2016-01-12

疲れたのでちょっと書く

今日した事 警察への相談

今日警察相談電話という所で、話を聞いてもらった。その結果「あなたは殺されたと表現しているが生きていますよね」、「時効という事があって、犯罪ごとに罪を問える時間がきまっています。それを過ぎると警察でも裁判所でも罪を問う事はできません」、という事を教えてもらった。

私は確実に死ぬ手法を使って「殺される」という経験をさせられた。生きているのは幸運と、あまりの身勝手さに一時的正気にもどった激怒の結果だ。そこにあったのは身勝手理屈による自殺殺人だった。

それでも。何が有ったのかを知られない様に、ほとんど何も考えられない状態になった私が普通人達と接触出来ない様に隠してしまえば、酷い状態で殺されかけた事を訴えられない状態に押し込んでしまえば、犯罪時効になるので罰せられる事が無い、という事らしい。


私の場合、殺される恐怖を克服できたのは最近で、時効が成立していた。つまり自分職業的な知識を使って私を数度にわたって殺そうとした男、自分の手で不倫の相手との生活邪魔になる私のおなかの子どもを殺した男を罪に問える手立てはない、という事なのだその男は私を何が有ったのかを話す事も出来ない状態に追い込んだことで、自分のした事の責任を何一つ問われる事無く平然と医者として生きている。

弱い人間は好き勝手をする人間に踏みつけられるだけで、非道仕打ちを訴える手立てさえないのだな。

ごめん。書いて自分の中から押し出ししまわないと、息が出来ない。もう生きている為の力はあまり残っていないから、その酷さを少しここに書くことにする。警察相談担当の人は、状況が特定される様に書くと、あなたが罪に問われる可能性があるから、書かない方がいいといったけれど、自分が何をされたのかを書くことで罪を問われるなら、仕方がない。

平然と何食わぬ顔で社会の中に紛れ込んでいるその男がした事が、法律で罪に問えないから「無かった事になる」わけではないと、踏みつけられた女は思う。お前に何ができるとせせら笑った男が、読む事はないだろうけれど。

私はそれを書く事にする。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん