ラジオ・テレビ・ゲーム・活字なら活字がダントツでデジタルだろ。
声や映像の情報は高い連続性を持っているし、そこに乗るファジーな情報だって多い。
声色やBGMだけでなく、タイミングや間といったそれ以外のやり方で抽象化できない要素が多分に含まれてる。
活字はとにかく離散的で、逆にそこが独特の趣を生み出すことがメインのコンテンツだ。
行間と呼ばれるものは、実際には全ての単語の隙間一つ一つに詰まっているし、その単語のうちどれを選択するかによって生まれる効果の影響は音として情報を載せられないからこそ強烈になる。
「一流の役者は、「はい」や「いいえ」だけでも幾万通りもの演じ分けが出来る」というが、活字は逆にそれが出来ないことによって生まれる情報の欠落を武器にしているところがある。
情報の離散性が高いことによって、隙間を想像する余地が生まれ、だが同時に離散性は残り続けることで、離散的な情報と連続的な情報の重ね合わせを生み出せる。
実際の所、我々が普段得ている情報も離散と連続の重ね合わせだが、多くの場合その順番は先に連続的情報を得てから認識を深くするために離散化している。
対して活字やドット絵の場合はまず離散的な情報が入ってきて、そこから脳が瞬時に連続的な情報を組み立てることによって2つの重ね合わせが成立する。
自然界とアベコベであることこそが離散性の高い情報伝達方式の強みなんじゃないのか?
故にネット回線越しに大容量で情報伝達が容易に行える時代であっても活字やドット絵を今でも熱心に愛する人がいるのでは?
という話がしたくて
「?動画やゲームって割とアナログな部分があるじゃないですか」
「え?」
「いや、最近のユーチューブとかってもう限りなく情報がアナログじゃないですか」
みたいになったんだけど、俺はどうすればよかったの?
整理すればするほど俺何も間違ったこと言ってなかったことが確信へと近づいてくんだけど
マジでキレそう
まあ、増田の言ってることは理屈として分かるんだけど、世間一般の感覚としては「デジタル」=「IT」、「アナログ」=「ITを使わない物」という感じなんだよね。 原義から言えば誤用で...