なんというか、自分自身が感じる現実に対する現実味が、実際の現実にあわなかっただけなんだ。
人間、産まれてから死ぬまで、自分が持つ現実味を、実際の現実と折り合いつけながら、生きいていくことしかしていない。
ただ考えすぎるだけじゃ生きていけない。
考えてどう活かすなんて、どう納得していくかなんて、一人ひとり思っていることが違って、
いい折り合い方の傾向を、自分の感覚で、うまく掴みながら生きていく。
考え込んでしまう自分もまた多様性の一部とすれば、そう合ったっていいじゃないか。
大学に入って、自分の窮屈さを知るため、適当に読書したり、派遣のバイトをいくつかやってみたりしてみた。
結果どうやらこう考えて生きる人は少ないらしい。
いてもおおっぴらにしてないだけ、こっそり生きいている。
親しくなった人も、ごく一部を除き、
なんかもう最近は吹っ切れてきた。
どうせ死ぬ自分の存在なんてさっさと振り切るべきだ。というのはちょっと言葉足らずで、
それを解決していく暇つぶし。それ以上でも、それ以下でもない。それでいいじゃないか。
もう結論は出たし、なんかやってみよう。
今思えばしイテテテテと思うが当時は必死だった。
若さゆえの思い込みすぎというか、観覧車でプルプル震えてることしかできなかったという感じかなあ。
よく死ななかったなあと思った。
もともと考え込む性格だったけど、
もっとマシな方向見ろよと言いたいが、
とかく今は元気(?)にやってます(誰あてだよ)