2020-09-18

他人と怒りの基準が違うことはとても生きづらいことである

私は前々から他人とは怒りの基準が違うと思っている。私自身、世間からバッシングされてる芸能人有名人などがいてもどうしても、「他人迷惑をかけてないなら良い」と思ってしまう。

 

具体的に言うと、実話と言いながら嘘の漫画を書いたり嘘のツイートをしている人たち。アンチから熱心に執着されて、ヲチスレまで立てられているが、そもそも嘘をついている時点で嘘を付くほど実生活は大したことないということだし、別にどうでもいいと思う。

それとは逆に、アイドルいじめ炎上した話や暴行事件を起こしたのに未だにテレビに出てる芸能人特に前者は明らかにいじめと思われるSNS投稿がされていたにも関わらず、「顔が可愛いから」という理由で今もファンに愛され続けているのに吐き気がする。年数が経てば世間いじめ事件なんて忘れるし、結局被害者が声を上げないと無かったことかのようになる。

子供に厳しいことで有名な某芸術家タレント発言に棘があるしどうして未だに世間では彼女を支持する人間一定数いてテレビにも出られるのかわからない。不思議だ。

結局、アンチスレが立っていたりアンチが長く定着しているのは、Twitterテレビで頻繁に見かけて、世間が気に入らないような身体的特徴(変わった顔)や人が羨むような生活環境、ファンが多い人間たちであって、具体的に周囲の人間迷惑をかけているような人間にはアンチがあまりついていないような気がする。

これだけじゃなくても、日常生活において、「別に人に迷惑をかけてないんだから良いじゃん」と思うような炎上騒動が多くてうんざりしてしまう。SNS自体向いてないかもしれないが。

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