というのがあることが最近わかった。
大体のものは、できるよりできないほうがいい。
できるならもっとできたほうがいい。
子供の頃から秀でたものがないと思っていた自分はそう信じてたところがある。
しかし先日行われたチームのオンライン飲み会(まだやってるんですよ、ええ)で、その認識は改めさせられた。
チームに新しい人、Aさんが加入し、その歓迎会だった。
簡単な自己紹介などを済ませて、すこし和んできた頃、チームのなかではコミュ力のある後輩が、そのAさんに対して質問をした。
Aさんは気恥ずかしそうに「ヒップホップとかそういうのですよ」と答えた。
私も純粋に興味があったので、「ああ、頭で回転するやつですね!?」と聞いたら、それはブレイクダンスというらしく、ちょっと違うようだった。
わりとチームのみんなが盛り上がったからか、Aさんがとあるコンテストに出場したときの動画を見せてもらうことになった。
そのとき私が気になっていたことといえば、どうリアクションするかだ。
サッカーの点数のような明確な評価基準がなく、自分もよく知らないことに対して、うまくコメントができる気がしない。
特になんとなくうまくなかった場合だ。心から感動できたらもう少し簡単なんだろうが、大体そこまで感動するものではないだろう、という気もしていた。
リアクションへの不安80%と期待20%の中、画面共有で見せてもらったダンス、それは自分の想像を超えてきたものだった。
本当にうまかった。
よく知らないがBTSみたいなやつ?なのか、そういう類のやつだった。
ところどころ決めっぽいポーズがあり、その度に「おおっ!」とか「すげえ!」とみんなで言っていたのだが、
自分は次第にすごいと思う以外に、恥ずかしいという謎感情がこみ上げてきた。
うますぎて笑う、とかよくいうが、なんかうますぎてこっちが恥ずかしくなってきた。
それは自分ができないから、という自分に対しての感情ではなく、
そのかっこよさ自体に恥ずかしさを感じているのだと思う。
あれはいったいなんなのか。ダンスというジャンルの問題なのか。
なんかゲームが超うまくても恥ずかしくなる気もする。
小馬鹿にするつもりで見たダンスが思いの外レベルが高いものだった。 小馬鹿にするつもりだった 実際にはレベルが高かった そのギャップに元増田の心のなかで葛藤が生まれたん...