もう何十年もまえだと思う。日本で「セクハラ」と言うものが認知され始めた頃の話。まだ当時の俺は小学生か中学生だった。
アメリカでは同僚の女性に「あ、髪切ったんだ」と言ったらセクハラで解雇された、と言う話がまかり通っていた。
今ではあんなのは都市伝説、嘘の話だ、いくらなんでもそんなのがセクハラになるわけない、女を馬鹿にしている!と言っている人がいる気がするが、当時は「欧米ではそれくらい深刻なんだ」という文脈でわりと使われていた気がする。
さて、当時の論点は「どこからがセクハラなのか」と言う線引きが必要なのと、それは果たして可能なのか?だった。
そりゃそうだ、話しかけただけでセクハラとか言われたらたまったものではない。
いろんな番組で男女交えて話していたのを覚えている。
そんな中で特に印象的だったのは、女性側(今となっては彼女らが何者かすらわからないが)の意見は「何がセクハラかは女性が決める!」と言う線引きだけを強硬に主張していたと言う点だ。
要は何かあった時にそれをセクハラと言って良いかの権限を女性に持たせるべき、と言う話だ。
どうやらこの主張は通ったと思う。社会人になってセクハラの線引きというのはついぞみたことがなく、セクハラは禁止、とだけ言われているからだし、今の社会でセクハラがどう問題になってるか見れば明らかだ。
こうして女性の好みや気分でセクハラと言える特権が誕生した。例えば女性弁護士が「福山雅治なら同じことしても許す」とかテレビで公言しても問題ない、お笑いで済ませられる位のものになった。
記憶ベースなのであれだが、おそらくあの時点で今の日本の男女の関係は始まったと思う。
何でこんなこと書いたかと言うと、最近恒例の女性が当時我慢しすぎた、もっと戦うべきだった、と謝罪してるのをちらほら見かけたからだ。
(男にふられたから彼に好かれるために伸ばしていた)髪切ったんですね的な言い方が問題になってたんじゃなかったっけ