2017-11-21

すべてのハラスメント政治闘争である

世の中にある「ハラスメント」に「正しい」とか「正しくない」とかは無い。

例えばエロ部長が、新入社員女の子のお尻触って

「よ!」とか挨拶したら今じゃ大問題だけど、

昭和であれば普通であった。

昭和初期なんかでは、結婚後に処女じゃ無いことがばれた妻が

新聞投書欄で大いに断罪されたりしていた。

なんか、その光景って今の不倫叩きに本当にそっくりだ。

その逆に当時は男性不倫は男の甲斐性くらいだった。

タバコだって職場で吸うのが普通で、

嫌煙家なんてまったく無視されていた。

エロだって、今見ても大してエロくも無い官能小説

過度に性的である表現規制された。

タバコの煙だって、婚前のセックスだって

エロい文章だって不倫だって事象は何も変わって無い。

社会コンセンサスが昔と変わっただけの話だ。

タバコの煙を嫌う人が、男性女性も婚前にセックスしても良いと思う人が、

文章検閲を嫌う人が、不倫は悪いと思う人が、

行動したために世の中が変わっただけの話だ。

私の「良い」は誰かの「良く無い」であり、

誰かの「良い」は私の「良く無い」である

タバコの根絶を強く訴える人は、

自分の大好きなお酒が次に糾弾されるかもしれ無い。

不倫烈火のごとく怒る人も、

社員を使い潰すブラック経営者かもしれない。

みんな、自分の嫌いを人に押し付けて、

自分の良いを人に認めせようとして戦う。

そして、往往にして

「○○は許せ無い」は「○○でもいいんじゃないの?」

より強いため、世の中にはいろんな人たちの「嫌い」の総意が形成されていく。

個人的には、そういう「嫌い」が蔓延する世の中にはなってほしく無いと思う。

ゆるく、嫌いな人同士が触れ合わ無いような社会にならないものだろうか。

まあ、それさえも「嫌い」という思いになってしまうのだけど。

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