同じ日本に生きて、学生時代、同じ学校で学ぶ学友。この時はまだ差違は大きくない。…大きく異なっていく片鱗は既にあったとしても…。
そしてその後の人生は大きく其々バラバラに異なっていく。あるものはごくごく大多数と同じように平凡に生きる。つまらないかもしれないが、大きな衝撃というものはなく生きていける。
平凡な日常に於いてのみ通用する現実的と言われる常識を根底に持ち、その価値観で世界を眺めている。とてもホッとする様な居心地の良い窮屈な世界観だ。
しかしある者は、何度も死線をかいくぐらなければ生きていけない人生を歩む。衝撃的な事件が何度も自分を襲い、少しづつそれも当たり前になる。慣れ(適応力)という能力は素晴らしいものだ。誰にでもあるが、最大限に発揮する人と発揮しない人がいる。
1日1日心が変わる。1日における心の変わり様は、ホンの少しかもしれない。しかし、それが100日も積み重なると、中身は、もう別人といえるほど変わってしまう。
私が知っていた、〇〇さんでは無くなってしまっている。だから、コミュニティ内では出来事を共有していないと、心変わりによって摩擦も生じていく。
人格の変わり様に付いていけない側は、あいつはおかしいと非難して、小学生の頃の話を持ち出す人もいる。また、急激に成長する自分を理解しつつ、周囲と会話が会わなくなっていく焦りを感じて周囲に出来事を共有しようと画策する。けど失敗に終わり諦めていく。別次元、別世界を生きる人間が、同じ空間に存在する不思議。
しかし、それも受容できるほどのコミュニティーがあれば理想なのかもしれない。あるものは時間の流れがゆっくり進み、あるものは高速に進む。そうした者が、同じ空間を生きているのだと、お互いが理解し会えたら良いなと思う。
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光と闇が濃厚に現れる人生は後者だが、その光を前者の人間には眩しく見えるようだ。死線を掻い潜ってきたから光る光だが、こうした光を持っていないと悩み苦しむぐらいなのだから、人間は安全よりは、戦場に赴きたい生き物なのだろう。