そんな日が来ることは絶対にないと理解しているのに、信じることを辞められない。
信じることを辞められるかも知れないけど、そうしたらその一ヶ月後ぐらいには首を吊っている気がしてならない。
子供の頃からずっと願っていて、いつか叶うと思いたいけど絶対無理だろう思いそれでも願い続けていた。
人生は終わることのないレースで、休憩時間はあってもそれは未来に向けてエネルギーを養う速度を競うもう一つのレース会場であることに気づかなければよかった。
長い長い休みは、自分で計画を立てて未来を築き上げることが出来るかどうかを試す最も人生に差がつく期間なのだと知るのは死ぬ瞬間がよかった。
せめて自分に人並みのことなら簡単にこなせる能力があって、それなのに何でもソツなくこなせるだけの凡人として振る舞えたのなら、もっと力を抜いて生きられただろう。
実際の自分は極めて無能かつ能力や精神のバランスも歪で、人並みの事が出来ない時もある代わりに時として凄いことをやってのけるポテンシャルを秘めているかのように振る舞わなければ社会に居場所を持てなかった。
とても疲れる。
生きることそのものがとても疲れる。
ただ生きるだけのことになぜここまでコストをかける必要があるのかと悩むこともあるが、結局人類がまだまだ貧しいだけなんだという事に気づいて諦める。
富裕層に対して流れている金が全て平準化された所で、それは60億の下流階級を生み出すだけで終わる程度の富しか人類はまだ蓄えられていない事実を受け入れるしかないのだ。
何とか生きるために何とか自分の脳力を鍛えて、社会に適応できているかのような振りをしてその日その日を生きながらも、いざ倒れてもしばらくは死なない程度の金を何とか貰ってはいるが、正直そろそろ限界だ。
倒れ込みたい。
倒れ込んだあとで、起き上がらなければいけないと急かされることなくずっとずっと倒れていたい。
多分、ほんの数日だけでも「もう二度と頑張る必要はない」と思いながら過ごせたのなら、それだけでもう十年ぐらいは頑張れるのだろう。
だがその日は永遠に来ない。
たとえ植物人間になったところで、何も聞こえていないフリをしながら顔見知りが自分に対して吐きかける愚痴を聞き流すことに消耗していくはずだ。
終わらない眠りの中でも、もしも起きたら会社に遅刻する寸前だったり、家が火事で死にかけていたりするのではという焦りを日になんども思いついては憔悴することだろう。
疲れた。
本当に疲れた。
疲れることに疲れた。
疲れることに対して疲れることがなくなれば疲れなくなるのかも知れない。
人生が終わることのないレースだとすれば、 勝者とは誰か? 誰よりも早く駆け抜けた人? 誰よりも遠く走り抜いた人? ゴールした時に、自分で自分を褒めてあげられる人、それ...
みんな未到達で死ぬんだよなあ 夢は自分以外のすごい人たちが叶えてくれたので、思い残すことも余りない 自分の足でビリでゴールするのが目標になってしまったなあ ゴール会場はも...
勝ち負けというのがルールがある勝負の中限定の価値観に過ぎない
いきなり全否定するけど、そもそも人生はレースじゃなくて日々劣化してくボディで同じ日常を繰り返してくコントだから。
あなたはそう思うんですね。