ここ最近、都内某所に引越しをしてから居留守を行使される恐怖に打ち震えてつつも引越しの挨拶をしてきました。
一階の角部屋だったので真上とお隣さんに挨拶がてら粗品を手渡そうと電気が付いているのを確認してからピンポンしたんだけど見事に撃沈。箱を開けないと存在を観測できない猫みたいなものだと自分を納得させてその場は引き返したけど、結局二度目の訪問なんてするつもりは始めからない。
個人的には挨拶回りを済ませて打算的にも形式的にも自己満足したいだけだって自覚はあるけど、それ自体はどうなんですかね?
こちらとしては心臓バクバク言わせながら勇気を出してるわけで、当然のことながら自己満足に道理はないんだけど目の前で居留守使われたら不気味だし悲しくもなりますよ。だからお互いの自由意志を優先するのは前提として、これから物音やらで迷惑をかけるかもしれないわずかな関わり合いを挨拶回りというカタチでバランスをとっておくのは無しなのかなって疑問に思いました。
捕捉として書いておくと、私自身が訪問される立場だったら却って迷惑だと思ってしまう。
だって面倒くさいし、そういうのって他人の足引っ張るだけじゃないですか。迷惑に感じる人とそうじゃない人がいて、それをする必要性が無いのなら、わざわざ迷惑をかける方を選んだら嘘になる……というのが根底にある価値基準で、それでもお行儀のいい方を感覚的に選んでしまうのが私なので今回は挨拶回りを決行しました。
そんなわけで誰も反応してくれないから寂しいし悲しい。
だってピンポンしたのが引っ越してきた新しい住人かどうかなんて、分かんねーもん 予定もないのに突然やってきた訪問者としか分からない 警戒してたら居留守使うのもやむなしと思う