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はてなキーワード: 三高とは

2010-12-24

婚活パーティに良く行ってる

同僚と良く婚活パーティに行ってる。

別に結婚相手を探すつもりとかは全く無い。

売れ残ったクソビッチを眺めながらメシウマするためだ。

学生時代から女の自己中さが大嫌いで最近仕事でも自己中女に会うことが多いかストレス解消になってる。

基本は無料で、主催から頼まれて参加することも多い(車代が5万位もらえる)

ビックリしたのはネットとか、TVで話題になるキチガイ女ってネタじゃなしに本当にいることだ。

というか、かなりの頻度で遭遇する。

パーティに来る人の10人に一人くらいはそんな感じ。

30代中盤~の女は結構ひどくて家事出来ない人が大半なのに態度と自意識だけは強い(そのくせ主婦希望)

(料理が上手かどうかはみりんの使い方聞けばすぐわかる。)

そして、来てる男がまた酷い。

ドレスコードスーツが禁止されてるパーティだと、お母さんに買ってもらったのか?って服を着てる奴が結構いる。

それでも職業医者とかだからそれなりに人は群がる。

主催者が昔で言う三高ってだけで顔とか普通の俺に金払ってまで参加してもらおうとするのも良くわかる。

マザコン医者にさっきまでべったりだったのに、こっちも同業だと知るとすぐにこちらに付きまとってくる。

そんで、脈無しだとわかるとすぐにマザコンにすり寄る。

お前ただ医者結婚したいだけじゃん。

地位とか年収かにこだわらず温かい家庭が築きたい人たちは婚活パーティかに行くべきではない。

婚活パーティかに行っても良い結婚は出来ないと思う。

ここに来てる人達ネットオフ会を転々としてる自己中女みたいなもん。

自分のことしか考えてないし性的弱者を食い物にしてのし上がろうという魂胆が見え見え。

そもそも友人とか、同僚とか相互監視作用が働かない結婚はところで裏切りが発生しやすいから破たんしやすいんだわ。

その辺良く注意したほうがよい。

よさげな人が居ても基本は俺みたいサクラだよ。

2010-09-22

文芸設定

県立第一高校(一高)cf.高一

県立第二高校(二高)cf.高二

県立第三高校(三高cf.高三

・各学校各学年200名の生徒(各学年五組)40×5=200

・本来は設立順、現在偏差値順の意味合いが強い

2010-05-22

http://anond.hatelabo.jp/20100522190516

そういう統計をずっと見てたわけじゃないから不確かだけど、なんか随分急に落ちたね

バブルがとっくにはじけた後もかなり長いこといろんな無茶目な注文付けてたよね?確か

三高を諦めた後も三低とか、「400万と聞いてぞっとしてしまって」とか

2010-02-12

婚活サイトに登録してみた

70人くらいにメールを送ってみた。

返信は全部で3件、そのうちかろうじて続いてるのが1件。

1件は返信に返したら未読のまま放置

1件は返信に返したらなぜかリストから消えた。退会したのかブラックリストなのか。

そして僕は気づいた。

自分が、低学歴、低身長、低収入三高ならぬ三低だってことに。

条件で勝負するウェブに登録したのが間違いだった。

2009-08-20

処女厨問題

以下は完全なステレオタイプであるが、気をつけなければ簡単に定着してしまう。

2008-08-16

http://anond.hatelabo.jp/20080816045217

文章は言われた通りは書けないだろ。

こういう親はいるよ。偏見の塊、三高世代。

2008-07-15

わが子を自分探し病から守る 前編

あなたも私も自分探し

あなたに漠然とした質問をひとつします。

深く考えずにとりあえず答えてみてください。

「答えはどこにあると思いますか?」

本当に漠然とした質問で戸惑ってしまったかもしれません。

でも、答えてください。

反射的に出てきた言葉でいいので何か答えてください。

何となく決まり文句で出てきた言葉でいいので答えてください。

答えましたか?

これは自分探し病にかかっているかどうかをチェックするテストです。

「自分の中にある」と答えたあなた!自分探し病にかかっています。

このテストは、速水健朗自分探しが止まらない」を読んで、私が勝手に考えたものです。かなり精度の高いチェッカーだと自負しています。実際の自分探し患者である自分自身の病理をよくよく観察して考案しました。

自分探しが止まらない」を読んで、自分自身が自分探し病にかかっていることを認めざるを得なかったのです。不本意ながら。

でも、病を自覚できたおかげで、最近悩んでいたことがすっきりしました。

娘の教育にあたっての妻との衝突の悩みです。

「これだけは誰にも負けないという何かを、何でもいいから持つべし!」というのが、娘の教育にあたっての私の方針でした。決して突飛な考え方ではないと思います。

しかし、これを聞くと妻はため息をつきます。そして言うのです。

「誰にも負けない何かなんて、私には何にも無いよ!」

たしかに妻は、勉強や運動で飛び抜けた成績をあげたこともなく、これといった得意分野もありません。何かの趣味に熱中することもありません。

では、どうして妻は、私にとってかけがえのない存在なのでしょうか。

そして、娘の教育方針はどうしたらいいのでしょうか。

現在子育て世代は、深刻な自分探し病世代でもあるように思います。自分探し病でわが子まで不幸にしないために、私の考えをまとめてみました。

あいのり」に漂う時代の空気

自分探しが止まらない」では、我々の世代はみんな、自分探し社会から強制され続けてきた世代であることを、様々な事例から明らかにしていきます。

我々の世代というのは、「あいのり」世代として区切ることができます。青春時代に放送されていた恋愛バラエティー番組が「あいのり」であるという世代です。比較して語られるのが「ねるとん」世代。

私は「あいのり」世代です。そして、「あいのり」の本質恋愛バラエティーではなく自分探しバラエティーであると、「自分探しが止まらない」は分析しています。

私は「あいのり」という番組が大嫌いですが、好むと好まざるとにかかわらず、時代の空気というものは誰もが影響を受けてしまうものです。そして、テレビ番組時代の空気を映す鏡です。極論すると、我々の世代の全員が自分探し病の患者か予備軍なのです。

ねるとん」のキーワードは「三高」、「あいのり」のキーワードは「本当の私」、ここに世代間の意識の違いがくっきりと現れます。

高身長高学歴高収入」と恋愛成立の条件を「相手」に求める「ねるとん」に対して、「あいのり」は「本当の私を分かってくれる人」といった具合に、一見すると相手に求める条件のようでいて、じつは「自分」の内面的なことがすべてであるという違いです。

就職恋愛自分探しの「あいのり」世代

私たち「あいのり」世代は、徹底した自己分析によって自分の適性にぴったりの職業を見つけて、その職業に就くことによって初めて幸せ社会人になれると刷り込まれ続けてきました。

というか、刷り込まれてきたという自覚もありません。仕事自己実現であり、答えは自分の中にあるのであり、就職活動=本当の自分探しであるという考え方に疑問すらわかない状態です。

自分探し病が重症になると、恋愛についても同じ考え方をしてしまうわけです。恋愛=本当の自分探しであり、やっぱり答えは自分の中にあると考えるのです。

常に本当の自分とやらを見つめ続け、

「よくよく考えてみたら、私にはこんな一面があると気づいたの。だからあなたとはお別れね。あなたが悪いんじゃないの、あなたを選んだ私は、まだ本当の私じゃなかっただけなの。」となるわけです。

ファンタジーのつもりだった「個性重視教育

問題をややこしくしているのが、この考え方が「あいのり」世代特有の奇妙なものであることを自覚するチャンスが無いということです。「自己分析」という自分探しキーワードを「あいのり」世代が口にしても、スルーされてしまうという罠があるのです。

罠のポイントは、「あいのり」世代の奇妙な考え方にお説教のひとつくらいしてもよさそうな50代から60代あたりの世代こそが、私たちに「個性重視」教育を施した当事者であるということです。

その世代の人たちは、ある種のファンタジーというか、ものの考え方の振れ幅の片方として教えていたつもりで、まさかそこまで本気で私たち世代が信じ込んでくれているとは思ってもいないのです。

(没個性・画一教育へのアンチテーゼという意味での)「個性重視教育

をやっていたつもりが、いつの間にか括弧書きの部分が取れて、

「個性重視教育

になってしまったのです。

ファンタジー現実になってしまったわけです。バリバリの没個性・画一教育を受けて育ってきた世代には、どうにも実感の湧かない現実でしょう。自分たちが目標に掲げて実現した世界なのに。

だから、「自己分析」というキーワードを「あいのり」世代が口にしたところで、そこに信仰にも似た過剰なまでの熱量が含まれているとは思ってもみません。文字通りの意味で受け止めて、微妙にずれた言葉キャッチボールが成立してしまうのです。ある程度の「自己分析」が就職活動に必要なことは間違いないのですから。

相当に丁寧な言葉キャッチボールをしないと、この微妙な、だけどとても大きなずれに気付くことは出来ません。

議論を台無しにする認識のずれ

このような「自分探し」をめぐる世代間の認識のずれは、自分探し病についての建設的な議論を台無しにしてしまいます。

50代から60代あたりの世代は、まだマシです。我々「あいのり」世代が抱えている「自分探し」観を懇切ていねいに説明すれば、

へぇ?、そんな風に考えていたんだね。思っても見なかったよ。」と素直に受け止めてくれる人も少なくありません。

問題は「ねるとん」世代です。「ねるとん」世代は、「自分探し」がブームになった世代なので、「自分探し」について自分たちの世代もよく知っているつもりです。「深夜特急」が青春時代に刊行され、そのマネをして旅に出たという友達がまわりにたくさんいた世代です。

だから、自分探しについて自分なりの考え方を既に持っています。そして、それを語り尽くしたら、議論をおしまいにしてしまうのです。

自分探し?そんなものは俺が若い頃にもあったし、俺もかぶれた時期があった。あんなものは一種の通過儀礼で、いつまでも自分を探しているやつは甘えているだけなんだよ。」みたいな感じです。

たしかに「ねるとん」世代が青春を謳歌していた頃に「自分探し」はブームになり、「ねるとん」世代も多くの人が自分探し病にかかりました。

しかし、まさに「ブーム」でした。

ねるとん」世代の多くは「ブーム」として自分探し病にかかり、「ブーム」だからこそ、しばらくすると熱は冷めていったのです。

自分探し病がそのまま重症化してしまった人も、もちろんいました。オウム真理教に入信してしまった人などです。ただし、それは特別な存在でした。

しかし、我々「あいのり」世代は、自分探しこそが幸せへのパスポートであると社会全体が大合唱している中で青春時代を過ごしてきました。今の大学生にいたっては、物心ついてからずっとです。

自分探し病の病原菌に、いつか治すべき流行病として感染したのが「ねるとん」世代。素晴らしいワクチンであると学校で接種されて感染したのが「あいのり」世代なのです。自分探し病にかかるということの意味合いが全く違ってくるのは当然でしょう。

そのあたりの認識のずれに気付かないまま自分探しを論じているブログがたくさんありました。

404 Blog Not Found

「探すな決めろ - 書評 - 自分探しが止まらない」

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51003082.html

Baldanders.info

「『自分探しが止まらない』を眺める」

http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000376.shtml

どれも、我々「あいのり」世代の自分探し観と微妙にずれた、彼らの世代の自分探し観を前提として持論を展開し、議論を切り上げてしまっているように思えます。

適応しすぎた私と背中を向け続けた妻

自分の病理として捉えつつも、このように冷静に分析できたのは、私が自分探し病にかかりつつも、それほどこじらせないで済んでいたからです。

妻のおかげです。

私と妻、それぞれがまったく違う生き方をしてきたのが功を奏しました。

私は圧倒的な優等生としてずっと生きてきました。常に学級委員を務めていて、勉強も出来ました。しかも、好奇心旺盛で何にでも興味を持ち、個性的と賞賛される発想を、ずば抜けた行動力と調整力によって実現してしまう伝説級の優等生でした。運動神経は全くありませんでしたが、スポーツから逃げるのがしゃくで、中高と運動部に所属して、それなりにこなしていました。

あくまで事実を書いただけですw

より適切に表現するならば次のような感じでしょうか。

キモオタなんだけど、やたらと行動力があって、運動以外のスペックが全般的に高くて、何より精神的なダメージへの耐性がむやみに高いせいで、周囲の微妙空気も含めて力技で引っ張り回して、何だかんだで思い通りにしてしまう人間でした。

要するに、「あいのり」世代が受けてきた「個性重視教育」に、これ以上ないくらいに適応した人間だったのです。学校が楽しくて仕方ありませんでした。

就職するときには、超氷河期の中でしたが、おもしろそうだと思った仕事にすんなりと就くことが出来ました。今も仕事が楽しくて仕方ありません。

一方、妻は、勉強も運動も人並みで、特に何かに熱中することもなく、至って普通に生きてきました。学生時代に何かを成し遂げた思い出も無いそうです。

なんとなくいくつかの会社を受けて、内定をくれた会社就職し、しばらく働いてから寿退社。今は専業主婦です。

要するに、「個性重視教育」に背中を向け続けてきた人間なのです。学校では先生のお説教憂鬱で仕方なかったとのこと。

相変わらず我が道をばく進する大学生だった私が、ひょんなことから出会った専門学校生の妻に交際を申し込んだ理由は、そんな妻の普通すぎる価値観が逆に新鮮だったからでした。

まぁ、正直なところ妻の美しさが最大の理由でしたが、新鮮な価値観に魅力を感じたのも嘘ではありません。妻としても、私のキモオタぶりも含めて、すべてが新鮮だったからOKしたそうです。

私と妻の価値観のぶつかり合い

実際に交際を深めていく中で、かけ離れた価値観をぶつけ合うことが、やはりとても生産的なすばらしい行為であることを知りました。というか、妻がここまで徹底抗戦してくるとは思っていませんでした。

私が積み重ねてきた経歴や、獲得したたくさんの語彙や、膨大な知識に、まったく臆することなく、というか意味を見出さず、ひたすら一つのことを問いただし続けるのです。

「あなたは私を幸せに出来るの?」

そのあまりにシンプルな問いと向き合ったおかげで、私の自分探し病は悪化しないですんだのかもしれません。

「あなたは私を幸せに出来るの?」

「俺には輝かしい学歴があるからね。」

「あなたの大学卒業生はみんな幸せになれるの?」

「いや、これが結構残念なことになっちゃう人も多くてね。

だけど、俺は違うよ。就きたい職業イメージもしっかりしているし、そこに向けた努力もきちんとしているし。」

「あなたの希望通りの仕事に就けたら、私を幸せに出来るの?」

仕事はおもしろそうだし、お給料は人並みにもらえるらしいし、安定している業界だし、忙しい職場だけどそれなりに家庭生活とのバランスもとれるっぽいから、大丈夫だと思うよ。」

「本当に?」

「たぶん…。」

「私を幸せに出来るの?」

「いや、そう言われると…。これから社会がどんな風に変わるか分からないし、仕事が自分にとって本当におもしろいかは入社してみないと分からないし、それなりに出世するつもりでいるけど、学歴とか関係ない職場だし…。言われてみると…。」

真剣に具体的に考えて、私は愕然としてしまいました。

私にあるのは可能性だけで、何一つ確実なものは無いのです。

輝かしい学歴も、個性的な発想力も、築き上げた人脈も、彼女幸せを約束するための十分条件にはならないのです。いや、必要条件ですらないのです。

三段跳びに例えると、助走で最高に気持ちよく走ってきて、スピードものってタイミングもばっちりだけど、ホップステップジャンプでうまく跳べるかなんて、踏み切ってみないと分かりはしないってことに、初めて気付いたのでした。

走ることと跳ぶことって全く別のことですもんね。うまく助走出来た方が、うまく跳べる可能性が高くなるというだけです。うまく助走できていたのに、うまく跳べないことなんてざらにあります。一方で、助走ではいまいちスピードがのらなかったのに、うまく跳べてしまう人も少なくありません。

更に言えば、ホップステップまではうまく跳べたのに最後のジャンプで大失敗なんて、歴史教科書ではむしろ多数派です。

何はともあれ跳ばなきゃ話にならない

そんな問答を彼女としながらも、私はとりあえず就職活動を進めていて、希望通りの業界内定をもらいました。

しかし、内定を手に大学4年生となった私に、トラブルが発生したのです。勉学以外の活動が面白すぎて夢中になっているうちに、最後の一年でとるべき単位が大変なことになっていたのです。時間割のすべてのコマをパズルのように埋めて、すべての授業で単位を獲得できれば卒業できるという状況でした。

跳ぶことの怖さに気付いてしまった私にとって、そんな状況は、跳ぶのを止めて、とりあえず助走を続けるのにぴったりの理由に思えました。

その年度の卒業は諦めて、もう一度就職活動を仕切り直そうと思ったのです。自分探しを延長するのにぴったりの大義名分だと思ったのです。

三段跳びの踏み切り板が近づいてくると、もう少し走れば、もっといい感じのスピードタイミングになるかもしれないと思えてきたりもするのです。

内定した会社より、重役面接で落とされた別の会社の方がやっぱり自分にあっている気がしてきてみたりするのです。

そんなことを彼女にほのめかしてみたところ、一喝されました。

「何が何でも卒業して就職した方がいいと思う。最初から留年するつもりなんだったら、別れる。

だって、就職留年して別の会社内定したところで、幸せを約束できるわけじゃないのは一緒でしょ。試験勉強応援するからさ。」

彼女がそういうんだったら仕方ないというか、そうした方がいいことは薄々気付いていて背中を押してもらったというか、私は卒業に向けて全力投球することになったのでした。

そして、私は無事に大学卒業して就職し、今に至るというわけです。彼女、つまり妻が一喝してくれて本当に良かったです。

助走って楽しいんですよね。でも、助走はしょせん助走なんです。助走としての個性重視教育にしろ詰め込み教育にしろ、過剰に最適化された私は、走ることがあまりにも心地よかったこともあって、跳ぶことをついつい先延ばしにしてしまうところだったのでした。

たしかに、踏み切り位置がきっちり決まり過ぎていた頃は、それゆえの悲劇もあったのかもしれません。

足のタイミングが踏み切り位置にたまたま合わなくて失敗したとか、もう少し長めに助走していたらスピードがぐっと上がっていたはずだったとかです。

だから最近は、そのあたりの悲劇を無くすために、踏み切り位置をきっちり決めないでOKとする風潮になってきました。

でも、何だかんだ言って、結局は跳ばなきゃ話にならないのです。

「もっと真面目に助走しろ!」と怒られ続けてきた妻にしてみると、それほど意味がないように思える助走なんかさっさと切り上げて、早々に跳んだ方がいいに決まっているのでした。

ということで、妻に一喝されたおかげで、私は自分探し病をこじらせないで済んだのでした。

でも、いまいち問題の本質を理解しないままでいて、危うく娘まで自分探し病的な考え方に押し込めてしまいそうになっていたところを、再び妻に一喝されたというわけです。

「誰にも負けない何かなんて、私には何にも無いよ!」

「誰にも負けない何か」を求めたくなる理由

「誰にも負けない何か」というのは、私がずっとすがりついてきたキーワードでした。

閉塞感が漂う時代は、多くの人が確実そうなものにすがろうとします。医学部が人気になったり、公務員試験競争率が高くなったり、金相場が上がったりします。

でも、私たちの世代は、「すがれそうな確実なもの」という幻想をことごとくぶち壊された世代でした。

私たちが大学受験をした当時は、医者余りで食いっぱぐれる医者も出てくるなんて言われていました。

学歴は、無くて困ることはあるけど、あったところで何かを保証されるわけで無いことを、みんな知っていました。

大規模リストラニュースが毎日のように流れ、終身雇用の原則は、音を立てて崩れ落ちていきました。

そもそも、大企業自体があっさり潰れる実例をたっぷりと見せつけられました。

かといって官僚も、天下りありきの賃金構造モチベーションが維持されていて、そんないびつな構造を維持できるはずがないと、みんな薄々気付いていました。

そんな状況と、骨の髄まで染み込んだ個性重視教育から導き出されたのが、「誰にも負けない何か」という考え方なのです。

確実なものなんて望めない世の中だけど、それでも望もうとするのならば、努力によって磨き上げられた圧倒的な才能くらいでないとすがりつくことは出来ないという悲壮な認識です。

でもね、そんなものに手が届くはずがないのです。認めたくないですけど。

だから、妻の反撃は私を追い詰めていきます。

「誰にも負けない何かなんて、私には何にも無いよ!あなたにはあるの?」

「Aの分野における、Bという条件での、Cなら誰にも負けない自信がある!」

「随分限定するのね…。そこに需要があるの?」

「ある!…はず。」

「食べていけるの?」

「…いけると思う。」

子どもの学費もあるんだよ。」

「いける…ん…じゃないかな…」

「厳しいんじゃない?」

「まあ…ちょっと…覚悟は…しておいて…」

それなりにスペックが高いと自負している私は、努力さえすれば「誰にも負けない何か」が手に入ると思っていました。でも、ちょっとやそっとでは「誰にも負けない何か」なんて到達できるはずがありません。

そこで、私はニッチ路線をひた走る戦略へと方針転換したのでした。数は少ないけど熱烈に支持してくれそうな見込み客がいて、市場としてこれから成立しそうな分野に、今から開拓者として乗り込んでおこうというわけです。この方針転換自体は間違っていないと思っていますが、もはや「すがりつける確実なもの」というレベルの話でないことを、認めざるを得ません。

というか、「一生安泰」のためには、「誰にも負けない何か」を「ある程度維持し続ける」必要があります。一発屋が、むしろ不幸へとつながりやすいことをみんな知っています。かといって、「誰にも負けない何か」を「ある程度維持し続ける」という生き方は、もはや普通人生以上の修羅の道です。

要するに、「誰にも負けない何か」なんて見果てぬ夢であって、それを目指すことは悪くないけれども、それを必ずつかめるはず、それをつかんで初めて幸せになれるなんて考えるのは大間違いだということです。

でも、なにか確かなものが欲しい!

そこで頭に浮かんだのが、「誰にも負けない何かなんて何も無い」妻が、私にとってかけがえのない存在であるということでした。

どうして妻は私にとってかけがえがないのか

私にとって妻がかけがえのない存在である理由を考えてみました。

私は常に暴走モードに入っています。ふと思いついた楽しそうなことに向かって、闘牛のようにとりあえず一直線に向かっていきます。

そんな私の背中にまたがった妻は、時々私の耳たぶを引っ掴んで大声で叫ぶのです。

「あんたバカぁ!?そっちに行ったら危ないでしょ!ちゃんと前見て走りなさいよ!」

妻を背中に乗せていなかったら、私は壁に激突しまくって瀕死の重傷を負っていたことでしょう。

一方で、私の背中に乗っていなかったら、自力で前に進むのが苦手な妻は、その場に座り込んでため息ばかりついていたことでしょう。

今となっては、これ以外考えられない組み合わせです。

「誰にも負けない何かなんて何も無い」妻ですが、私を操縦することにかけてだけは、誰にも負けないわけです。

一方で、こんなきっついツンデレ妻を背中に乗せていられるのは私くらいだという、妙な自信もありますw

もちろん、最初からこの組み合わせがうまく機能していたわけではありません。長いつきあいの中で、お互いに激しくぶつかり合って、お互いに譲り合ったりしていく中で、何とか作り上げたギリギリのバランスです。

自分らしさの大切な要素だと思っていたものを、それぞれが泣く泣く諦めたりして今があるのです。そして、これからもぶつかり合いは続きます。

そうなんです。ぶつかり合いは続くんです。あらゆる状況は常に変化していくわけで、最高の関係を築き上げたつもりの私たちの間で、微調整どころではないぶつかり合いが、これからも発生し続けることは間違いないのです。

結局は、個人と個人とが直接ぶつかり合って作り上げた関係性の中にしか、確かなものなんて無いというのが私の結論です。そして、それは常に揺らぎ続けるものであって、確かなものにし続けるために不断の努力が欠かせないものなのです。

不断の努力無しには崩壊してしまうものが「確かなもの」であるかは微妙なところですが、わが家では、その程度の「確かなもの」で十分とし、それ以上のゆるぎない何かを求めるとろくな事にならない気がします。

答えはどこにあるのか?

私たちが探し求めている「自分」というのは、結局のところ「存在意義のある自分」なんですよね。

そして、それは「自分の適性を最大に生かして仕事をすること」とか、「誰にも負けない何かを身につけること」とか、「自分のすべてをありのままに受けて入れてくれる恋人と出会うこと」とかではなくて、「大切にしようと決めた人と、お互いがお互いにとって大切であり続けるためにもがき続けること」でしか手に入らないものなのです。

かといって、「キミとボクの関係世界のすべて」だなんて、そこに過大な意味を見出そうとすると、また妙なことになってしまいます。

そうではありません。あくまで、世界のすみっこで生きている個人同士が、その存在の小ささを受け入れた上で、お互いの存在価値を認め合って、それに見合った努力をし続けるということなのです。

「答え(=「存在意義のある自分」)は、どこにあると思いますか?」

という質問に改めて答えるならば、「大切な人と自分との間」にあるといったところでしょうか。

追記 わが子を自分探し病から守る 後編へ

後編へのリンクを忘れていました。

増田なもので、すみません。

わが子を自分探し病から守る 後編

http://anond.hatelabo.jp/20080715002502

2008-06-22

http://anond.hatelabo.jp/20080622123501

盛岡はトップ進学校盛岡一高が昔から共学だからまだマシなのでは。

そうなんだ。ちなみにそういうことを言ってた友達は盛岡三高でした。

あと、その手のネタ宮城の人に通じなかったから不思議だったんだけど、

・・・なるほど、公立高校論人はヤツの誇張表現だったのかもorz

ナンバースクール=上位進学校、が当たり前だと思ってたから。

ちょっと視点が違うけど、兵庫だと「ナンバースクール」というか、「○○第n高校」って高校がなかったです。

近畿中国地区でもほとんどないと思う。ちなみに神戸第一高校は私立の割と下の方。。。

東日本って多いよね、水戸第一土浦第一宮城第1/2/3・仙台第1/2/3・盛岡1/2/3、というように。

だから、「ナンバースクール」という呼び方も、こっちに来て初めて聞きました。

2008-01-04

低学歴だと恋愛もうまくいかない

2006-07-07 00:01:56

日本は特に学歴社会履歴書重視社会です。皆さんのご指摘のとうりなのです。特に男性低学歴だと、恋愛結婚さえうまくいかないかも。昔の三高神話はまだ崩壊していませんよ。がんばってください。

http://kotonoha.cc/no/52946

2007-01-30

[]読むまでもないエントリ

痛いニュース(ノ∀`):女が望む結婚相手の条件…「三高」に続き、「三低」(低姿勢・低リスク・低依存)+「三手」(手伝う・手を取り合う・手をつなぐ)

タイトルだけで元記事もスレ展開も想像がつき過ぎる。

まぁ予想外の展開をする確率もあるかと思ってブクマチェック。

2007年01月30日 TakahashiMasaki 2ch, news, ネタ, 喪男, 恋愛 女性(笑) 結婚(笑) (←喪男板風

2007年01月30日 alharascholar ジェンダー・フェミニ

2007年01月30日 jniku あとで読む, これはひどい

2007年01月30日 acqua_alta 2ch

2007年01月30日 t2-news ネタ, ジェンダー

2007年01月30日 tender_apricot 2ch, これは痛い, 痛いニュース(ノ∀`) >>133 同感

ブクマまで予想内過ぎてがっかりしたので増田ネタにする。

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