飽くまでも個人的見解だが、世の中にはただ乗りを無上の喜びに感じる人がいる。たとえば、農作物の無人販売所がある。1袋100円とか、1束100円とかなっていて、自分が欲しいものをその料金だけ、多くは貯金箱みたいな箱にいれておくわけだ。よくある話としては、高級外車に乗ったおばさんが、料金を払わずに農作物をもっていってしまうこと。
また、シェアハウスがあるとしよう。そこにいろいろな人が料金を払って住むわけだが、1つルールがある。仮にだが共同の洗濯機を使うときは、1回100円を払うこと。普通の人ならば抵抗感がないところだが、ただ乗りが好きな人は、これを守らない。またシェアハウスはいろいろな人が住むので、なにかしらのルールがあるだろう。たとえばみんなで飲むお茶は、有志が用意するというものがあるとしよう。これをただ乗りし続ければどうか。その住人はみんなから嫌われるに違いない。最終的にはシェアハウスに居られなくなるだろう。
会社はどうか。シェアハウスの場合は入居するのに試験はないだろう。会社の場合は入社試験・面接など一定の篩いがある。社長の目利きだったり、そんなものもあるだろう。でも、ただ乗り野郎は出てくる。基本的にずるい人は、一定の割合で出てくるようだ。性善説を信じていると、カウンターパンチのように効いてくる。予想外の反応が出てくるからね。そうした悪人は、その行動原理が善意のただ乗りを良しとするものなので、当然の権利のようにすごく自然に行使してくるのだ。だからやっかいだ。
あえて言えば「情けは人のためならず」を逆にとる人たちだ。行動原理の原点が違うから、説明を受けても知らん顔になる。こうなってくると説得もムダになることが多い。そこで諍いが生まれる。
100人いれば100とおりだけ狡いただ乗り野郎は出て来るのでやっかいだ。そういう人を避ける生き方をすればいいんだけどね。しかし、ただ乗り野郎もけっこう賢く、いろいろな手段でいい人である・信頼できる人であるという仮面を被る。このあたりを見抜くは難しい。痛い目に合わないとわからないことが多い。また、善意のただ乗り野郎に利用されやすい人もいるだろう。人間の社会というものはすべてそうなっていると思い知ることが大事だ。
まともな職業に就いてからいってもらいたいものだがね。