2018-09-02

ネオリベリベラル、「成長可能性」と「同情可能性」

ネオリベは「成長可能性(andムダ排除)」に信仰心投資し、

リベラルは「同情可能性(andクズ排除)」に感情投資する。

投資するからには、当然、見返りを求めるし、見返りがありそうな物件しか投資しないだろう。

昭和の昔、自分がガキだった頃に、通っていた下町公立小学校

障害教育に携わっていた血気盛んな30代の男性教師が新たに赴任してきて

自分クラス担任になった。その教師は興奮しやすい熱血派で、女子生徒にも

容赦なく体罰(ビンタ)を行った。ある時は、クラス女子生徒全員を教室前の廊下

並ばせ、男子生徒へと同じ激しい強さのビンタを順番にしていった。その直後、

その教師勘違い女子生徒たちに非は一切無かったと判ると、すぐに反省謝罪

言葉を表明し、女子生徒全員から自分へ一人ずつビンタをしてもらい許しを請う、

というような感情の起伏の大きな人物だった。クラス全員の本心は計り知れないが、

自分が知っているかぎりでは、この教師を悪く評する生徒はおらず、むしろ強く慕っていた。

この教師は通常の学校に勤務するのが初めてで、『障害児たちは必死生活しているのに、

健康で何一つ障害も無い児童たちが不真面目なことに腹が立ってしょうがなかった』と、

後になってから、なぜあれほど最初の頃は体罰が多かったのかの理由を正直に述べた。

不出来な健常者(≒日本人)には腹が立ち、障害児(≒外国から移民)には同情心が湧く。

これが「リベラル」な人たちの偽らざる本音だろう。

  • リベラルってそういう教師一番嫌うと思うけど 体罰パワハラ悪平等の役満じゃん 逆にウヨい人たちはそういう熱血教師好きそう 刑事罰やらかしても減刑嘆願の署名集めたり

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん