2018-08-15

大学時代に書いたうつ日記の終わり頃が出てきたので貼る

なんというか、自分自身が感じる現実に対する現実味が、実際の現実にあわなかっただけなんだ。

人間、産まれから死ぬまで、自分が持つ現実味を、実際の現実と折り合いつけながら、生きいていくことしかしていない。

ただ考えすぎるだけじゃ生きていけない。

考えてどう活かすなんて、どう納得していくかなんて、一人ひとり思っていることが違って、

勝手に生まれ勝手死ぬ自分は一人の人間しかない。

いい折り合い方の傾向を、自分感覚で、うまく掴みながら生きていく。

考え込んでしま自分もまた多様性の一部とすれば、そう合ったっていいじゃないか

ただ自分不快感情を消化して、楽しいことをして死ぬ

大学に入って、自分の窮屈さを知るため、適当読書したり、派遣バイトをいくつかやってみたりしてみた。

結果どうやらこう考えて生きる人は少ないらしい。

いてもおおっぴらにしてないだけ、こっそり生きいている。

親しくなった人も、ごく一部を除き、

普通に生きてる人らしく、相談しても聞く耳を持たなかった。


なんかもう最近は吹っ切れてきた。

どうせ死ぬ自分存在なんてさっさと振り切るべきだ。というのはちょっと言葉足らずで、

そう認識する自分はどう生きたらいいか考えるんだ。

それを解決していく暇つぶし。それ以上でも、それ以下でもない。それでいいじゃないか

もう結論は出たし、なんかやってみよう。






今思えばしイテテテテと思うが当時は必死だった。

若さゆえの思い込みすぎというか、観覧車でプルプル震えてることしかできなかったという感じかなあ。

よく死ななかったなあと思った。

もともと考え込む性格だったけど、

親がが癇癪持ちかつ自殺たからね。

余計に不安の方向に行ってしまったと思う。

もっとマシな方向見ろよと言いたいが、

過ぎたるはなんとやら。しょうがいね

とかく今は元気(?)にやってます(誰あてだよ)


まだ若いので楽しく生きることを忘れないようにしたいと思います

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