これを書いている人間はLGBTの中でも、無性愛という、あまり他人に恋愛感情が抱けない人間です。
今日Twitterで話題になってる、偉い人たちの「道徳的にLGBTは認められない」「人間は生物学上、種の保存をしなければならず、LGBTはそれに背くもの」発言。
素直に「うわ、死のうかな。」と思った。憤りとか呆れとかでもなく。
LGBTの人間が全員そうなのかか分からないんだけど、少なからずとも自分の中でこれって普通じゃないな、おかしいなって思ってきたはずだし、一度は普通になろうとしてなれなかった人間だと思う。「生物としておかしいよ」って言われたら、何も返せない。親に孫を期待しているって話された、あの瞬間が一番きつかったりする。ふとした瞬間や他愛もない話で、追い詰められることがある。でも言わせてほしいんだけど、いつでも飛び降りれる崖に立っている私たちを、なぜこれ以上追い詰めるんだろう。これは道徳的に、認められているのか?
別にLGBT関係の法案が通ったとて、少子化は進むのだろうか。もし、明日同性婚が可決されたとして、今日まで異性が好きだった人間が同性を好きになるわけでもない。異性が好きな人はそのままで、同性が好きな人は大切な人と一緒にいられるようになる。それは、道徳的にダメなのか?LGBTについて声を上げてる人は、我儘でやってると思ってるのだろうか?国民の義務として、「教育」「納税」「勤労」に加えて「子の出産」とされているのか?
何故こんなことを酒を飲みながら半泣きで書いているんだろう。私だって両親に孫の顔を見せてあげたい、お世話になった人の笑顔が見れたらいい。信頼出来る人間と最期を共に出来たらどれだけ幸せだろう。でもそれが出来ない、その信頼できる人間は友人の枠を超えることはないから、子を生すことはない。
認められていないのは分かっている。おかしいのも、ちゃんと知っている。LGBTが認められたって、周りから奇異の目で見られるのは変わらないのだろう。ただ、少し楽に生きるために、少しだけ背中を押してもらいたいだけは、許されないのだろうか。