そもそも既にこの世界には「役立たずはさっさと死ね」と直接・間接的に語る言葉がこれでもかという程溢れきっているじゃないか
この世界には自分の役にたたない人間の存在そのものを拒絶する奴らの声で溢れているんだ。
たとえば、大多数の人間はゴキブリを見たら咄嗟にゴキジェットを持ち出してぶっ殺すよな。
大多数のみんながそうするってことは人間は「自分が不快感を持っていて、自分にそれを排除する力がある存在がいたら、積極的に排除を行う」という行動原理を持ち合わせているということだ。
容赦ないぞ。
俺の役に立たないなら、俺にとって目障りなら、死んでしまえ、せめてここからいなくなれ。
それを容赦なく投げつけあっている。
そうして他で目障り扱いされながらでもどこかにそうならずに生きていける場所なんて、それこそ自分の部屋の中にしか無い。
セーフティーネットが実体化したような空間ですら、ぎゅうぎゅう詰めのシェルターみたいに「お前は俺よりまだ少しは健康だ。ここから出て裸足で少し遠くのシェルター(そんなもの実際にないとしても)まで行ってこい」という形態で排除の言葉が突きつけられる。
「いなくなれ」とはそれ単体では「死ね」にはならない。だからこそ恐ろしいことを知ってほしい。
「いなくなれ」はそれぞれが四方八方から集まることにより死ねとなる。
広い空間にバリアが一枚貼られただけならそこから離れればいい。
だが、四方八方をバリアに囲まれ、それが少しずつ迫ってくれば……いつかは押しつぶされて死ぬしかなくなる。
バリア一つ一つでは圧殺を行えないから、バリアによる圧殺を行った奴らに当事者意識はない。
そして、この世界には既に無数のバリアに囲まれて既に半分体を押しつぶされながら死を待っている状態の人間が大勢いる。
まだ体は押しつぶされてないが足の踏み場は既に失われた人間ならいくらでもいる。
排除され続け、居場所なんてどこにもない状態の人間が無限大にいる中で今日もどこかで「目障りだ」→(「いなくなれ」)→(「死ね」)が飛び交っている。
でもいちいち全ての人間を救っている余裕なんて今の人類や個々人にはないのはわかってる。
野良犬に対して「ごめんね。うちでは飼えないんだ」と語るのは仕方がないことだ。
でもそうしているうちにいつかはどっかのクソガキにモデルガンの的にされて苦しみながら死ぬことになる。
それと同じでいいじゃないか。
ほんとこれな、自殺まで追い込むのはセーフだが安楽死は反対って連中おおすぎ