の感想はどうでもいいんだ
脳みその代わりにオガクズ詰めてんのか
人間って色んなグループに重複して所属しながら生きているんだと思う。日本人っていうグループだったりどこどこ在住っていうグループだったりあるいはどこどこ卒業だとか性別とか会社とか。あるひとつのグループに対しての認識は個々によって違うだろうけど、多くの場合それは問題にはならない。みんな無意識に色んなところに所属してて、たまに所属する状況にいながら所属しないことで問題が起きたりする(ある町に住んでいるけどその町のグループに所属しない、というような)。所属する、というのは無意識でもつまりそのグループが貶されれば憤りを感じ、褒められれば嬉しくなる、といった類のこと。そのグループのためになることをしよう、という行動原理をもつこと。
私が、ある特定の宗教を信じる人を敬遠するのは、そういう(この日本でわざわざ信仰を持とうとする)人がえてして熱心であることが多く、他に所属しているどのグループよりもその宗教グループを優先し、その利益のために動くことが多いと感じるから。彼らは非常に熱心にそのグループに所属することを勧めるが、ほとんどの人にとって所属するグループというのは強制されるものではなく、また他人にそのよさを分ってもらうためのものではないと思うし、他のグループを排除するものでもない。
これは一部の勧誘が鬱陶しいカルト臭い宗教にしか当てはまらない話かもしれないし、宗教を胡散臭く思うのはただ単に神だとか教義だとかを胡散臭く思う(スピリチュアルカウンセラーを胡散臭く思うのと同じノリで)ことからきているのかもしれないし、うちの実家が寺で、祖父母は初詣にもいかない人だった、というのも関係しているかもしれない(どちらかというとキリスト教系への嫌悪の方がきついので)。
よく分らない文章になったので書き逃げする。
「神」って言われてなにを重い浮かべる?
たぶん違うよね。
日本で神っていうと、神話のアマテラスやスサノオ、ゼウスとかサタンとかか、もしくはイエス・キリストやアッラーのような、人の形をしたものを指していて、「存在しますか?」って聞かれると、作り話だからね、証拠はないからね、っていう考えになるんじゃなかろうか。
でも、たとえば、「この岩に触るとご利益があるんです」なんていわれると、触る人は多いし、お守りを買う人は多いし、初詣をして、賽銭をなげ、幸せを祈るよね。
その時、だれに祈るのだろう。だれのご利益なのだろう。別に、岩や木を神とは思ってないのに。
そんな時、はっきりしたなにかがあるとかじゃなく、はっきりしない、空気とか雰囲気とか気持ちとか、そういうものの延長としての、「なにか」が、その場や物に「宿っている」って思う。そこにはリアルな人物ではなく、仮想化された人物、つまり擬人化があると思うんだよね。それを指して神様という。
あと、「宗教」
フス派が敗北して弾圧されて、カトリック一色になって
日本も同じようなことがあったね。キリシタン弾圧とか檀家制度とか神仏分離とか。
そういう宗教が力によって強制された時、儀式や建前として受け入れても、そこに神はいないと思うんだよね。
そういう歴史が現在の宗教に引き継がれていると神ってのが薄くなるのかな?って思ったけどどうかな。
仏教とか儒教の国はどうなんだろう。日本もそうだけど、ご先祖って神じゃないんだよね(いや、そういう考え方があるのは知ってますが)。
それがかなり大きな影響を与えると思うんだよね。
正月に初詣に行って、お大師様に厄除けに行って、お彼岸にお墓参りして、お盆に迎えにいって送っていって、また彼岸にお墓参りして、クリスマス祝って(?)。修学旅行は京都へ行っておみくじ引いて仏像眺めて、受験があれば絵馬を書き、死ねば坊さんを読んでお経を読んでもらう。トイレには花子さんがいて、暗い夜道には妖怪がいる気がして、山には神様がおられて、夜はつめを切らない。結婚式は教会で挙げたり、バイトの巫女さんがいたりする。
考えるとおかしいね。そもそも神社とお寺がごっちゃになってる。神仏習合のせいか。
そんな神仏が混じりあった宗教概念の人が多いから、神仏以外の宗教が異界になるのだろうか?
じゃあ、増田やってる君らも、周りから見たらそう思われてるんじゃないの?
増田を“異界”と思う人から見れば、まさしくその通りだと思う。
そうなんだろうな、一種のおたくもそうなんだろうな。
問題は、きのこanond:20070216134301も友達の宗教anond:20070216183717も、「熱心に布教されて困る」ってところなんじゃないのか?あと、「人生かけちゃってる」とこ。坊さんの息子が坊さんになる、みたいなもんだと思えばいいのかなぁ?
何か君も宗教臭いね。
っていうのは、いいえて妙ですな。たしかにそうですな。こっちも一種の宗教みたいなもんだよな(しかもある意味布教もしている)。