札幌のコースが美しくないと言った芸能人がいたが、本当にそうかは置いて置いてもそう言うなら東京のコースは美しいんですよね?と思った。
ずっと同じようなビルであまり緩急も感じず、ごみごみしてて都会だけど、うーん、都会だねって感じ。
地元の人には地元の誇りや愛着があるからそういうの込みで美しい街並みというならわかる。地元だからわかる歴史や思い入れや季節の光景があったりする。
だったらなんでそれが他の土地の人にもあると想像できないんだろう。
田舎ですね、何もないですねと言われるのはまだわかる。事実だからだ。
それは個人のもつバックグランドで感じられ方が変わることで一方からの定規を当てはめて測るのは全国に放映するメディアとして乱暴ではないか。
そんなこと承知の上なのだろう。日本の報道やメディアはほぼ全てが東京基準なのだ。承知で当たり前に乱暴なのだ。暗黙に東京基準の美的感覚や価値観ではかられる。
全ての都民がそうだとは思っていないが、都会の人の中には土地が埋まってないのは恥ずかしいことという感覚を持ってる人が少なからずいる。
これまで経験したものをあげれば、コンビニの駐車場が広いのを馬鹿にしたり、駅前に土地が余ってるのを恥ずかしいと言ったり、そこまで露骨でなくても土地の使い方が勿体ないとかセンスないなどと言ったり。
何かそういう感性とマラソンが札幌になったあてつけが、都会に住むものの優越感を感じられる絶好の機会を得て、チャンスとばかりに札幌に降りかかっている、そんな風に思う。