デスクの横、1〜2人で使っていたゴミ箱が撤去された。経費削減なのだそうだ。複数部署の共用スペースにある分別ボックスに捨てろという。
職場のあるオフィスビルのフロアは広く、このフロアには200人からが詰め込まれている。だのに共用ゴミ箱は3カ所のみときた。
おわかりのように、ゴミは随時出る。待ったなしである。仕事の反故紙以外でも、弁当ガラ、菓子の包み、消しゴムカス、鼻をかんだ紙、使い切ったボールペンの替え芯、届いた資料の封筒、使用済み緩衝剤、折れたフリクションボールペン、使い切った目薬、こぼしたお茶を拭いた紙、切れた輪ゴム、二度と会わない人の名刺……。
人は哀しくもゴミを生みだしつづける生き物である。いちいち立って歩いてゴミ箱まで往復する時間が惜しい。席でものを食っている時点で余裕などないんだふざけんな。
それで私費を投じたミニゴミ箱とか、懐かしの折り紙小箱とかの登場となる。ところで、経費削減に励んでいる職場なので、ゴミ箱の消失と、頂戴するノルマは表裏一体ということはおわかりいただけることと思う。書類もゴミもとどこおりなく倍増につぐ倍増である。
やがて細かなゴミは床に落としてしまえとなる。どうせ掃除機をかけるのだ。無問題。
大きなゴミも取り分けたまま足元の書類の山に紛れる。空きデスクに所属不明の紙の山が積み上っていく。でも目の前のデスクから消えさえすれば差し支えはない。無問題。
なるほど、これは中国の食堂式である。あれはあれで個人の時間の効率化をはかる合理性をもっていたということだ。
食堂式職場はこのままアジアらしい雑然とした空気を生みだし、自他の区別を浸食し、要不要をあやふやにして、人が変わろうとも自らの歴史を語ることのできる地層を築いていくのだろう。それはまるで、昔観たあのエスエフ映画のような光景ではないだろうか。
7月くらいからクソ忙しくなったのでネットを見る暇がなくなった。 なのでせめて集めてたやつだけでも貼っておこうと思う。 短めのやつ ■もしも家の近くに保育園が出来たら anond:2016...