特権をもった人間が、自分の抑圧した人間に対して心に抱くやましさという重荷、そうした気づかいは、まさしく特権を維持するための気づかいなのである。
(『夢・アフォリズム・詩』ASIN:4582761496、p110)
禁欲主義者の多くは、もっとも貪欲な人たちである。彼らは人生のあらゆる局面でハンガーストライキをやりながら、それによって同時に次のことを達成しようとする――
一、ひとつの声に言わせる――十分だ、お前は十分に断食をした。いまやお前は、ほかの人々とおなじように食事をしてもいい。それにこれは食事とはみなされないであろう。
二、おなじ声に同時に言わせる――いまやお前はずいぶん長い間、強制されて断食してきた。いまからお前はよろこびをもって断食するがいい。それは食事よりも甘美であるだろう(しかし同時にお前は実際にも食事をするがいい)。
三、おなじ声に同時に言わせる――お前は世界に打ち勝った。わたしはお前を、世界と、食事と、断食から放免する(しかし同時にお前は、断食も食事もするがいい)。
そこへさらにひとつ、以前から彼らに絶え間なく語りかけていた声が加わる――お前の断食は完璧ではなかったかもしれない、けれどもお前にはよき意思がある。それで十分だ。
(同上、p239)
あんまり詳しく書くと野暮だからやらないけど、これって恋愛を語る人の身振りとか、非モテ主義者とかの行動にも当てはまるような……。