2018-07-26

安楽死どうこうは他人死ねと言っているに等しい」みたいなブコメ

そもそも既にこの世界には「役立たずはさっさと死ね」と直接・間接的に語る言葉がこれでもかという程溢れきっているじゃないか

そこから裸足で逃げ出すための選択肢としての安楽死だぞ。

この世界には自分の役にたたない人間存在のものを拒絶する奴らの声で溢れているんだ。

たとえば、大多数の人間ゴキブリを見たら咄嗟にゴキジェットを持ち出してぶっ殺すよな。

大多数のみんながそうするってことは人間は「自分不快感を持っていて、自分にそれを排除する力がある存在がいたら、積極的排除を行う」という行動原理を持ち合わせているということだ。

それは平気で人間同士にだって向かってくる。

容赦ないぞ。

俺の役に立たないなら、俺にとって目障りなら、死んでしまえ、せめてここからいなくなれ。

それを容赦なく投げつけあっている。

そうして他で目障り扱いされながらでもどこかにそうならずに生きていける場所なんて、それこそ自分の部屋の中にしか無い。

セーフティーネット実体化したような空間ですら、ぎゅうぎゅう詰めのシェルターみたいに「お前は俺よりまだ少しは健康だ。ここから出て裸足で少し遠くのシェルター(そんなもの実際にないとしても)まで行ってこい」という形態排除言葉が突きつけられる。

この世界はいくらでも既に「いなくなれ」が溢れている。

「いなくなれ」とはそれ単体では「死ね」にはならない。だからこそ恐ろしいことを知ってほしい。

「いなくなれ」はそれぞれが四方八方から集まることにより死ねとなる。

言ってしまえばバリアのようなものだ。

広い空間バリアが一枚貼られただけならそこから離れればいい。

前と後ろから挟み撃ちにされただけなら横に逃げればいい。

だが、四方八方をバリアに囲まれ、それが少しずつ迫ってくれば……いつかは押しつぶされて死ぬしかなくなる。

バリア一つ一つでは圧殺を行えないから、バリアによる圧殺を行った奴らに当事者意識はない。

そして、この世界には既に無数のバリアに囲まれて既に半分体を押しつぶされながら死を待っている状態人間大勢いる。

まだ体は押しつぶされてないが足の踏み場は既に失われた人間ならいくらでもいる。

排除され続け、居場所なんてどこにもない状態人間無限大にいる中で今日もどこかで「目障りだ」→(「いなくなれ」)→(「死ね」)が飛び交っている。

「目障り」とは「死ねである

「ここはお前の場所ではない」とは「死ねである

拒絶とは究極的には相手の死を望む行為である

でもいちいち全ての人間を救っている余裕なんて今の人類や個々人にはないのはわかってる。

野良犬に対して「ごめんね。うちでは飼えないんだ」と語るのは仕方がないことだ。

でもそうしているうちにいつかはどっかのクソガキにモデルガンの的にされて苦しみながら死ぬことになる。

から保健所が引き取って安楽死させる。

それと同じでいいじゃないか

人間だって

既に「死ね」なんていくらでも口にし続けてきておきながら、今更「僕は一度も言ってないんだけど」といった態度は見苦しいぞ。

  • ほんとこれな、自殺まで追い込むのはセーフだが安楽死は反対って連中おおすぎ

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