2020-12-10

家畜を食べる事に抵抗を感じてきた

元々肉が大好きで、むしろ野菜なんか食べなかった人間

ヴィーガンだとかベジタリアンだとか、理解できなかった。あんなに美味しいものを食べないなんて、と。

しか最近家畜を食べる事が可哀想だと思ってきてしまった。そう思ってしまったものは仕方ない。肉から遠ざかっている段階。そこまで意識的にやっているわけではない。たまたま目の前にある時は気にせず食べる。

何かを調べてこうなったわけでもないからこれがどういう属性カテゴライズされる主張なのかも分からないしただの個人的感情しかないけど。

植物も生き物だ。野菜を収穫する事だって残酷な事なのかもしれない。でも私としては植物に対しては同様の疑問を抱いていない。何が正しいのかはわからないけれども今の感情としてはそんなところだ。

程度の差なのだと思う。どこまでを許容してどこからを許容しないのかは。個々人の感覚

私は死にたいと思っている。だけど死なせてもらえない。でも家畜簡単に殺されて出荷されていく。

人間は生きるために家畜を育てて食べることをずっとやっていくだろうし、それを止めるための運動には私は興味がない。他人生き方干渉する権利が私には無い上に、人それぞれ自分のやりたい事をやった方がいいという考えのもとだ。

死にたいと思っている生物が、死にたいと思っていない生物を食べて生きながらえている矛盾

人間という階級にあるだけで日々生かされることが保証されているし、何だったらむしろ死んではならないと言われる。

家畜気持ちは分からないものの、可哀想と思う自分が日増しに強くなっている。

自分死ぬときにはただ焼かれて灰になるのではなくて、自分資源の一員として、何らかの形で捕食されたりリサイクルされたりするのが良いのかなとぼんやり感じている。

人間は生きたければ長生きできて、死ぬ時も死んだ後の亡骸を人間の思うままに処理されるのは我儘なのではないか・・・

死体を焼くのだって貴重なエネルギーを消費する。

それならば何某かのエネルギーになりたい。

でも、わからない。死に方については。今はこんなこと言っても結局普通に死ぬだけかもしれない。

少なくともこんな後ろ向きな人間家畜を食べる権利が無いと思っている。

こんな人間に食べられる家畜可哀想だ。

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