非対称なコミュニケーションしかできない、ということに最近気づいて悩んでいる。
今思えば、育った環境にそのようなコミュニケーションを取る人間が多かった。
双子の兄弟がいた。一般的な双子は気の置けない間柄であると思われることが多いようだが、
私たちの場合は違った。小さい頃は、互いが常に相手より上の立場でないと気がすまなかった。
人を小馬鹿にするような、常に上から見下すような接し方を、私たちは父親から学んで、兄弟でそれを増長させた。
兄弟間の異様なコミュニケーションのプロトコルは、普通なら小中学校で矯正されるべきところであるが、
私の場合に関しては、治ることは無かった。
だいいち、矯正を施されるほど、同級生と深く喋らず、仲良くもならなかった。
いくつかの能力に運良く恵まれていたこともあって、友人を作るとか、人当たりを良くするといった努力を経ずとも、
クラスの中心では無いにしろ、得意な分野に関わる範囲、ほんとうに狭い輪の中では誰よりも卓越して、尊敬されることができた。
ある程度年をとると、関わる世界が広がってくる。
私が得意であることにはいくらでも上がいて、大したことではなくなる。
それ以前に、何かに秀でているということが、小さいときのそれほど絶対的な評価を得ることが無くなったように思う。
会話を、自分が上から目線で気持ちよくなるための手段としていた私は、
必然的に口数が減った。
対等なコミュニケーションのために何をすれば良いのかも分からないし、
誰かと喋っても、居心地の悪さばかり感じるようになった。
私も人を避けるし、他人も私を避ける。
治したいなあ。
みたいな経験がしたい。
一人では、こんなにつまらない自分だけでは、この先生きることもできない。
どうすればいいんだろう。
別に人付き合いに向いてなければ一人で生きて一人で死ねばいいんじゃないの
対等が無理なら負ければいいじゃん