2024-05-22

阪神コミュ障

既に広く知られた話ではあるが、阪神(大阪神戸までのエリア)では、エピソードトーク面白さが求められることがある。

※ここでエリア阪神に絞ったのは増田阪神出身からだ。他地域にも同様の文化があれば補足求む。

日常であった些細な話をしようにも、鬱陶しい人間に絡まれると「オチは?」とか言われる。現実出来事が常にオチるわけねーだろ、と思うが、口を開いた以上何らかのユーモアを含むべし、という圧力がうっすらとあり、それを抑制する力が働かないのが阪神だ。

こうして常に笑いを求められ、笑いが起こることでのみ承認される幼少期を辿った人間の数割がたどり着くのが、いわゆる喋りまくるコミュ障である

笑わせられない話者ゴミだと刷り込まれまくるので、他地方の人と話した時にリアクションが薄いと不安になり、盛り上げようと焦って更に多弁になる。相手の話す隙がなくなるほどに。

そしてもう一つ出る症状がある。それは真剣な話を途中で茶化してしまうというものだ。これは阪神に生まれ育ち、そのまま生きている人間の大半が当てはまる。

とにかく笑いのない話に耐えられない。途中で茶々を入れて、新喜劇的な明るい雰囲気に持っていこうとする。相手阪神のノリがあればいいが、なければ空気が読めないとか、最悪ハラスメントと言われることもある。

しかユーモア必要だが、それはあくま相手との関係性や空気感の上に成り立つものであって、ゴリ押し安易な茶化しからは生まれない。それでもやらかす。

阪神出身者でも、元々そういう風潮に対して一線を引いていた人や、他地方に出て対話をするということを学んだ人はそこまで重症化していないこともある。しかしある程度自分客観視できる人でなければ、ほとんどみんな対話ができない人になる。まるで喜劇を常に演じ続けているような、そしてこちらまでその舞台に引きずり込もうとするような、違う世界住民になっていってしまうのだ。

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