「大日本蹴球協会杯」が84年越しに“奇跡の返還” 三田ソッカー倶楽部からJFAへ 戦争激化で所在わからず
引っかかる記事だ。
まず、”戦争激化で所在わからず”ってあり得ないだろう。まあ金属の拠出を避けたということではないのか?
このあたりの経緯をきちんと調べないのは歴史の捏造だろう。慶応大学には歴史の先生もたくさんいるわけで、きちんと経緯を調べて発表してほしい。
別に金属の拠出を逃れたことを今更どうこう言ってもしょうがないけど、それは当時はあまりフェアな行為じゃないですね。
もちろん当時OBの中でも、拠出に応じるべきというひとがいたでしょうから、そういう声をどのように出さない派のひとが対応したのかも、ぜひとも関係者の証言を探してほしいですね。まさか、当時の関係者がみんなしまった場所をなくしたわけではないでしょうし、もしかすると総意で隠したのかもしれませんけど、それはそれで一つの歴史の話でしょう。
もっと問題なのは、その後、長い間出さなかったのも理由はあったのでしょうからそれも明らかにしてほしいですね。合宿所はそれほど広いものではないでしょうし、建て替えなどもしているのでしょうから、これまで気が付かなかったというのはありえないと思いますけど。
もしかすると上記の隠したということがあるので、出せなかった、ということかもしれないと思います。こちらは関係者が経緯をしっているでしょうからきちんと話を聞いてほしいですね。
そういったこと抜きで昨年見つかってようやく今出してくるというところに、体育会のなんとも閉鎖的、かつまずい話は出さないという嫌な面をみたような記事のような気がします。新聞もそういう疑問抜きで、公式発表だけ書いていればいいのでしょうか?
ネガティブなことを書きましたが、むしろ、ぜひともこどもたちへは、サッカーをすることが禁じられたり、このようなカップを拠出させるようなことが戦争になると起こったことを教えて平和教育にしてほしいですね。
という話は抜きなのが今のサッカー界であるようにも思いますが。(反戦的なことをいっちゃあいけないみたいな風潮は日本のスポーツ界には強い、特にサッカーには強いように見えます)