これ滅茶苦茶に差別なんだよな。
人体に害がない悪臭は好みの問題でしかないわけで、その好みの問題に基づいて他人に評価つけること自体が普通に差別。
「黒人を見ると黒い人間が存在することに吐き気を覚えるので外に出ないで欲しい」と同じレベルの感覚。
でも世間では「臭いだけはしょうがないよね」みたいな風潮がある。
たとえば「韓国で空港降りると同時にキムチの臭いがするの最初マジでくせーよなwwww」は現代日本ではセーフだ。
現代人は文化的に成長してあらゆる差別を克服したみたいに言う人がいるが、全く微塵も克服できていない。
「『区別』をされても仕方がないレベルの異常さ」を定義することで「差別じゃなくて区別ですけど?」で逃げ切ろうとしているだけ。
JAXA共同通信がさんざんやりあっていた「さよなら失敗した失敗じゃない論争」と同じ。
言葉の定義をどんなに組み替えたところで「自分の好き嫌いに基づいて相手に何らかの査定を下す」のは紛れもない差別だよ。
美人はジロジロ見られても仕方がないは差別だし、声がキンキンする奴とは会話したくなくても仕方がないも差別だよ。
「人間の理想的な平均値」を勝手にでっち上げて、そこからズレている相手には「ズレているよね。だからその報いを受けても仕方ないよね。ズレないようにする努力が足りてないのだから」と生まれつきの特徴や老化や病気に由来する部分さえも差別の根拠とする態度があるなら差別だよ。
俺はこんなの完全に克服できる気がしないわ。
グレーゾーンの中で許されそうなグレーと駄目そうなグレーを空気に合わせて読み切って、それに合わせて行動変えるのを寿命が尽きるまで続けていくよ。