2018-05-25

尊さを「着ていく」という感覚への気付き

最近とあるマンガがキッカケで百合の沼にハマってしまった。

対象とする性別こそ違えど、つづいさんのムーブがよくわかる。

今までの人生百合に興味はほとんどなかった。

一応ゆるゆりリアルタイムで追っかけてたけど、

どちらかというと苺ましまろの延長線上みたいな感じだった。

もちろん、百合BL嫌悪感を抱いているとかではまったくないのだが。

イマイチピンとこないでいた。

(ここで百合BLを同列に並べるのはなぜ?と思った人は鋭い。

この後すぐ述べるカップリングのことを俺は殆ど少年愛だと思っている、その現れということだ。

詳しくはいつか書こうと思う。)

わたモテゆりもこに出会って俺は変わったんだ。

変われたんだよ。

そんで思ったんだが、尊さってのは不思議感覚だな。

波がある。

その日その日にフィットする尊さがある。

もう今日は尊くてしかたがないです、すみません許してください。

そして想像上の他者におのれのゆりもこ妄想を頭の中で語り続ける、

そんな日もあれば、

洗濯や皿洗い、部屋の掃除など何気ない日常動作にこの尊さを折りたたみたい。

折りたたむ感じで日常のあれこれをやっていきたい。

そんな日もある。

あるいは、なぜ俺の年収はこんなに低いのか、あるいは人間関係を今後どうすれば、

そんなはたから見るとお笑いごとだが、

あくま自分にとっては深刻な問題の傍らに尊さを置いて置きたい、

そんな日もある。

なんというか、感覚的だし飛躍しているのは百も承知だが、

その日その日の尊さを着て歩く、服を着るみたいに。

そんな感じなんだよな。

俺はオタク系の文化はほぼ引退した身なんでよくわからないんだが、

こういうのは「あるある」なのか、それとも変な感性なのか。

それが気になった。

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