高校生の時、二人の女の子と付き合った。僕は手を繋ぐのが精一杯で、自分からキスしたり、ましてやそれ以上のことをするなんて無理だった。
二人とも、僕のことをすぐ振って、他の男と付き合い始めた。奥手な自分に不満を持ったのだと思った。
大学に入って、彼氏がいる女の子のことを好きになってしまった。彼女のうちに呼ばれて、デートレイプまがいのことをしてしまった。もう二度と会ってはくれないだろう、警察に通報されて当然だ、と思った。
ところが、数日後にまた会う約束ができた。それどころか、彼女の態度は見違えるように自分への好意を示すようになっていた。結局、その子はそれまで付き合っていた彼氏を振って自分とつきあってくれた。わけがわからなかった。
その子と別れた後、二人の女の子を好きになった。その子たちとも二人きりになるチャンスがあったのだけど、相手が嫌がったので何もしなかった。デートの最中に性的な行為を強制することがデートレイプと呼ばれることを、僕はもう知っていた。
彼女たちは僕と付き合ってはくれなかった。それは仕方ない。でも、彼女たちは後になって、僕を意気地なしだと言って嘲笑した。わけがわからなかった。僕はジェンダー論の本に書いてある通り、倫理的に行動したのに!
大学生活も後半に差し掛かったころ、僕はさびしさに耐えかねて、またデートレイプまがいのことをしてしまった。かつてと同じように、女の子は突然好意を示し始め、僕とつきあってくれた。
わけがわからなくて、すぐ振ってしまった。ほんとにひどいことをしたと思う。
大学を卒業してから、誰とも付き合っていない。寂しくて仕方がない。でも、女の子に振られるのは耐えられても、好きな人に嘲笑されるのは耐えられない。
デートレイプをしない男性のことを、意気地なしと言って嘲笑する規範は、男性だけのものではないのだと思う。もちろん、デートレイプはみんなに当てはまる道徳としては是認できないものだし、性について真剣に考えている女性たちは、そんな規範を肯定してはいないだろう。でも、現実として、デートレイプをしないと僕は愛してもらえない。
"No means no"は正しい規範だ。だから、僕は愛されないまま行きていくしかない。そのことに異論はないのだけど、どうしても僕は、恋愛工学にはまってしまう男たちのことを心からばかにすることができないのだ。彼らは、男性の欲望によってだけ生み出された存在なのだろうか。彼らは、そして僕は、ずっと救われないまま生きていかなくてはいけないのだろうか。
追記:(わかるように書いたつもりですが)相手の態度が変わったのは、いずれも後日の話です。事後には二人とも怒っていました。
あと、「デートレイプまがい」と書いたのは、私のした行為が強姦罪を構成するものではないからです。これ以上は詳しく書きません。
デートレイプって具体的にはどういうことしたのよ どうせ匿名日記なんだから詳しく書きなさい
わかる。 相手が断ろうとしているのにかなり強引に迫ってしまって、ああこれでついに嫌われたな、と思っていたら、数日後相手の方から言ってきたことがある。 つい先日の話。