2017-09-23

マウントを取らないと会話できない

非対称なコミュニケーションしかできない、ということに最近気づいて悩んでいる。

他人と対等になれない。上か、下かしかない。

今思えば、育った環境にそのようなコミュニケーションを取る人間が多かった。

双子兄弟がいた。一般的双子は気の置けない間柄であると思われることが多いようだが、

私たち場合は違った。小さい頃は、互いが常に相手より上の立場でないと気がすまなかった。

父親の子供への接し方がそうさせていたような気がする。

人を小馬鹿にするような、常に上から見下すような接し方を、私たち父親から学んで、兄弟でそれを増長させた。

兄弟間の異様なコミュニケーションプロトコルは、普通なら小中学校矯正されるべきところであるが、

私の場合に関しては、治ることは無かった。

だいいち、矯正を施されるほど、同級生と深く喋らず、仲良くもならなかった。

いくつかの能力に運良く恵まれいたこともあって、友人を作るとか、人当たりを良くするといった努力を経ずとも、

クラスの中心では無いにしろ、得意な分野に関わる範囲、ほんとうに狭い輪の中では誰よりも卓越して、尊敬されることができた。

尊敬されるというのは非対称である

ある程度年をとると、関わる世界が広がってくる。

私が得意であることにはいくらでも上がいて、大したことではなくなる。

それ以前に、何かに秀でているということが、小さいときのそれほど絶対的評価を得ることが無くなったように思う。

会話を、自分上から目線気持ちよくなるための手段としていた私は、

必然的に口数が減った。

対等なコミュニケーションのために何をすれば良いのかも分からないし、

それを楽しいと思う感性を育てることにも失敗した。

誰かと喋っても、居心地の悪さばかり感じるようになった。

私も人を避けるし、他人も私を避ける。

治したいなあ。

人と対等な関係に立って、一緒に遊んだり飲んだりして、

くだらない話題で笑って、心の底から楽しい

みたいな経験がしたい。

一人では、こんなにつまらない自分だけでは、この先生きることもできない。

どうすればいいんだろう。

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