2015-07-20

東京大学差別総本山である

1.現代日本の最も深刻な差別は、能力による差別である

生活保護受給者、障害者路上生活者、多くの貧困者。彼らは皆、現代社会における「能力による差別」の犠牲者である能力による差別正当化されている日本において、能力の低い者は、自分生活を成り立たせるための稼ぎを得ることすら難しい。

2.再配分政策が進まないのは、能力による差別を無条件で肯定しているかである

富める者から富を奪取し、貧しい者に配る再配分政策は、富の偏在が主に能力の高低によって決まる以上、能力のある者から能力のない者への富の移行である能力による差別を無条件に肯定している社会通念がある限り、再配分政策は進まない。能力の高い者が富むのは当然だと皆考えているから。

3.大学障害者排除することで成り立っている。

大学能力による選抜を行う機関である一般的大学だと、知的能力によって選抜するし、美術大学音楽大学においては、美術音楽技能体育大学では運動能力によって選抜を行う。本質的大学という制度は、知的障害者排除することでなりたっている。これは知的障害者への差別に他ならない。(同様に、美術大学視覚障害者を、音楽大学聴覚障害者を、体育大学身体障害者差別的排除している。)

4.障害者差別とは能力についての差別である

そもそも障害者差別とは、その本質において、能力についての差別である。足がない、目が見えないなどの身体の障害は、健康な者と比べて、身体における能力の欠如を意味する。知的障害者場合知的能力の低さが問題であり、精神を病む者についても、それによって出来ないことが増える。能力による差別肯定している限り、障害者への差別肯定され続ける。

5.東京大学差別総本山である

大学能力による差別助長する制度である限り、能力を持たない者への差別も強化されていく。東京大学能力の高い者にさらなる成功約束する機関であり、能力による差別総本山である東京大学解体し、能力による差別肯定する社会をこそ変えでゆかなければ、社会から不幸はなくならない。能力による差別、今まで当たり前だとされてきたからこそ、疑おうではないか。

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