信仰宗教とかそういったものはないけど、コロナはある種「ノアの箱舟」的な所があるんじゃないかと思ってる。
ペスト、コレラ、スペイン風邪のように、感染症の類は定期的に登場する、専門家でもないし調べたわけでもないけど、人口が増えすぎだったり地球に負荷がかかりすぎると、原因を取り除こうとして、人間で言う免疫力的なのが働いて、感染症が生まれるんじゃないか。って感じがする。
人の体と同じで、良いも悪いも攻撃させるから、善良な人も死ぬんけど、それはある意味平等ってことで。
今回のこの騒ぎで、自分は「死」について軽薄だなと感じた。
近いところでは、母親代わりになって育ててくれた祖母を亡くした経験があるけど、死に目に会えなかった事もあってか、2,3時間悲しみにひたって終わりだった。
このコロナで、例えば、父や親密な人とが死ぬってことになったら。というのを想像してみたけど、対して悲しくならなかった。
自分が死ぬことに関してにいたっては、何も思わない。強いていえば苦しみたくはないなー。と思うから、コロナで死ぬのはしんどいな。ぐらい。
志村けんがコロナで亡くなって、Twitterでは「泣いた」「悲しい」「帰ってきて欲しい」という声を目にしたが、世界では日々自分の計り知れない程の人が死んでいるのに。ただ、テレビでよく見る人が死んだ。ってだけで、そんなにも盛り上がれるのはむしろ凄いな。と思う。
コロナで重症化して死ぬかもしれない。って話がメディアで取り上げられる毎日で、全世界的に?お通夜ムードだけど、コロナ以前はアフリカの飢餓で死ぬ人達に危機を覚えていたのだろうか?先進国の自殺者数には?