ある人が亡くなった。奥様と幼稚園児が遺された。
いろいろと心配もさせた。気にかけていただいた。尊敬していた。
生きている間には何の恩も返せなかった私は、遺族のためにできる限りのことをしたいと思った。
ずっと専業主婦だった奥様が、夫の仕事をついで、大変な苦労をしているのは知っている。もともと故人のずばぬけた眼力とセンスと人脈によって成り立っていた商売だ。
ずぶの素人の奥様にとっては、相当つらい状況だろう。。
故人の治療は保険適用外のものが多く含まれていたため、かなりあったはずの貯金は闘病生活を送るうち、雪のように溶けた。
素人だろうとなんだろうと、奥様は独力で商売を続けなくてはならない。
私は以前、故人の商売をしばらく手伝っていたことがある。奥様の仕事を手伝うこともできるだろうとは思った。
もちろん圧倒的に優れていた故人の手腕には到底及ばないが、それでも商売のことをまるで知らない奥様よりは、マシに支えることが出来る。
なので、わずかながら手を貸した。
本当は他にも色々なことをしたかったけれど、私にも自分の生活があり、援助には限界がある。
どうすればもっと手助けできるだろう、と思っていた。
一度、故人の夢を見た。故人は部屋の隅に立ち、暗い顔でじっと私の顔を見ていた。
翌日、なんであんな夢を見たのかな、などと考えていた時、震災が起きた。
ただの偶然なのかもしれないが、それでも私は自分が見た夢のことを思い出し、ぞっとしながら奥様にメールを送った。
何度目かで、ついに無事を確かめることができた。
一時的に避難していた奥様が、娘さんと一緒に自宅に戻ってしばらくした頃、私は家屋の片付けなどのため、奥様のもとに向かった。
その前日にも、夢に故人が顔を出した。困ったようなそわそわした表情を浮かべていた。
そして奥様のもとを訪れたその日、私は人生で一番てくらい、がっつりした宗教勧誘を受けた。
正しい教えを知るものが減ったから地震が起きた、と奥様は語った。
あなたにも救われて欲しい。あなたのような人こそ、救われて欲しいと。
一日中そんな話を聞きつづけ、夜になる頃、私の体調が悪くなってしまい、そこでやっと解放された。
奥様が正しい教えに縋る気持ちはわかるのだ。
正直、彼女と立場を交換したいとは思わない。あまりにも状況がシビアすぎる。
そういう人間にとって、どっしりと頼れる正しい教えは、確かに必要なものなんだろう。
だけど私は違うのだ、ということをどうしても納得してもらえなかった。
私が彼女の誘いに乗るつもりがないとわかったとき、奥様の顔にははっきりと失望の色が浮かんだ。
「それでもいずれあなたにもわかる日がくるから。それを待つから」
と最後に言った時の目つきも声音も忘れられない。
「残念だけど、その人とは縁を切るしかないだろうな。その宗教に入るなら話は別だけど」
と人には言われた。
私もそう思う。
だけど、やっぱり、いまだにちりちりと胸は痛む。
恩人だ、恩を返したいなどと言っていたくせに、こんなことであっさり離れるのか自分は。
苦労をしている奥様と、まだ小さい娘さんを遺してどれほど故人が無念であったか、心配していたか、私は知っているのに。
夢で見た故人の暗い顔が忘れられない。
そういえば、あれから故人の夢を見ていない。
私にできることって、本当にもう何もないのだろうか。
あるとしたら、奥さんへのサポートではなく、娘さんがもしも 奥さんのいう宗教を拒んで行き先に困ったときの相談先として 存在することくらいだろうか。 しかし何とも不憫だな・・...