片側を急ぐ人のために空ける、という風習が日本に根付く前のことを覚えているのは、もうアラフィフ以上の世代だろうか?
自分はいわゆる団塊ジュニア世代なのだが、子供の頃、デパートとかに連れて行ってもらってエスカレーターをみると、みんなもっと詰めて乗ればいいのにと思っていた。
(当時は今ほどエスカレーターがどこにでもあるという時代ではなく、最寄りの駅や近所のスーパーにはエスカレーターはなかった。エスカレーターのある場所に行くのは、小学生にとっては、ちょっと華やいだお出かけだった)
地域にもよるようだが、自分の知ってる範囲では、まだ“片側空け”の習慣は根付いてなかった。
でも人はエスカレーターに詰めて乗ることはなく、左右それぞれ思い思いの位置に立ってる人が圧倒的に多かったのである。
二人連れだと、今度は前に一段も二段も開けて乗る。
これ、大人になって分かったのだが、人は赤の他人と横に並んでエスカレーターには乗りたがらないものなのである。
子供の頃は、自分は親と横に並んでのってたから、大人もみんな横に並んで乗ればいいのにと思っていたのだ。
まあ子供の発想なんてそんなもんだ。
(余談ながら、駅でタクシーに長い列ができているのに、一人一人タクシーに乗っているのをみて、“何人かで一台のタクシーに乗れば、もっと早く列が進むのに”と本気で思っていた時期もあった。
みんな行き先が違う、という単純なことに気づかなかったのである。思えば、色々観察して妙にことが気になる割に、頭の弱い子どもだった)
やがて、いつの頃からが、“海外では、急ぐ人のために片側をあけるのかエスカレーターのルールらしい。日本は遅れている”というような空気が世間に充満してきた。
今も昔も日本は“海外の最先端の風習”に弱いから、これはまたたく間に普及した。とくに法律や条例で規制したわけでも、マスコミが推進したわけでもなく。
どうせみんな、エスカレーターに詰めてなど乗らないのだから、みんな左側に立って、急ぐ人のためにあけておくなんて、なんと海外の人は合理的なんだ、これだから日本は…みたいなことだったと思う。極端にいえば。
やがて、“急ぐ方のために右側をお開けください”ってアナウンスするところもでてきたし。
そんなわけで、誰に強制されるわけでもなく、みんな“なんとこれは合理的なんだ”と感心して取り入れた風習なので、片側空けて片側は歩く人のためのスペースという現状を変えるためには、まあ一人幅のエスカレーターを増やすしか抜本的な方法はないだろう…
と思っていたのだが、先日東京駅にいったら、ホームの一人幅のエスカレーターがあって、でもみんなそこを歩いていたので、これは自分が思っていたより難問なのだなあと感じ入った。