「キモい」という一言にまとまるレベルの「気持ち」が信念になっているからこそ、人の評価に左右されることなく、これだけ強い言動で示せて突き進められる。
原動力が拭えない不快感や怒りからの他害的な言葉になる経緯は不幸でしかないだろうが、この世の中でこういうゾーン状態でいつづけられるのは、ある種の羨ましさすら感じる。
他方で「キモい」は本来「一度言われたら一生引きずるくらい」強い暴力性をはらむ言葉なのに、形骸化し始めてきているように感じる。
まず、言われている方が「キモい」をもはや軽くいなされている印象がある。「(自分はキモいかもしれないけど)◯◯はキモくないの?」「(自分はキモいかもしれないけど)そんなにダイレクトに言わんでも。幼稚ですね。」「(仮にキモかったとして)それがあなたと関係あります?それよりも公金が…」みたいな。
これは現状「キモい」と言う側へのツッコミが多いばかりに「どの口が言ってる」なカウンターが圧倒的に多く「キモい」が埋もれている印象だ。
「キモくない!キモいって言うな!」と純粋にショックで、対抗してる人はそれに比べると少ない。
言っても効果がない人がいう状態が進むと「キモい」の暴力性が、相対的にどんどん薄まっていくと思う。
仮に「キモい」という言葉の暴力性を活用して、言われた側がキモさを自省し、キモいおじさんが減る社会を発する側が望んでるならば、言われた方が「ぼくたちはキモくない!」「やめて…(泣)」「もう生きていけません…」と強烈なダメージを与え続ける状況を作らなければ成立しない。本来的な、あるいはそれ以上の暴力性を帯びさせる人が唱えないと。「これはメラゾーマじゃない、メラだ。」というダイの大冒険の大魔王の様に、同じ魔法でも唱える人によって全然威力が異なる、大魔王級の発言者が必要だ。
…とまぁそこまでキモいおじさんに掛ける労力も、関心もないだろう。
「キモい」の暴力性がどうであれ、女子高生の陰口みたいな非対称な関係性で感覚的な「キモい」を合言葉に、そこを原動力に救われるべき女性を救う活動を延々と続けられるという方がしっくりくる。キモいの永久機関。これは強い。
売春おじさん、虐待おじさんがいなくなったとて、救いが必要な女性はゼロにはならんだろし、
仮に公金に不正利用が今後見つかったとして、それを方方からツッコまれても、さらなる「キモい」がつのってさらなる活動の糧にできるだろう。募りすぎて別の存在に進化するかもしれない。