2018-06-29

「正当な批判」と「いじめ」について

「正当な批判であるからいじめではない」という意見について、あまりしっくりこないのは、「正当な批判」と「いじめ」の定義もしくはそれを分ける基準を明確に示さないからだ。

基準を示せば、個別具体的な事象に対してあてはめを行うことで一貫性を保つことができる。

しかし、基準を示さないのであれば、例えば、それを「言っている人」によって「正当な批判であるか「いじめであるかを判断するというような、不適切定義基準によって判断しているように見える場合がある。

特定個人が常に「正当」であることは難しく、時には誤ることもある。

であれば、「正当な批判であるか、「いじめであるかを一定基準にのっとって個別具体的な事象にあてはめて判断しなければ、ダブルスタンダードに陥る可能性はあるだろう。

そして、ある個人が常に正当であることは難しいのだから人物レベル評価するのではなく、具体的な言動レベル評価することに意義があるのではないか

○○は基本的には正当な批判をしているが、この言動に関してはいじめに該当するということが、基準定義を定めることでいえるだろう。そして、いじめに該当すると判断したのならば、それを煽ることなくつたえるのが理想なのだろう。

ただし、これらの定義を多人数で共有するのは難しい。それは価値観によって変わるからだ。

から、このような「正当な批判」や「いじめ」といった、価値観によって定義基準が変わる言葉を使う際は、自らの定義基準及び価値観を示したうえで使うことで、「いや、それはいじめ(正当な批判)だ」という批判はありうるが、それは価値観の違いであるということを示せる。

そして、もしある人が過去に示した定義基準に従わなずに○○がやった行為は「いじめ(正当な批判)」であるといったときに、指摘できる。ただし、この時も煽ってはいけないだろう。

自分が以前といっていることが違うなんて言うことはいくらでもあり、それは故意ではない場合も多いからだ。

その時に、指摘された方は、その指摘された言動が誤っていたのか、それとも定義基準が誤っていたのかを考え、訂正や、考え方のアップデートを行えばよい。

煽られる危険性が極めて高いというのが、現在はてなブックマークに対する印象であるため、上記のような基準を明確に示したくはないという気持ちもわかるが、その場合意図せずダブルスタンダードであるといわれる可能性も出てきてしまう(自分の中では一貫していても他者から見ると一貫性がないように見えてしま可能性がある。)

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