2023-12-09

遺書に書くことが無くなった

半年から週に3回くらいのペースで遺書を書いている。なんとなく「あー死にたいかもしれない」みたいな気分の日に書くことが多い。基本A4のノート手書きで書いている。

この習慣を始めた頃は、結婚を考えていた彼氏と別れたり、身内の不幸だったり、仕事で重い案件を任されたりと、色々重なってぐちゃぐちゃになった自分の頭と心の中を整理するつもりで書いた。

「これで衝動的にいつ死んでも、読んだ人には私が何を考えていたかわかってもらえる」ことと、「紙に書くことでちょっと落ち着く」ことの2点が続けている理由だ。

前者に関しては、自分的いつでも死ね状態の最低ライン=遺書があるなので、書くことで安心して社会に溶けることが出来る。

後者に関してはとっても単純であるが、紙に書くと誰かに話を聞いて貰えた気分になって、ちょっと前向きになれる。

書くことはまちまちで、具体的な生活での怖いこと・嫌なこと・逃げたいことや、もっと曖昧な、将来に対する不安とか自分可能性の上限とか、割と書く時によってまちまちである

体感的に前者より後者の方が頻度としては多くて、月の後半に差しかると顕著になる。

それでも秋の初めくらいまでは、仕事が嫌だとか社会のなんとなくの圧力が嫌だとかあの人と一緒にいたくないだとか、具体的なことがかけていたのに、最近はめっきり、書こうと思っても何も書けなくなってしまった。

その代わりに願望を書くことが増えた。家に帰りたいとか、こうえんにいきたいとか、もう1回学校に行きたいとか、おじいちゃんに会いたいとか、そんなことを書いている。

おじいちゃんには割と本気で会いたい。もちろんおばあちゃんにも会いたい。他にも会いたい人はいっぱいいるんだけど、今の私を見たらどんなことを思われるんだろう。私は会ったら彼らのことをどう思うのだろうと考えたり。

結局現実逃避して仕事に行くんだけど、今日は行けませんでした。こんな日もあるよねと思ったけど、多分この土日が明けても行けない気がする。

なんで死にたいとか思っちゃうのか、遺書をかけなくなってから本当に本当に分からなくなってしまった。「ちょっとさすがに厨二くさいか、、」とも思っていたけど、かけるなら書きたい。何も書けない。ただ漠然不安で寂しくて怖いだけになってしまった。

よく芸能人とかが自らを終わらせたことに対して、『この世界で生きるには綺麗すぎた』みたいなことを言っている人を見るけど、私は死んでいいほど綺麗かしらって思ってしまう。

もう何が書きたいかわかんなくなったし結局これも精神自慰行為しかないのかもしれないね

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん