父と母はごく一般的(当時で考えると平均より上かもしれない)な教育を受けた人たちで、彼らが子どもに理不尽な扱いをしたことはなく、普通の家庭だった。
ただ、貧乏だった。
父は中小企業の会社員だったがリストラになり、バイトや契約社員として職を転々としていた。
母は(元から外で働くのが好きな性質ではあったが)働きづめだったし、悲観的になり、ことあるごとに愚痴っていた。
思い返せば、小学校や中学校、高校のクラスメイトで自分より貧乏な家庭の生徒は数名いただろうし、さほど不自由のない生活を送ったと思う。
ただ、母の言う「うちにはお金がないんだからね」という言葉が刷り込まれ、とにかくうちは貧乏なんだと強烈に、実際以上にそう思っていた。
裕福なクラスメイトと比較しては両親を呪い、とにかく金が欲しいと思っていた。
父のようにリストラにあいたくないという思いがあり、母は高卒で働くように言ったが、学費の安い国公立の大学に進学し、専門職についた。
安定的な収入を得られ、子どもの頃は小遣いなど貰っていなかったので、自由に使えるお金があるということに感動した。
先日友人と飲んでいてふと、友人にはいかに高額な製品を買ったかどうかを自慢している自分に気づいた。
それらは本当に大したことのない、友人が買おうと思えば買えるようなものだ。ただ、友人はその製品に対してその金額を出すのが妥当ではないと判断して買わないだけだ。
結局のところモノが買えるようになったところで、他人に羨ましがられないと、金を出したことに自分の中で納得できないのではないか。
本当に欲しくて悩んだ結果購入し、満足しているのであれば自分の中で完結し、他人に自慢する必要なんてない。
金への歪んだ執着が、浅ましい行為をしているようでぞっとする。いつ金への執着がなくなるのか。
周りの人間は自分のような金への執着は無く、おっとりしていて、育ちが良いのだろうなと思わせる。
まさにその通りだと思う。
難しいこと考えるなよ。 自慢するために使えるカネがあってそれを使う。 大したことじゃないか。 ノブレス・オブリージュ。 持てるものはそれを使って世の中に貢献すべし。